体育館にて

サンカラメリべ

体育館にて

 体育館。学校という施設において欠かせないものであり、しかし校舎に含まれるというよりは体育館そのもので独立しているような気がする。体育館での営みはクラスで授業を受けることとはまるで違う。運動の仕方を学ぶ場所ではあるが、教室で先生にあてられて問に答えるわけでもなく、生徒が強制的にチームプレーを行わせるぶん、他の授業よりもコミュニケーション能力が試される場所だろう。

 僕は運動することが嫌いだが、体育は好きだ。だだっ広い空間にわちゃわちゃ人が空気中の分子みたく動き回っているのを見ているのが好きだ。男子たちは女子の胸に注目して女子たちから軽蔑される目で見られたり、運動神経の良い男子が女子たちから声援を受けたり。慢性的な倦怠感が漂う教室の眠たい空気を吸っているよりは、体育館で生き生きとしている生徒たちの熱気こそ暑苦しくはあるが生命力に溢れていて、壊したくなる。

 そうは思わない?

 例えば、あそこにいる女子は教室では目立たないし体育でも目覚ましい活躍をするわけではない。見ていればわかるが、運動が苦手なんだろう。けれども、一生懸命に楽しもうとしてる。今はバレーをしていて、クラスメイトでチーム分けして対戦している訳だが、他の子に負けじと頑張っている。ああいう子の、背伸びしている姿が好きだ。折りたくなる。

「あ、おま、恵那さん好きなの? さっきからずっと見てんじゃん」

「は? お前俺の何見てんだよ。お前こそさっきから女子の胸しか見てねえだろ」

「あ、バレた?」

「バレバレだ、馬鹿」

 自分で言っておいて、自分の中の嗜虐心も実は見抜かれているのではないか、と心配になる。恵那さんは自分の名前が男子どもの口に出たことも知らず、目の前に飛んでくるバレーボールに集中していた。だが、まあ、彼女は不幸なことにどんくさい人間で、ボールの飛んでくる位置を見誤ってあろうことか顔面でボールを拾ってしまった。その勢いで、どしん、と後ろに倒れてしまった。

「恵奈さん大丈夫⁉」

「保健室行く⁉」

 わらわらと彼女のまわりに女子が集まって心配そうな顔をしながら騒いでる。一番心配そうなのは顔を真っ青にした先ほどのスパイクをした女子だ。

「お前保険係だろ。行けよ」

「女子の誰かがやるだろ」

 しかし予想に反して、体育教師から保険係の僕が彼女が保健室に行く付き添いをするように命じた。仕方がない。鼻血が出ている彼女を保健室に送り届けるか。

 体育館を出て、二人でとぼとぼ歩いていると、ふいに彼女が口を開いた。

「ごめんね、私に付き添わせちゃって」

「いいよ。係だからね。恵那さんこそ大丈夫?」

「あはは。鼻血出ちゃってるけど、だいじょぶだいじょぶ」

 精一杯元気に振る舞おうとしているのか彼女は笑ったが、鼻血面を男子に見せたくないらしく顔は俯けていた。

「あっ」

「え」

 突然、ふらり、と彼女はバランスを崩し、僕は彼女の顔面を胸で受け止める。べっとりと彼女の血が僕の体操着を濡らす。顔を上げた彼女は恥ずかしさと申し訳なさで頬を真っ赤にして、あたふたしていた。

「ああ! ごめんね! ごめんね!」

「いいから、いいから。もう保健室の前だよ」

「体操着汚しちゃった・・・」

「洗えばいいよ。それより、倒れそうになったんだから保健室で安静にしてなよ」

「あ、そうだね・・・」

 何だか僕も恥ずかしかった。保健室の先生に彼女を送り届けたことを確認し、僕が体育館に戻ろうとすると、彼女に呼び止められた。振り向くと、鼻を抑えた彼女が笑っていた。

「ちょっと来てよ」

 何なのかわからないけれども、彼女の傍まで行くと彼女が先生に聞こえない声でこっそり僕の耳に囁いた。

「ありがと」

 ・・・僕は何も言えなかった。


 体育館に戻ると、何事もなかったようにバレーが再開していたが、彼女がいなくなったチームには他のチームから助っ人が入っていた。彼女の血が付いた僕の体操着にギョッとした人もいたが、彼女の友人たちからお礼を言われた。きっと、僕は彼女にからかわれたんだと思う。もしかしたら僕が彼女のことを見ていたのに気づいていたのかもしれない。いつもは地味なのに、あの瞬間僕は彼女が眩しく思えた。つい、人に隠れて彼女の血が付いた場所を鼻先にまで持っていってしまう。汗臭い体操着の臭いに、鉄のような匂いと、ほのかな甘い香りが混ざっている気がした。

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