第168話


 ベンチの中野監督が関心する。


「ほぉ、フォークボールを見せかける球速で、沈めばボール球になる騙しのストレートでストライクを取るとはな」


 スコアブックを書く古川が―――ハインを見ながら中野監督に話す。


「完全にこの流れをハイン君が作り上げてますね。ゲームを一時的にコントロールしていますね」


「ああ、相手の打者の冷静さを取り戻す前に即座に行う判断力もあるな。高校生ながらに見事な配球だ」


 ハインが返球する。

 松渡がニコニコしながら捕球する。

 その一方で西晋高校の監督がプルプルと握りこぶしを作る。


「ええいっ! 二番打者が何を手玉に取られている。これもあの名将・中野砂夜の策略か? いつサインを送ったんだ?」


 そのまま慌ててサインを送るが、二番打者は集中しているのかベンチを見ない。

 ハインがサインを送る。

 松渡が頷いて、やや早めに投球モーションに入る。

 指先からボールが離れる。

 内角高めにボールが飛んでいく。

 相手の打者がややタイミングがズレて、バットをスイングする。

 打者手前でボールが落ちずに左に曲がっていく。

 下に振っていたバットが軸と先端の中央上部にボールが当たる。

 カコンッという金属音と共にボールが浮き上がる。

 ショート付近上空にゆっくりと高くボールが浮き上がっていく。

 紫崎がランニングしながら上を見て、マウンドと二塁の間の位置で捕球態勢に入る。

 フライとなったボールはそのまま紫崎の構えたグローブに入り込む。


「―――アウト! チェンジ!」


 塁審が宣言する。

 紫崎のキャッチで六回表が終わる。


「ナイス! 紫崎!」


 センターからベンチに戻っていく灰田の声が、紫崎の背中から聞こえる。


「フッ、バッテリーのおかげでもある。援護くらいしてやらねばな」


「ったく! キザったらしいこと言っちゃって、ホントによぉ! 素直に喜んどけよ!」


 灰田が紫崎と一緒に肩を並べてベンチに戻っていく。

 ライトの駒島は欠伸をしながら、小走りでベンチに戻る。

 大森高校の他のメンバーもベンチに楽しそうに戻る。

 ベンチの戸枝が眉間にシワを寄せながら、座り込んで俯く。

 西晋高校の空気は大森高校と対比するように重くなっていった。



「六回裏―――大森高校の攻撃です。一番、キャッチャー、ハイン君―――」


 戸枝は無言のままマウンドに立つ。

 ハインが右打席に移動して、中野監督のサインを確認する。

 ヘルメットに指を当てて、バットを構える。


「―――プレイ!」


 審判が宣言する。

 西晋高校の監督の指示なのか、捕手の判断なのか―――敬遠の位置に捕手が移動する。

 ハインは無言でバットを構えていた。

 戸枝がゆっくりとボール球を投げていく。

 観客からは野次が飛んでいく。

 四球目をさっさと投げていく。


「―――ボールフォア!」


 球審が宣言する。

 ハインはバットを静かに捨てて、一塁にランニングする。

 ファーストと目が合ったが、相手は気まずそうに眼を逸らした。

 一塁を踏んだハインは静かに戸枝を見た。


(ツヨシは自分の意見を捕手に答えてもらっていない状態にある。捕手の考え方は人それぞれだが、戸枝は痛々しくも奮闘しようとしている)


「大森高校―――二番、ショート―――紫崎君―――」


 ウグイス嬢のアナウンスが流れる。

 右打席に紫崎が立つ。

 紫崎が中野監督に手でジェスチャーをする。


『敬遠が続くと思いますよ?』


 その意味を汲み取った上で中野監督はサインを送った。


『それでも良い。低めのシンカーを迂闊に振るな』


 そう送った上で中野監督は腕を組みなおす。

 紫崎がヘルメットに指を当てて、その後にバットを構える。

 捕手がまた立ち上がる。

 それをネクストバッターサークルから見た九衞が座り込む。


「あーあ、次の打席への俺様のやる気が完全に削がれちまった。ある意味そうさせたのは効果的な戦術かもな。打たせてやるのが人情かもしれねぇが、それはそれであいつには辛いかもな」


 九衞がそうぼやいている頃に―――紫崎に四球目のボール球が投げ込まれる。


「―――ボールフォア!」


 球審が宣言する。

 紫崎がバットを捨てて、一塁に移動する。

 ハインが無言で眼を瞑り、開いた眼を細めながら二塁に行く。



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