第3話 こんな時だけど、ワクワクしています

 それからジネットは、ベッドの上に旅行かばんを広げると急いで荷物を詰め込み始めた。


(まずはどこの宿に行きましょう? 色々な宿屋をはしごするのもきっと楽しいわ!)


 などと考えていると、コンコンとノックの音がして、姉妹同然に育った侍女のサラが入ってくる。


 サラは茶色のおさげを揺らしながら、義母たちへの嫌悪を隠そうともせずに言った。


「お嬢様、今度はどんな無茶を言われたんですか? 南国の珍しい果物が食べたいとか? それとも人気の希少きしょう宝石を手に入れてこいと?」


 サラはいつも通り、ジネットが無理難題むりなんだいをふっかけられたと思っているらしい。


「ううん、何も買わなくていいみたい。代わりに、私がこの家を出ていけばいいのですって!」


 途端とたん、サラの顔がクワッと険しくなる。


「お嬢様が家を出るってどういうことですか!? またあの女の仕業ですか!? 今までずっと我慢してきましたが、もう限界です! 今日こそあのアバズレの頬をひっぱたいてやる!」


 腕まくりをして鼻息荒く突っ込んでいこうとする彼女を、ジネットはあわてて引き止めた。

 昔からサラは、ジネットのことになると少々……いやだいぶ過激なところがあるが、さすがに主人家族に暴行を振るうのはまずい。


「サラ、待って! 私、ようやく気付いたの。これはお義母様たちの愛のムチ……つまり、ご褒美だと!」

「いや絶対に違うと思いますけれど」

「お義母様たちとお別れするのは寂しいけれど、私のためにわざわざ背中まで押してくださったんですもの。その気持ちに応えなくっちゃ!」


 サラは最初「そんなバカな……」という顔をしていたが、「お義母様たちとお別れ」という言葉を聞いた瞬間、キラッと目を輝かせた。


「お嬢様……ついに決断してくれたのですね!」


 それからガシッとジネットの両手をつかむ。


「サラは、ずっとずっとこの日を待っておりました! お嬢様が、あの母娘おやこと決別してくれるのを!」

「そうだったの!? ごめんなさい。私、全然気付かなくて……」


 ジネットが謝ると、サラはからからと笑った。


「仕方ありませんよ。だってお嬢様ったら全然平気そうでしたし、むしろ楽しんでいましたよね?」

「た、楽しんでいたわけじゃないのよ? ただ、勉強になることも多いなあと思って……」


 義母たちは皮肉なことに、『厄介な客』として練習相手にぴったりだった。

 しかも本物の客と違って、多少失敗したり雑に扱っても、を言われるだけで済む。まさに練習相手にうってつけだった。


 そんなジネットに、サラが小さくため息をつく。


「そのたくましさがお嬢様のいいところですね。唯一ゆいいつ不満なのは、お嬢様の方が家を出なくちゃいけないことですが。お嬢様こそ、この家の主人であるべきなのに……」

「それは違うわ、サラ」


 ジネットは首を振った。


「もともとこの家は、アリエルが相続するとお父様も言っていたでしょう?」

「それはそうですが……」


 父はずっと、爵位しゃくいや家をアリエルに継がせ、代わりに父が会長を務めるルセル商会をジネットに継がせると言っていた。そのためジネットは、毎日商売の勉強にはげんでいたのだ。


(とはいえ、お義母様は商会についてはひとことも話していなかった……。はっ! もしかして、これもご褒美のひとつでは!?)


 などと考えていると、サラが口を尖らせてぼやく。


「旦那様が決めたこととは言え、私はやっぱりあのふたりは大っ嫌いですね! 失礼ながら旦那様は、女性を見る目が致命的に欠けていらっしゃいますよ」


 家同士の結婚であったジネットの母とは違い、義母は父がものすごく酔っぱらった日の夜に連れ帰ってきた女性ひと。性格も何も知らない状態で、あっという間に再婚が決まってしまったのだ。


「そうなの? 私を殺そうとしてこないだけ、とても優しいと思っていたのだけれど……」

物騒ぶっそうすぎません? そこまでいったら事件ですよ!」


 サラの言葉に、ジネットはくすくす笑った。


「それにね、サラ。この家の主人は、今もお父様のままよ」


 言いながら、ジネットはそっと小さな絵を撫でる。そこに描かれているのは、若き日の父と亡き母と、まだ赤ちゃんのジネットの姿だ。


「お義母様は亡くなったと決めつけているけれど、お父様は三度雷に打たれても死ななかったような方よ。諦めるなんて、早すぎるわ」


 父が行方不明になってから、まだたったの一週間なのだ。

 聞けば、父は隣国りんごくヴォルテール帝国に仕事で行った際に、雨でぬかるんだ道に車輪を取られ、馬車ごと落下したらしい。けれど馬車は発見されても、そばに父の姿はなかったとも聞いている。


「本当は私がお父様を探しに行ければいいのだけれど……女である私が出国するには許可証が必要だし、土地勘もないから。まずは信頼できる人に、お父様探しをお願いしないと!」


 言いながらジネットは気合を入れた。


 これからやることは山積みだ。まずは知り合いのおじ様たちを当たって、未成年かつ女性であるジネットを雇ってくれる人がいないか探す。それから生活基盤を確立しつつ、今度は父を探してくれそうな人を見つける。


(それから……)


 ジネットはもうひとつ、とても大事なことを思い出していた。


(クラウス様にも、私のことを!)


 クラウス・ギヴァルシュ伯爵。

 長年の婚約者のことを考えて、ジネットはぎゅっと手を握った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る