09_不自由と自由
「先生を傷ものしてしまうなんて……今回ばかりは反省しています。だから、身体で払おうかと……(ベシッ)痛いです、先生……」
今回ばかりは確かに困っている。
紗弓が言うように、『傷もの』にされてしまった。
話は今朝……いや、昨日の夜に遡る。
◆◆◆◆◆
「紗弓さん?もう、家に帰ったら?」
「今日は朝まで傍にいたいです……」
言葉だけならば、色っぽい状況なのだが、紗弓は単に俺の部屋でスマホのゲームをしているだけだ。
普段なら、食事の時間になったら隣の自分の家に帰る。
ところが、今日は食事の後、うちに来てゲームを始めやがった。
恐らく、百合子さん(紗弓のお母さん)に止められると思って、それが及ばない俺の部屋でゲームをしているのだろう。
「新しいやつ?」
「そうなんです。初回200連チャンに釣られて始めてみたら、意外にちゃんとしたRPGで、ムービーも多くて早く次が見たいんです」
「でも、もう10時だぞ?俺、風呂に入りたいんだけど……」
「私のことは気にせず、どうぞどうぞ!」
「嫌だよ。女子高生が見守る中、服を脱ぐおっさんは、ただの犯罪者だろう」
「では、私も一緒に脱ぐということで……」
「もう、お前はゲームしてろ!」
俺との会話中も一切画面からは目が離れない。
そう言った意味では、目の前で全裸になっても、紗弓は気づかないかもしれない。
もういいかと、服に手をかけた時、スマホが少しだけずらされて、紗弓の片方の目だけがこちらを見ていることに気づいた。
とりあえず、チョップしておいた。
「あいた!先生!痛いです!」
無視だ無視。
とりあえず、紗弓の首根っこ掴んで家に強制送還したあと、ゆっくり風呂に入った。
家に送り返すときに『裏切者ぉー』とか言っていたが、それも無視した。
なんだかんだで11時くらいまで俺の部屋(いえ)にいたので、寝るのが遅くなってしまった。
□□□□□
そして、今朝。
見事に寝坊した。
書類をまとめていたら寝たのは夜中の2時になっていたのだ。
うちの高校の勤務時間は、一応8時15分から17時00分になっているが、8時40分からSHR(ショート・ホーム・ルーム)をする上に、その前に時間割の確認、朝の職員会議、SHRで話す内容の確認などをやっていたら、間に合うはずがない。
必然的に早く行って、色々準備が必要なのだ。
対して、生徒たちは8時30分に教室にいればOK。
普通は教師の方が先に学校に行く。
ところが、今日は変なことが起きていた。
俺はいつもより遅く家を出た。
紗弓はいつも通りに家を出た。
そして、紗弓は少し早めに学校に着くように早めに家を出る。
こうして、俺の目の前を紗弓が歩いているという、俺にとっては非日常の光景が実現してしまった。
しかも、紗弓はまたスマホの画面を見ながら歩いている。
走って行って、頭にチョップを喰らわせたいところだが、外でやると『体罰』になってしまい、俺が社会的に抹殺される。
そう、一歩外に出たら、俺と紗弓は、教師と生徒。
それも、担任と生徒だ。
今や教師は生徒に触れることも許されない存在なのだ。
交差点に差し掛かって、みんな信号待ちしている。
まずい、俺が紗弓に追いついてしまう。
できるだけゆっくり歩いたが、結局信号待ちの紗弓の真後ろに来てしまった。
紗弓の隣の男子生徒がしゃがんで靴紐を結び直し始めた。
それを、スマホの画面を見続けている紗弓が『信号が青になったので進み始めた』と勘違いし、一歩目を踏み出した。
そこにタイミング悪く車が来ている。
『危ない!』そうおもったら、行動していた。
俺は色々考えずに紗弓の背中を引っ張って止めた。
紗弓は『ほえ?』という間抜けなリアクションをしたが、俺は無理な体勢から引っ張ったせいで、その場に転んでしまった。
「先生?」
「じゅ、十連地さん、歩きスマホは危ないですよ?」
「……すいません」
漸(ようや)くなにが起きたのか理解した紗弓。
素直に謝った。
まあ、もうしなければOKと許し、気が抜けたときに手をついたのがまずかったらしい。
(グギッ)「いだっ!」
変な角度で手をついたらしく、何もしなくても手が痛い!
