第169話
戸枝は自身の力を呪っているように俯く。
捕手は黙って、返球した。
観客の野次が大きくなる。
「大森高校―――三番、セカンド―――九衞君―――」
ウグイス嬢のアナウンスが流れる。
ネクストバッターサークルに進む錦を見て、九衞は指を四本立てる。
『また錦さんまで敬遠で押し出しの一点っすよ』
それを意味する九衞の手の仕草に―――錦はヘルメットの先端を手で触って、顔を隠す。
九衞が乾いた笑いを見せて、左打席に立つ。
捕手が立ち上がろうとした時に、九衞が小声で話す。
「勝負に出る五番の星川を見くびらない方が良いっすよ。あいつだって、俺様ほどでは無いにしてもこんなことされずに大人しくなる勝負する奴じゃないっすから―――」
「…………」
相手の捕手は黙って、立ち上がる。
三度目の敬遠だった。
観客の野次が酷くなる。
戸枝が表情をあまり見せずにボール球を投げていく。
四球目を早めに投げ終える。
「―――ボールフォア!」
球審が宣言する。
九衞が横目で捕手を見る。
バットを捨てて―――言葉を告げる。
「だからといって、俺様と次の錦先輩に同じことしろって言いたいわけじゃないっすけどね」
そのまま黙って、一塁にランニングしていく。
捕手はミットにボールを抱えたまま立ち尽くしていた。
ランナー達が次の塁に移動していく。
一塁は九衞。
二塁に紫崎―――三塁にハインがベースを静かに力強くそこに自分がいることを証明するように踏んでいく。
捕手が戸枝の名前を呼んで、返球する。
戸枝は観客の野次の中で黙って、ボールを受け取りマウンドを小さく蹴った。
ハインが青空を見上げる。
「オレは今この青空だけしか見えていない。ヤジを飛ばす観客も痛々しいバッテリーの不協和音のマウンドも―――僅かに希望がある打ってくれる一人の打者すらも―――次でホームベースを踏むオレ自身も……青空以外見えていない」
そう青空に呟いたハインはベースを踏みながら目を静かに閉じる。
サードは聞こえていたのか、唇を僅かに噛んで黙りこくる。
「叶えた夢が終わるように、試合も終わる―――。願わくば、この広がり続ける青空の様に―――広い心で互いのチームがまとまることを願う」
ハインはそう言って、静かに力強く打席を見た。
ベンチの星川がバットを持って、中野監督に話しかける。
「……中野監督」
「どうした星川? 打席が回れば間違いなくお前にシンカーを投げてくるぞ? マシとは言えないにしても一応は相手の点を抑える戦略だ―――お前自身の差別ではない」
「……でしょうね。ある意味、この光景を陸雄君に見せなくて良かったかもしれませんね。僕結構怒ってますよ」
星川が笑顔でそう言って、ネクストバッターサークルに移動する。
「なぁ、中野。戸枝も難儀だな。伝統のある野球校だからって、毎年強い投手が他にも入る訳じゃねぇもんな」
灰田がそうボヤいて、ベンチに座り込みながら冷めた表情でマウンドを見る。
「―――朋也様。それでも人数が揃えば野球は始まるんだ。どんな結果であっても誰に限らずだ」
中野監督が大人の背中を見せて、グラウンドを見る。
「大森高校―――四番、レフト―――錦君―――」
ウグイス嬢のアナウンスが流れる。
右打席に錦が立つ。
中野監督がサインを送り、それを見た錦はヘルメットに指を当てる。
野次が大きくなる。
捕手が立ち上がる。
四度目の敬遠だった。
センターのジェイクが遠くから戸枝たちをどこか陰のある表情で見る。
「カブキチョウ……オオツカ……」
言葉の意図は掴めなかったが、そうぼやいて打席をジッと見ていた。
その間に素早く投げた四球目の投げやりの様なボールが飛んでいく。
ミットに小さな音を立てて、ボールが入る。
「―――ボールフォア!」
球審が宣言する。
ハインがゆっくりとホームベースに移動する。
最後まで構えていた錦がバットを捨てて、一塁にランニングする。
同様に紫崎と九衞も次の塁に移動する。
ハインがホームベースを寂しそうに踏む。
大森高校に13点目が入る。
ハインがそのままベンチに向かう中で―――ネクストバッターサークルから打席に移動する星川と顔が合う。
「ハイン君。帰還したのにちっとも嬉しそうじゃありませんね。僕にも理由が解ってますけどね。打って見せますよ」
星川が笑顔のまま声に怒りを隠しながら話す。
ハインがそんな星川に一言だけ添えるように言う。
「ただ打つだけじゃない。ジェイク以外の監督を含めた相手の目を覚ますヒットを打ってやれ」
「―――そのつもりですよ。ここでアウトなんて相手の状況になってもゴメンですからね」
ハインは何も答えずにベンチに戻っていく。
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