第2話 すべては教育のたまものです

 満面の笑みのジネットとは反対に、義母たちは明らかにうろたえていた。


「な……何を言っているの! あなたが家を出てやっていけるわけないでしょう!」

「そうよ、お姉様、ついに頭までおかしくなってしまったの? 野垂れ死にしてもいいの⁉」


 やいのやいのと、なぜかふたりの方がジネットより焦っている。


(ふふっ。お義母様たちったら、やっぱり心配になってきちゃったのね。確かに普通のご令嬢だったら、やっていけないかもしれないけれど……)


 ジネットはじっと目の前に立つアリエルを見た。


 彼女のように、大事に守られてきた令嬢が家を追い出されたら大変だ。

 落ちぶれてみじめな生活になるか、あるいはさらわれて娼館に売り飛ばされるかもしれない。

 なまじ貴族として育ってきた分、生活苦せいかつくには到底耐えられないだろう。


 けれどジネットは違った。


 なぜなら成金貴族であり一代で商会を大きくした父から、幼少期からじっくりと淑女しゅくじょ教育ならぬを受けてきたのだ。


 ――令嬢たちが初めてダンスを習った日、ジネットは帳簿の書き方を習っていた。


 ――令嬢たちが夜会で令息れいそくたちと恋の花を咲かせていた頃、ジネットは商人のおじ様たちと商談に花を咲かせていた。


 ――令嬢たちが宝石の髪飾りを眺めてうっとりする横で、ジネットはその宝石の価値を見極めようと目を輝かせていた。


 だからジネットは知っている。

 実家に頼らずに生きていく方法を。

 ひとりで生きていく方法を。


 父が、『何かあっても女ひとりで生きていけるように』という教育方針のもと、ジネットを育て上げたからだ。


 しかし残念ながら、義母と義妹はそのことを知らなかった。

 正確には、父がなんとかアリエルにも同じ教育をつけさせようとしていたのだが、本人が嫌がったらしい。


 帳簿の書き方よりもダンスを選び、商会のおじ様たちよりも見目みめうるわしい令息たちを選び、宝石の価値を見極めるより、うっとりと眺める方を選んだ。


 それは年頃の令嬢としては自然な行動だったため、父も特に無理強いしなかった。

 そうしているうちに、ジネットが日々行っている勉強は、アリエルにとって『変でよくわからないもの』になっていったらしい。


 そこまで思い出してから、ジネットはふたりに向かってニコッと微笑んだ。


「ご心配ありがとうございます。でも、大丈夫だと思います!」


 そう言うと、くるりと背を向ける。


 後ろから「待ちなさい!」という声が聞こえるが、一度決めたジネットはどこまでも猪突猛進ちょとつもうしんだった。


(私、一度実家じゃないところで暮らしてみたいと思っていたの! しかも、行き先は自分で選べるなんて! とてもワクワクするわ!)


 廊下を歩く足取りが、つい軽くなってしまう。鼻歌まで歌い出してしまいそうだ。


(さあ、急いで身支度をしなければ。こういう時のための隠し財産よね!)


 ――ジネットは長年、ただ黙ってやられてきたわけではなかった。


 食事を抜かれた日は、こっそり厨房に行ってご飯を食べさせてもらった。毎回お駄賃だちんと称してお金を渡していたら、最後には義母たちが食べる料理より豪華に。


 お茶会に連れて行ってもらえなかった日は、町娘にふんして侍女とともに下町を散策した。流行っている店や商売敵しょうばいがたきの店にもぐり込み、たっぷりとその技術を目で盗んできたものだ。


 掃除を押し付けられた時は、使用人たちに頼んで丁寧に教えてもらった。掃除がしやすいようにと新しい掃除道具を開発したら、えらく感謝された上に商品としてとんでもなく売れた。


 他にも、押し付けられた無理難題むりなんだいのおかげで新しい取引先を見つけるのが得意になったし、義母の罵詈雑言ばりぞうごんに慣れすぎているせいで、社交界での悪口はそよ風も同然。


(物を盗まれるのだけは厄介だったけれど……それも今考えれば、結果的によかったのかもしれない!)


 思い出しながら、ジネットは自室に踏み入れた。

 それから壁に埋め込まれた仕掛け装置を正しい手順で発動させていくと、カチッという音がして、隠し棚が開く。


 その中に入っているのは、盗まれたくない本当に大事な宝石類と、小さな鍵がひとつ。


 父は子供だからとジネットをただ働きさせるようなことはせず、働きに見合ったお金をきちんと渡してくれていたのだ。


 結果、銀行にはジネット名義の金貨がたっぷり眠っている。


 その金庫を開ける鍵こそ、目の前の鍵だった。


 ジネットは鍵をつまみ上げると、満足そうに微笑んだ。


(お金を隠しておいて、本当によかった!)

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