@yoshie0331

第1話 嘘をつく

いつからか信用できない人になった。小学校、あるいは中学校に入った頃だろうか。嘘をついている自覚がないのだと思う。むしろなぜそれを非難されるのか分からないのだと思う。「誰々がこう言っていた」という会話のほとんどは、自分の都合の良いように脚色され、それを聞いた本人は全く理解できない。なんとなく感じていたことを確信させたのは、彼女が家にあった本に書いてあったある芸能人のエピソードを、あたかも自分の経験かのように話したことだった。それはあまりにも特徴的なエピソードだったので、パクったことは否定できなかった。それを指摘すると、彼女は、むきになって「本当にそういうことがあった。」と主張したが、疑いは払拭できなかった。

 そのような小さな出来事が積み重なり、不信感は決定的なものになった。例を挙げればきりがない。例えば、ある時、彼女と祖母と温泉旅行に行ったとき、彼女の孫が部屋の障子を破りそうになった。それを見て、彼女は「破ったら高額の弁償を要求されていたね。」と笑った。その発言をした後、彼女は祖母に同じ発言をし、祖母は理解したのかどうかわからないまま何となく頷いた。その後、彼女は私に、「おばあちゃんが『障子を破ったら高額の弁償を要求されたね。』と言っていた。」と言った。祖母は何も言っておらず何となく頷いただけであるが、それを彼女は祖母の発言として話したことは、私には衝撃であった。なぜなら、私はずっとその場にいてそのやりとりを聞いていたのだから。つまり、彼女が自分自身でその発言をして、それを祖母に話し祖母が頷いたことをすべて見ていた私に対し、祖母の発言として話すという神経が理解できなかったのだ。

 自然に嘘を、たわいもない嘘をつけることも理解できなかった。温泉旅行で大浴場に行った際、彼女は間違えて脱衣所から他人の浴衣を持ってきた。それをその他人に指摘されたところ、彼女はとっさに「連れの者が間違えまして。」と言った。自分の間違いについて、あまりにも自然に「連れの者」の間違いにできること、それを目の当たりにしたことは衝撃で、さらに不信感を強めた。なぜそのようなことができるのか。自己防衛本能なのだろうか。

 不信感を強めることは会話の都度あった。誰かがこう言った、あなたが以前こう言ったという内容は、彼女の都合の良いようにデフォルメされていた。それを指摘するとむきになって反論した。

 おそらく何らかの障害、軽度であるが何らかの障害があるのではないかと思うようになったのは、私が40代に入ってからであった。彼女は、人とうまくコミュニケーションをとることができないようだった。習っていた絵画の先生、家政婦さん、通っていたマッサージの先生、いずれも彼女に反感を抱いてしまった。なぜ反感を抱かれたのか、自分のどのような発言が問題とされたのか、彼女は理解できなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

@yoshie0331

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る