第28話

「明日からユニフォームを買うまでは、ジャージで練習に参加しろ。スパイクは中学時代の物をそのまま使え! 坂崎はスパイクを買えるようになるまで、捕手練習を重点的にするように! 明日は朝練として六時半にグラウンド集合すること! 以上―――解散っ!」


「「ありがとうございました!」」


 中野監督の言葉で全員が声をあげた。

 夕日のカラスの鳴き声よりも、大きな声でその日は全員下校した。

 残った二年生達がグラウンド整備を行う。


「なぁ……」


 トンボでグラウンド整備をしている二年が他の二年に話しかける。


「な、なんだよ?」


「マネージャーの仕事、俺らもするべきかな?」


「えっ? お前、何言ってんだよ? 確かにあの一年達と新監督はすげぇけどさ」


「でもよ、甲子園いけるかもしれねぇぜ?」


「ゆ、夢見んなよ! 俺らはいつも通りグラウンドで勉強してれば良いんだよ」


 二年の会話のやり取りに中野監督がやって来る。


「―――お前達、監督命令でなく、頼みを聞いてくれないか?」


 トンボを持った二年達が止まる。


「お、俺らは勉強で忙しいんっすよ。なんなんすか?」


「グラウンド整備以外に一年生達に水や炊飯器で出来た握り飯くらいは食わせてやってくれ」


「なんで、俺らがそんなことしなきゃならないんすか? こっちは半分遊びの部活で…………」


「いつか野球部と高校を卒業した時―――何も残らん人間になるぞ」


「…………」


「ガキの頃から思い描いていた夢を実現したいだろ? 電車で甲子園行くよりよっぽど熱い夏になる」


「…………でも、俺ら穴埋めのベンチだし、試合だって…………」


「だからと言って、グラウンド整備の阪神園芸ごっこをしに入部したわけじゃないだろう? 今年の九月までで良い。古川が去年出来て、今出来ないことをしてほしい」


 二年生達は思い出していた。

 一年の頃のマネージャーの仕事をしていた古川を―――。

 現三年生の堕落の中、古川は錦と同じく真面目に部活に取り組んでいた。

 当時の上級生に言われるがままで、練習をしなくなっていった日々。

 それでも錦と古川は真面目に部活に取り組んでいた。

 真面目に練習をした日もある。

 だが、それを上級生は無駄と言って笑った。

 古川と錦だけでなく、その時の自分達も侮辱された気持ちになった。

 それから、先輩に倣うように練習をしなくなった。

 それがどんなに古川と錦を傷つけたか?

