第141話


 ハインがマウンドに移動する。

 内野手達も移動しようとするが、ハインが手で止めた。

 松渡とハインだけがマウンドに立つ。


「ハジメ、四回からシュートを使うぞ」


「まぁ、ジェイクに通じないことが解ったしね~。しょうがないね~。そろそろ抑えるために他の変化球を使う時期だしね~」


 ハインは汗を流して、黙りこくる。

 まるでこれから言う言葉を自分自身でも信じたくないかのように怯えている。


「そういえば高校野球は九回だもんね。僕にもみんなにも初めての体験だっけ~。あと六回持つかな~? ハイン達が一点でも多く取ってくれると助かるけどな~」


 松渡が呑気に話す。


「ちゃんと抑えるから大丈夫だよ~。切り替えなくっちゃ~」


「―――いや、ジェイクにはどの変化球も通じない」


「……えっ?」


 松渡が言葉を止める。

 ハインが怖い顔をして、説明する。

 真剣な表情に松渡は黙って聞く。


「遠くまでは飛ばせないのが救いだが、ジェイクはハジメの投球の動作―――リリースポイントまで完全に把握している。それだけじゃない―――変化球の軌道まで読めている」


「そんなことって……出来るの~? 高校生だよ~? まだ投げてない変化球はあるんだし、深刻に考えすぎだよ~」


「タイミングをズラすとか、緩急を付けるとか、コースを変えるなどの問題じゃないんだ。ジェイクはストライクゾーンにボールが入るなら打てるんだ」


「嘘……でしょ? だって、それって、相手の球速まで計算できるってことだよ~? そんなこと出来たら全国どころかメジャーにだって~……」


「ニシキ先輩とはベクトルの違った天才だ。他の打者と投げている間も観察した上でジェイクは完全に記憶している」


「…………」


 松渡は絶句する。

 流れた汗が顎からマウンドに落ちていく。

 ハインの顔は至って真剣だった。


「ジェイクにしか解らない領域で目がすぐに慣れるんだろう。仮に170キロの球速でも慣れれば打ててしまう」


 松渡の顔が暗くなっていく。

 その恐ろしさにボールを落としそうになる。


「配球理論が打者を打ち取れるとずっとオレは思い続けてきた。だが、得体のしれない天才ならではの恐怖を身をもって理解した。次からは―――ジェイクには敬遠する」


 ハインが顔を下に沈める。

 松渡がゴクリと唾を飲んでゆっくり答える。


「…………だからって諦めるの~? 同じ人間なんだよ~?」


「ハジメ―――オレはこの試合で勝てないとは言っていない。野球は九人でやる。これは勝つための敬遠なんだ。解ってくれ」


「あのね、ハイン~。ここでその天才に逃げて負けたら僕は一生野球人生で後悔するんだよ~。ハインの言いたいことは僕凄く解るよ~」


 ハインが顔をゆっくり上げる。

 無表情を作っているが、目の奥に怯えと不安がある。

 松渡がハインの左肩に手を添える。


「確かに二打席とも初球を打たれたけど~、ジェイクにホームランは無かったよ~? ここで逃げたら僕は投手として人として命より大切なものを奪われちゃうんだよ~」


「―――命より大切なもの?」


「僕が挑むのはどんなコースでも打てるジェイクじゃない~。そんなジェイクとの勝負から逃げて怯える自分を無くすためにマウンドで打者に挑むんだよ~」


「ハジメ…………オレは―――」


 何かを言おうとしたハインの顔に手を当てる。

 松渡が優しく目を細めて笑む。


「ハイン~。ハインの捕手としての役割は何~? 打者に勝てませんっていう絶望を投手に言うこと~? 違うでしょ~。バッテリーとして、お互いの自信とやる気を出して―――試合に望むことが勝ち負け以前の大切なことなんじゃないかな~?」


「…………」


「もちろん。それでも負けることはあるよ~。でもね、勝てない相手がいるからって気持ちは練習においても向上心すら無くしていくんだよ~。僕は挑んで負けても次は勝ちたいから、練習して試合に挑むよ~。向上心を持って、挑みたいんだよ~」


「リクオもそう思うだろうか?」


「陸雄は良い奴だから、ハインの言うこと素直に聞くと思うよ~。こだわるのは僕だけだね~」


「―――そういうものか。やはり投手はいつになっても変わった奴が多いな」


「ハインさっきより落ち着いて来たね~」


 ハインがハッとする。

 気がついたら松渡の言葉で冷静になっている自分に戻っていた。


「そうか―――そうだな。オレもまだまだ野球の本質が見えていないな」


 ハインがとても穏やかで優しい顔をした。

 男ながらに綺麗な表情だった。


「にへへ~♪」


 松渡がジト目でニヤッとして、ハインを見る。


「―――なんだ?」


 不思議そうにハインが松渡を見る。


「いや、いつもよりイケメン度が増しましたなぁ~って、思ってね~。ちょっと陸雄にも見せない表情を僕に見せてくれて、優越感得たなぁ~って~」


「ハジメのムードメーカーに流されただけだ。タイムに時間を取り過ぎた―――オレの配球どうりに真面目に投げろ。敬遠はさせない」


「おっけ~! オレオ食べる以外に可愛いところありますなぁ~。いやぁ~青春だね~♪」


 ハインがフッと笑って、捕手の位置に戻っていく。

 セカンドの九衞が怪訝そうに見る。


「何話してたんだアイツら? 金髪がシリアス度深めた顔したと思ったら、松渡が金髪の顔に手を当てて何か慰めるように話してたような? そしたら金髪がすげー良い顔になるし…………あいつらホモなのか?」


 ショートの紫崎が答える。


「フッ、そうなのかどうかは試合後に松渡に聞くとして……ハインが練習以外で珍しく吹っ切れたような顔をしていたな。あいつらは今以上に強くなるな。バッテリーとして良い傾向になったんじゃないのか?」


「チェリーのやつに見せてやりたい光景だな。案外お前が関係してるんじゃないのか?」


 九衞が二塁にいるジェイクに話しかける。

 ジェイクがニカッと笑う。


「アタリダッタラ タカラクジ! トウセン! プレゼント プリーズ ミー!」


「おおよ。試合終わったら褒美に俺様がイチゴオレをやるよ。この九衞錬司様の滅多に出さないプレゼントだ。スイートテイストドリンクだぜ?」


「オオウ! タノシミ! タノシミ! ニシカワゴエエキ!」


「フッ、電車好きなのか?」


 塁審が注意する。


「君達。私語は慎みなさい!」


 全員が黙って試合に切り替える。


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