紗弓がこちらを見て心配そうな顔をした。
「あ、大丈夫だ」
安心させるために、大丈夫そうな顔で言った。
そうは言ったものの、痛い。
割と激痛だ。
紗弓に心配させまいと大丈夫を装ってみたが、とにかく痛い。
学校に着いたら、すぐに保健室に行ってシップをもらった。
保健室にいたのは、例によって、胡桃沢先生なのだが、先日のこともあり、なんだかギクシャクした。
そして、その胡桃沢先生のアドバイスにより、病院に行ってレントゲンを取ったら、しっかり折れていることが分かった。
情けない。
自分で転んだ挙句、立ち上がろうとして骨折……
走ってきた自動車も、暴動自動車でもなんでもない。
異世界に行くこともなく、ほとんど何もしていないのに、地味に大けがをしてしまった。
午後には学校に戻ったが、利き腕なのですごく困った。
まず、チョークが持てない。
左手では字が書けない。
黒板に書く予定の内容は、プリントにして渡すようにしなければ……
キーボードも左手だけしか使えないのですごく不便!
ご飯は……左手で箸は何とか持てる。
遅いけど、食べることはできた。
トイレもまあ問題ない。
生活上困ることはあまりない。
とりあえず、学校でのことが大変なくらい。
○○○○〇
「えー、富成先生がケガしたのって紗弓ちゃんのせいだったの―!?(棒読み)」
(わざっ)
教室では、箱崎唯がわざとらしく大きな声で、成富先生のケガの原因が紗弓のせいだということが声高らかに公表された。
「……」
『どういうつもりですか?』と無言で抗議する紗弓。
「紗弓ちゃんを助けるためにケガをするなんて、男らしいですね(棒読み)」
「……」
まだかかりかねている紗弓。
「じゃあ、責任もって富成先生のお手伝いをしないといけませんねぇ!(棒読み)」
紗弓は、ハッとした。
「そうなんです。私は責任を感じています(棒読み)」
「では、今から職員室に行って、何か手伝えることがないか聞いてみましょう(棒読み)」
「そうしましょう(棒読み)」
その後、『十連地さん責任感あるよね』と評価が上がり、『富成先生って十連地さんを守ってケガしたんだ』と富成の評価も上がっていた。
こんな茶番が教室内で繰り広げられていることなど知る由もない富成。
職員室でコーヒーを淹れるのにも苦労していた。
●●●●●
「そんなわけで来ました」
「どんな訳か俺にもわかるように説明してくれ」
場所は職員室。
休憩時間に席に座っていると、紗弓と箱崎がやってきた。
「いいですね!富成先生!かわいい子に慕われて。羨ましいです!」
隣の席の唐原(とうのはる)先生に揶揄われた。
「勘弁してください」
「ははは」
「(オホン)で、なんだって?」
わざとらしい咳払いで仕切り直して、話しを聞くことにする。
俺は椅子に座っていて、二人が前に立っている。
なんか叱っているみたいな感じで嫌なんだが、座るところなんてない。
つくづく職員室って、教師と生徒が話をする場所じゃないんだよなぁ。
「先生がお困りだと思って、紗弓ちゃんが責任を感じて色々をお手伝いしたい、と」
(コクコク)箱崎が発言して、紗弓が頷く。
あー、そういうことか。
こんなことを考えるのは箱崎だろう。
策士なの?
孔明なの?
「で、お前は?」
紗弓は分かるが、箱崎は何だ。
やっぱり、策士?
同行?