 このままでは廃部になるだろう。

 だが、新しい一年が廃部を救った。

 変われるかもしれない。

 罪滅ぼしの機会が今ある。

 二年達にそれぞれの気持ちが共通して、湧き出す。

 トンボをかけた砂地が、かつての入部したての自分たちのように綺麗になる。


「もう甲子園への夏は始まっている。性根を入れてくれ」


「…………錦さんと古川マネージャーのために今年だけっすよ。甲子園行かなかったら、俺らもう知らないっすからね。応援もしないっすからね!」


 二年生が最後にホースで水を撒く。


「安心しろ。今年必ず甲子園に行かせてやる。人生で一番熱い夏を過ごさせてやる」


 中野監督は不敵に笑む。


「あ、朝練が終わったら、その時間にグラウンド整備するっす。だけど放課後練習は古川マネージャーの仕事をします」


「お、おいっ! いいのかよ? 俺達試合に出れねぇし……練習だってずっとサボってたじゃねぇか?」


「お前らは無理に来なくてもいいよ。俺だけでもやるから、一年生に二十人揃えば試合が出来るつったの俺だしさ」


「…………わかった。グラウンド整備は多い方がすぐ終わるだろう。マネージャーの仕事は飯炊きくらいだ。炊飯器部室に六個あったよな?」


「米は監督が部費で買ってくれだろうし、みんなで海苔とおにぎりの具をスーパーで買ってこようぜ」


「なあ、一学期だけだけど…………マジで甲子園行けんのかな? 保障なんてありゃしねぇだろ」


「それは―――」


 二年生達が話し合う。

 コホンっと中野監督は咳払いをする。


「心配するな。与えられた仕事だけこなせばいい。不安を抑える要素を明日の放課後に見せてやる」


「見せるって? どういうことっすか?」


「鉄山先生からさきほどスマホでもう一人部員が入ったという連絡があった。今日は来てないが明日の放課後にそいつは来る」


「誰っすか? ただの一年とかじゃ、俺ら安心出来ないっすよ?」


「そいつの名は―――」


 途端に強い風が吹いて、何人かが名前を聞きそびれる。

 中野監督がその新入部員の一年の名前を話した時に、近くにいた何人かの二年が表情を変える。


「マジかよ……中学野球界のそんな奴がなんでこんな弱小校に?」


「おい、勝てるかもしれねぇ。錦先輩とそいつで確実に点が取れる」


 中野監督が腕を組んで笑む。


「不安は―――消えたか?」


「…………信じて良いんすよね?」


「全地方大会の出場校4,000校前後の中の出場校数49校に入ることは、確実とは言えないが約束しよう」


「みんな、新監督と錦先輩と古川マネージャー。一年達を信じよう! 俺ら弱小野球部が名誉挽回して甲子園に戻るんだ!」


「―――おおっ!」


 荒んでいたグラウンドの土はトンボで平らになり、新たな水を浴びて綺麗な姿に戻っていた。



 欠けた月の映る夜。

 陸雄が晩御飯のおかわりをしていると、清香が上がり込む。


「陸雄。お母さんからプロテインとウイダーインゼリー送られたからいる?」


「おっす。清香。ありがとうな。貰っておくよ。清香の家から段ポールで俺が運ぶよ」


「玄関前に置いといたから、一緒に行こうね」


「清香ちゃん。いつも陸雄の為に悪いわね。晩御飯食べたの?」


「はい。さっき食べてきました。勉強道具も持ってきたので昨日の続きをしようと思ってます」


 母親と清香の微笑ましいやり取りの中。

 陸雄は食事を急いで済ませる。


「じゃあ、母さん。俺、清香の家から段ボール運んでくるよ」


「食器置いといて良いわよ。清香ちゃんも上がったばかりで悪いけど、一緒に行ってきてくれないかしら?」


 陸雄の母親が清香にレモンジュースを渡す。

 清香がお礼を言って、食卓に座ってゆっくり飲む。

 陸雄が背伸びをして、ふぅっと一息つく。

 何気ない些細な変化に気がついた幼馴染は疑問を投げる。


「考え込んでるみたいだけど、どうしたの?」


「あ、悪い。顔に出てたか? 野球部の錦さんのことで、な」


「錦さん? 先輩なの?」」


「ああ、野球部の凄い人でね。プロに行ける実力の持ち主なのに、行かないんだ。俺、今日見事に打たれちゃってさ」


「なるほどね。陸雄の事だから、自分より目標を実現出来そうな場所にいるのに―――その人の自信が無いのが嫌なんだ?」


「あ、ああ。相変わらず鋭いな」


「なら簡単だよ。錦さんをプロ野球に一緒に引き込むくらい頑張れば良いんだよ。きっと伝わると思うし、錦さんの本当に納得できる答えが出ると思うよ」


 清香が鍵を持って、微笑む。

 いつもと変わらない元気で明るい清香だった。


「そうか、そうだよな。ありがとう清香。俺、頑張る」


「勉強も、もちろん頑張らないとね」


「うっ! あ、ああ……もちろんな。飲み終わったら運びに行くから―――鍵持ってるの清香だし、そっちの家まで行こうぜ」


 清香と一緒に家を出る。

 隣の家までの数分間。


「あのな、清香」


「ん? 何?」


「明日から朝練で六時半には出なきゃならないからさ。一緒に登校できないし、帰るのもバラバラだから」


「あははっ! まぁ、野球少年だもんね。いいよ、それくらい。定期券は?」


「明日母さんからお金貰うから、五時半に起きて、作って通勤するよ」


「そういうことなら勉強はあまり遅めにならない方が良いね」


「わりぃ……家帰ったら風呂あがってすぐに清香の家に勉強道具持って行くからさ」


「ウチは九時までなら家に居ても良いからね。私の部屋でウトウトして寝ないでね。中学の時に一泊したの覚えてるからね~」


「足りねえ分は日曜にまとめて勉強すっからさ」


 清香の家の玄関前に着く。

 清香が鍵を開ける。


「日曜日。それだけ~?」


 開けたドアの明かりから、照らされる清香の小悪魔的な表情がくっきりと見える。


「終わったら一緒に買い物とか付き合うからさ」


「付き合う~? お出かけなら、いいよ~」


「へ、変な意味で言ったんじゃねぇよ! プ、プロ野球選手になったらさ……その……」


 陸雄が赤面する。

 色気のある清香の表情に胸がトクンとしたようだ。


「えへへ~。プロ野球の前に、ちゃんと大学は行ってもらわないと、陸雄のお母さんに怒られちゃうからね。責任重大だよ~」


「いや、高卒ドラフトで選ばれるかも知れねぇし…………」


「はい、ウイダーインゼリーの箱とプロテインの箱はこの二つだからね」


「せ、清香~! 真面目に聞けよ~!」


「私、階段上って部屋から教科書とノート取って来るから、その間に一箱ずつ運ぶんだよ~」


「くっそ~。ぜってぇ高校でドラフト指名すっからな!」


 陸雄はウイダーインゼリーの箱を両手で持ち上げる。




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