第9話
あれから数年後―――。
四月、兵庫県。
地元の大森高校に合格した陸雄は、入学式前に早起きしてジャージに着替える。
中学から続けているランニングだった。
「陸雄ー? 今日、大森高校の入学式でしょ?」
母親の声がキッチンから聞こえる。
「ああ、だから昨日は早寝したろ?」
銀色のボールの中で、卵を研ぐ音が聞こえる。
フライパンには油を入れて、弱火でジュージューと音を立てている。
母親は手慣れた調理の中で、話を続ける。
「緊張してるからって、いつもより早く起き過ぎじゃない? それに学生服、着替えてないでしょ?」
卵を研ぎ終えて、テーブルとテレビのある食卓来た陸雄を見る。
陸雄は学校指定の黒のジャージ姿だった。
スポーツマンらしい短い髪型と、鍛え上げられた体がジャージ姿に似合っている。
「ちょっと体動かしたいから、軽くランニングしてくるだけだって!」
「遅れたら、清香ちゃん怒るわよ~」
「大丈夫だって、安心しろよ~。清香は俺のこういうところに慣れてるからさ。じゃあ帰ったら朝飯よろしくね~」
「東京にいるお父さんから、陸雄の入学祝いで今月多めに振り込んでくれたら―――新しい野球道具買えるわよ。それと朝食はオムライス作るわね」
「いいねぇ~! 気合入るぜ! じゃあ走って来るわ」
陸雄は財布とスマホをジャージのポケットに入れると外に出た。
早朝の兵庫の町の中。
いつもと同じコースでランニングする。
だが―――。
(ちょっとコース変えて、大森高校に寄るかな?)
そう思った陸雄は、徒歩三十分の大森高校に向かってランニングする。
その時に、野球のユニフォームを着た体の大きな男を目撃する。
陸雄と同じようにランニングをしているようだ。
(大森高校の学生さんかな? きっと野球部の先輩だろうな)
しっかりとした筋肉をしており、背が高い。
ランニングフォームに無駄がなかった。
音楽を聴いているのか、こちらの声は届かないようだ。
(―――っと、自分のこと考えて走るか)
通り過ぎていく野球部風の男を後に、大森高校に向かってランニングする。
途中の公園前の自販機でアクエリアスを買って、飲む。
(試験の時は電車だったけど、ネットの地図見たら三十分の所だな。自転車あるし、電車の定期買わなくても良いかな?)
そんなことを公園で軽い運動をしながら、考える。
「さてと―――大森高校の正門に向かって走るか」
陸雄は飲み終えたアクエリアスを―――ゴミ箱に捨てると同時に走った。
※
陸雄は残り十分で、大森高校にランニングで着いた。
大森高校はどこにである県立の高校だった。
強いているならグラウンドが広い事。
校舎が体育館を含めて三つの建物があること。
野球部かソフトボール部のプレハブ小屋がやや大きいのが外装の特徴だった。
フェンス越しに野球用のグラウンドを見るが、練習しているのは一人だけだった。
(あれ? さっきの人じゃん。朝練の時間のはずだけど、他に誰も居ねえし……入学式だからって休みって訳でもないだろうに……)
ランニングで通り過ぎた男が、一人で素振りをしている。
そのスイングには力強さがある。
バットが風を薙ぐように、ビュンと音を立てる。
(すっげースイング。四番を任されてもおかしくないくらいの力強さと回数だな)
じっくり見ているとスマホが振動する。
アラーム機能だった。
「帰りはちょっとペース上げて戻るか」
スマホの振動を止めて、早めにランニングする。
(同じ大森高校で一緒に試合する先輩か―――燃えて来たな!)
陸雄の走りに、足の踏み込みの強さが増す。
※
家に着くと玄関前に身長の低いブレザーの女子高生がいる。
見慣れたローポニーテールは、隣の家の幼馴染だった。
「おっす、清香。先に電車で、学校行っても良かったんだぞ」
「陸雄。一緒に受験勉強してあげたんだから、学校くらい一緒に登校しようよ」
可愛らしい声で、幼馴染の清香はむっとする。
「清香達の家族には、野球以外で世話になりっぱなしだから―――それくらい良いよ。同じクラスだし、教室とか迷わず済むよ」
「むむっ~! それが目的なの~?」
「ははっ、細かい事気にすんなって―――じゃあ、すぐ着替えて早食いすっから、待ってろよ」
「電車で行こうね。明日定期買うんだよ~」
「わーたよ。清香がそう言うなら、しょうがない。たまにしか使わねぇと思うけどな」
陸雄は家に入り、部屋に戻る。
ドカドカと言う物音で、母親は帰ってきたことに気付く。
部屋に戻った陸雄は、急いでブレザーの制服に着替える。
「ネクタイの巻き方って、なんか慣れねぇなぁ……清香が教えてくれた、えっと、プレーンノットだっけ?」
プレーンノットの巻き方で、最後にネクタイを締め終える。
ドアを開けて、隣の大広間の食卓に向かう。
机の上にはオムライスと野菜ジュースが置いてあった。
「今日少なくない?」
「お昼代清香ちゃんに渡してあるから、昼に一気に食べなさい。どうせ野球部に入ったら、毎朝は今日の倍出すわよ」
「そういうことなら遠慮なく―――いただきます!」
陸雄は待っている清香の為に早食いする。
「学校終わったら、お母さんは清香ちゃんの両親と買い物行くから家空けるわよ。鍵忘れないでね」
「わかった。テーブルに置いといて―――ごちそうさま。ケッチャプが今ので無くなったから、それも頼むね」
「はい、はい。ネットショップで食費の米代がこんなにかかる子も珍しいわね。お父さんが出世して無ければ赤字よ」
「プロ野球選手になって―――親父以上に稼いで、大黒字にするから先行投資だな」
「のぼせて……はい、鍵」
鍵を受け取ると財布とスマホを持って、鞄を片手に学校に向かう。
「母さん。明日、定期買うからお金頼むわ」
「わかった。じゃあ今日から高校生としてシャッキっとしなさいよ」
「流し打ちのように綺麗に決めてやるから、安心しとけよ。じゃあ、行ってきまーす!」
陸雄はそう言って、スイングのモーションを行う。
母親は笑って、食器を片付ける。
陸雄は、清香の待っている玄関前に移動する。
「さて、清香ちゃんの奥さんと一緒に買い物に行かないと……陸雄、恥ずかしがって入学式一緒にいくの断ってたしね。まだ先の事だけど、野球選手に目指すとはいえ、あの子の将来が心配ね」
一人で食器を洗いながら、陸雄の母親は憂鬱になる。
「そういえば……」
食器を洗い終えて、母はふと呟く。
「陸雄の行く大森高校って、野球強いのかしら?」
※
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