「紗弓ちゃん一人では大変かもしれないので、お手伝いのお手伝いです」
色々考えやがる。
やっぱり、この子には勝てる気がしない。
「んー、具体的にはどんなことを手伝ってくれるつもり?」
「コーヒーを淹れたり、次の教室に荷物を運んだりです」
箱崎が、机の上に置かれたコーヒーカップを見ながら言った。
うーん、コーヒーはともかく、荷物運びは次の授業の教室から1人か2人手伝ってもらうつもりだった。
黒板に板書できない分、いつもより紙が多い。
紙って、意外と重いんだよなぁ。
箱崎が座っている俺の耳元に口を近づけて、俺にしか聞こえないくらいの声で追加した。
「えっちなことは、ご自宅で、紗弓ちゃんにしてもらってください」
一言だけ言ったら、さっと離れた。
「……」
この場では、何もコメントできない。
ツッコみすら許されない。
恨みを込めた視線を箱崎に送るのが俺の精いっぱいだった。
対して、箱崎はニヨニヨした視線を俺と紗弓に向けている。
ちなみに、紗弓はきょとんとしている。
嫌なコンビが出来上がっている。
「荷物は次の授業のクラスのヤツに取りに来てもらうので、その連絡をお願いできるか」
「了解しました」
紗弓はサムズアップで、箱崎はピースサインを出して、はさみの様に指をちょきちょきしている。
教頭にも確認したが、意外にもOKがでた。
紗弓の罪悪感解消を考えたのかもしれない。
こうして二人が俺を手伝っていても変じゃないという『免罪符』ができてしまった。
■■■■■
偶然のケガだったが、それを最大限に活用するのが、諸葛孔明こと箱崎唯。
制服の袖に『手伝い』と手書きで書いた腕章を付けている二人。
当然、紗弓と箱崎だ。
休みごとに職員室に来て、コーヒーを淹れてくれたり、書類を束ねてくれたり。
手が空いたら肩までもんでくれる行き届きぶり。
ちょっとした『接待』みたいになってる。
ただ、周囲の先生の目が痛い。
ここでチャンスととらえた紗弓が、朝一緒に登校するようになった。
『一緒に登校してみたかったです』と上目づかいで言われたら咎めることなどできない。
しかも、今の彼女は『免罪符』まで持っているのだから。
「夢がまた一つ叶いました」
「夢?」
「『彼氏と一緒にしたいこと100』というのがあって……」
「まて、100個もあるのか!?」
「そうですね、とりあえず叶ったものが4つあるので、あと96個です」
スマホの画面を見ながら答える紗弓。
恐らく本当に100個メモしてあるのだろう。
「ちなみに、どんなのがあるの?見せてみ」
「あ、スマホの画面を見ながら歩くのは危ないし、周囲に迷惑をかけると実感しました。ながらスマホはやめます」
さっとスマホをしまう紗弓。
実に都合のいい『いい子ちゃん』だ。
「叶ったやつは?」
「んー、『一緒のクラスになる』」
担任と生徒だがな!
「他は?」
「『一緒にお弁当を食べる』」
「あー、前言ってたなぁ」
「『近所を一緒に歩く』」
「花見の時か」
「『彼氏からアクセサリーをプレゼントされる』」
「ピンキーリングか。もしかして、そのメモに沿って時々『なになにがしたい』って言ってきてる感じ!?」
「バレましたか。『風邪をひいた彼氏の看病をする』はあったのですが、『彼氏にケガをさせる』はありませんでした。ごめんなさい……」
「あれは、俺が勝手にこけて、勝手にケガしただけだ。気にするな」
「……」
急にしゅんとした紗弓。
しょうがないから、外だけど、頭をなでてやる。
ちょっとだけ。
「『頭ポンポン』も実現しました」
俺は操られているのか!?
「他は?」
「そんな破廉恥なこと、公衆の面前で言えません」
「破廉恥なことなの!?」
「……とりあえず、先生の手が治るまでは保留です」
学校でのことはかなり助かった。
黒板に板書しない方法は、書く時間を短縮して効率化アップにもなった。
早く電子黒板の導入を頼む!
文科省!
一度データを作ったら、来年も使えるから教師も助かる。
紙に書くとか無駄な作業が減るので生徒も助かる。
驚くべきことに授業時間の約30%が短縮できた。
書く時間ながっ!
しかし、紙が1回の授業で1人10枚。
生徒が30人いるから毎回300枚必要。
早くタブレット導入を頼む!
文科省!
ご飯は、生徒指導室で紗弓と箱崎と共に食べる。
紗弓が、フォークで食べられるものにしてくれているので、食べやすい。
お茶は箱崎が淹れてくれるので、茶筒などを片手で開けるような難しいことはしなくていい。
やばい、この生活すごく良いぞ。
帰りは紗弓と一緒という訳にはいかないので、普通通り仕事を終わらせてから帰宅。
『ケガの間だけ特別』と言って、ご飯を作りにきてくれている。
百合子さん(紗弓ママ)は泣いていないだろうか。
「先生、あーん」
「食べるのは一人でできるわ!」
「でも、今日は豚の生姜焼きだし、お肉大きいので、ナイフで切る必要があるから」
絶対、箸だけでは食べられないメニューを選んだに違いない。
メインが生姜焼きなのに、汁物がクリームシチューってなんだ。
しかも、具がでかい!
ジャガイモなんか、丸々1個そのままの大きさで入ってるぞ!
