(8)
レストランを出るヴェラと男を、ガブリエルとジョンもそれとなく追う。ガブリエルはもう――色々な意味で――お腹がふくれたので、帰りたい気持ちでいっぱいだったが、ジョンがそれを許すはずもない。
生気のない顔をしながら、片やものすごい目でヴェラと男を見るジョン。そんなジョンをガブリエルは半目で見る。男女限らず嫉妬する姿というものは醜いが、特に付き合ってもいない女のデート相手に嫉妬するさまは筆舌に尽くしがたい。
ジョンはヴェラをエスコートする男を見て脳が破壊されそうになっていた。一方のガブリエルも、知人がデート相手とホテルの中へしけこむ姿を直視するのはなんとなく憚られ、自然、視線をそらす。
いや、まだヴェラが男とホテルに泊まると決まったわけではない。わけではないのだが、先ほどの和やかな空気を思い出すと、そうなる未来が実現するのはすぐだと思われた。
……思われたのだが。
「……なんか、様子がおかしくないですか?」
エレベーターホール前の廊下の柱へ身を隠していたガブリエルは、ジョンのスーツの袖を引っ張った。脳を破壊されかけていたジョンは、それで我に返ったらしい。明後日の方向へ向けていた視線を、ヴェラたちに戻す。
「……なんか、揉めてないですか?」
ガブリエルとジョンのいる位置からは、ヴェラたちが声を潜めていることもあって会話の内容までは伝わってこない。
しかし男がヴェラの腕をしっかりとつかんでいるのに対し、彼女はそれをやんわりと振りほどこうとしている。
そして先ほどまで朗らかな笑みを浮かべていたヴェラの顔は、心なしか引きつっているように見えた。
「くっ……ヴェラの細腕を乱暴につかんで! 折れたらどうする?!」
「あれくらいじゃ折れないと思いますけど……――っていうかこれはチャンスでは?」
「なに?」
ヴェラのデート相手に本気で腹を立てているジョンに、ガブリエルは言う。
「ここで颯爽と現れてセンパイを助けたら、好感度メチャクチャ上がりますよ」
それは深く考えてのセリフではなかった。ガブリエルは――色々な意味で――お腹いっぱいで、早く帰りたかった。しかしジョンから解放されない限りそれは無理だろう。主導権はあくまでジョンにあるのだ。ガブリエルは、実質なにもできない。
それにヴェラのことも純粋に心配だった。だが、ここでガブリエルが出て行くのは得策とは言い難い。ガブリエルは霊能力なるものがあるが、それ以外はごく普通の二〇代女性。大の男に腕っぷしでかなうはずもなかった。
対するジョンはこれまでに幾度も修羅場をくぐり抜けてきたし、頭脳だけに見えてそれなりに腕っぷしは強い。ヴェラを助けるにはガブリエルよりも適任に思えた。
それに女に無体を働く男のうち、いくらかは同じ男には強く出ないものだ。ガブリエルはそういうことを経験上知っていたので、やはりここでヴェラを助けるのはジョンのほうが適しているのではないかと思った。
「だが……ううむ」
しかし肝心のジョンは思い切りが悪い。ヴェラをストーキングしている……つまり、悪いことをしている、という意識はもちろんジョンの中にもある。だからこそ、ここでヴェラの助けに入るのは彼女の目には不自然に映るのではないかと、頭でっかちに考えてしまったのだ。
「そんな約束じゃなかったじゃないですか!」
そこにヴェラの強い拒絶の言葉がエレベーターホールに響き渡った。幸か不幸かエレベーターホールの近くにはガブリエルとジョンしかいない。
男の手から逃げ出そうとするヴェラと、そうはさせまいとする男の攻防がふたりの眼前で繰り広げられる。
「センパイのこと好きなんでしょ?! だれよりも好きなんでしょ?! 男、見せてくださいよ!」
ガブリエルに発破をかけられ、ジョンはようやく腹を決めたらしい。ガブリエルを置いて柱の陰から飛び出す。
ガブリエルはなんとなくその場の流れでジョンを励ましてしまったが、冷静になって「なぜ自分はセンパイのストーカーを応援してしまったのだ」と虚無の気持ちに襲われた。
「嫌がっている女性に無体を強いるのはいかがなものかと思いますよ」
「なんだお前!?」
「失礼。あまりにも女性の扱いがなっていないものでしたから……つい声をかけてしまいました」
男はジョンの顔を見たときはまだ威勢がよかった。しかし明らかに一般人ではない仕立てのいいピンストライプスーツや、明らかにカタギじゃないオーラをジョンが放ち始めたことでだんだんとその態度もトーンダウンして行く。
加えて、ジョンのほうが口が上手い。まあハナからヴェラを無理やりホテルの部屋に連れ込もうとしていたらしい男には、一分の理もないので、ジョンに口で負けるのは当然とも言えた。
そして男は口で勝てないと悟ったのか、おもむろにジョンの顔面に向かって拳を放つ。
「きゃっ!」
ヴェラが悲鳴を上げた。しかしジョンは男の拳を華麗にいなしたばかりではなく、そのみぞおちへ膝による鋭い一撃をお見舞いする。
「ぐえあっ」
情けない声を上げて男は磨き上げられたエレベーターホールの床に倒れ込んだ。まだ意識は残っているのか、しかし腹を抱えるような格好で憎悪に満ちた目をジョンに向ける。
一触即発。
……だがその横っ面に、唐突にカクテル・バッグが命中する。カクテル・バッグをぶん回して男の顔にぶちあてた張本人は、ヴェラだ。
「逃げましょう!」
ヴェラの行動に目を白黒させていたジョンは、当初予想していただろう、颯爽と彼女をこの場から連れ出すのとは逆に、彼女に手を取られてちょうどよく到着したエレベーターの箱へと消えた。
ひとり取り残されたガブリエルは、「さてどうしようか」と考える。このまま素知らぬフリをしてエレベーターホールへ出て行くか、それともしばらく身を隠したままでいるか――。
「あ?」
エレベーターの箱が到着したことを告げる音が鳴る。するすると静かに扉が開く。ジョンとヴェラが乗ったのとは別のエレベーターだ。
扉が開いた箱の中には、仏頂面を隠そうともしないエルドレッドがいた。
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