「たまたまシチューもナイフで切って食べるタイプだから……」
クリームシチューに色んなタイプなどあっただろうか。
まあ、悪いことをしているわけではないので、おとなしく食べさせられることにした。
トイレは……俺が立ち上がるとほぼ同時に、紗弓が指をワキワキしながら立ち上がった。
「なにをしている!?」
「先生、お手伝いしますよ?」
「お前に手伝われた時点で、俺の目的は達成できなくなるんだが!?」
「?」
トイレは、学校でも一人でできてるから大丈夫なんだって。
逆に、手伝われると、出なくなるから。
ほら、色々変化するじゃん?
風呂は地味に大変だ。
一人暮らしなので、掃除もある。
掃除は、紗弓がやってくれた。
助かる。
ただ、女子高生が、靴下を脱いで裸足でうちの風呂を掃除している光景は、罪悪感が生まれるからできるだけ早く自分でできるようにしたい。
風呂に入るのは一苦労。
服を脱ぐのはいいのだけれど、手の包帯が濡れないように、ビニール袋に手を入れて、手首の部分に輪ゴムをかける。
そして、風呂に入るのだけど、頭が洗いにくい。
身体も洗いにくい。
特に背中。
悪戦苦闘していると、『おじゃましまーす』とかなんとか言いながら、紗弓が制服姿のまま裸足で風呂に入ってきた。
「こ、こら」
「大丈夫です!見ませんから!」
そう言って、目を両手で託しているのだが、指の隙間がめちゃくちゃ広がっていて、見放題になっている。
「あたまっ……と、背中……洗うだけですから……」
紗弓はこっちをチラチラ見ながら、顔は真っ赤だ。
いろいろ言っても全て白状しているようなもの。
俺はタオルを腰のあたりにおいて、最終防衛ラインだけは築いて頭と背中を洗ってもらうことにした。
一人ではどうにもならなかったし……
布団は自分では敷けない。
一人の時は、頑張ればなんとかなると思うけど、紗弓がいてくれるので、お任せした。
仕事も思ったようにできないし、早く床に入るようにした。
寝れば、少しでも早く治るような気がしたから。
俺が布団に横になると、紗弓が掛け布団をかけてくれた。
「色々ありがとな」
「いいえ」
その後、紗弓が部屋の電気を消してくれた。
さて、寝るかと思った次の瞬間、紗弓が布団の中に入ってきた。
「……おい」
「夜のお手伝いを……」
「『夜の』をつけるな。どんなことでもいやらしくなるんだ!」
「そんなはずはありません」
紗弓が布団をかけて、完全に床に入ってしまった。
「『お店』だと普通だが、『夜のお店』だといかがわしい感じになるだろ?」
「たしかに……」
「『家庭訪問』なんて、毎年春になると、小中高校と当たり前にあるのに、『夜の家庭訪問』になると、途端に厭らしさしかなくなる」
「たしかに!」
「『体操』なんて健康的な言葉も、『夜の体操』になると、怪しさ100%になる!」
「たしかに!!」
「だから、もう帰れ。もう助かったから」
紗弓が、俺のシャツをめくる。
「あ、こら」
「先生、私にどんな『夜のお手伝い』をさせたいですか?言ってくれれば何でもしますよ?」
「女の子が『なんでもします』とか気軽にいうな!」
とりあえず、紗弓を布団から追い出した。
「もう……」
今度こそ帰る準備を始めたようだ。
部屋の入り口でピタリと止まり、少しだけ振り返って言った。
「私も、もう子供じゃないので、気軽にじゃなくて、本気で言ったんですよ?」
それだけ言うと、ぴゅーっと逃げて行ってしまった。
恥ずかしかったに違いない。
あの調子で元気に迫られたら、いつか俺は陥落させられる。
今の状況は心地いいのだが、諸刃の剣でとても危険な状況でもあった。
次の日の朝、朝ごはんも作りにきてくれた紗弓。
弁当は鞄に入れてくれた。
もう、至れり尽くせりだ。
玄関から出ると、鍵も閉めてくれた。
学校への道すがら紗弓が話しかけてきた。
「先生と仲良くしていても変に思われなくなったのでよかったです」
「まあ、ケガの間だけだけどな。あと、それでも程々にな」
「どこらへんでバレるのか、チキンレースを……」
「するなよ!?絶対するなよ!?」
不穏なことを言い始める。
「それは、押すな押すな的な?」
「違うわ!絶対やるなの方!」
ほんの少しの間だけ、紗弓と一緒に登校できるみたいだ。
たまにはケガも悪くないかもしれない。
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