ごちそうさまがありがとうになる物語
@METEO7
第一章 本質少女との出会い
「服って人間を形容するんだから、形容詞の一つでしょ?」
僕はこの言葉をどうしても忘れられない。この台詞は名もない女子中学生から発せられた。僕は学習塾で英語教師のアルバイトをしていて、元気いっぱいの個性的な回答は多く見てきたが、こんな予想もしない角度からの質問は初めてだった。僕の見えていないものが見えている感じがした。この子はきっといつか名を残すだろうと、そう思ったのだが、つい先日自殺をしたという知らせが入った。僕は彼女との記録をここに残したいと思う。残していく過程で、彼女が見ていた世界を僕も見てみたい。彼女はきっと見えすぎていたのだ。
「I have many clothes. はい、これ品詞分けしていくよー。I は主語だから名詞だな、have は動詞、many はたくさんのって意味の形容詞だな。じゃあ、clothesは何だー?形容詞が付いているんだから?じゃあ、田口。」
「えー、わかりませーん。」
くすくすと教室に笑い声が広がる。
「おいおい、これぐらい解いてくれよ。よし、じゃあ、日隅。」
「形容詞。」
「おいおい、形容詞は形容詞を修飾しないよ。形容詞が修飾しているのは何だっけ?」
「服って人間を修飾するんだから形容詞の一つでしょ?」
「え、いや、うーん。でも、clothesは名詞って決まりだからな。」
「決まりになんて意味はないでしょ?」
「えー、いや、どうだろ。ちょっとこの問題は後回しにして、先に進めるね。」
教室は変な汗が出そうなくらい静かだった。僕は日隅以外の適当な生徒に残りの問題を当てて、授業を終えた。
「日隅、ごめんな。答えられなくて。先生考えてくるからさ。」
「別にどうでもいいよ。先生の意見なんて。」
「ていうか、目上の人には敬語つかってね。」
「敬語なんて意味ないよ。大事なのは言葉を飾り立てるのではなくて、どう思っているかでしょ。」
「いやあ、でも決まりに従わないと苦しい思いをすると思うけど。」
「先生みたいに決まりにだけ従っているのも苦しそうだけど。」
「あはは、まあそうだね。」
日隅はきっと見ていたのだろう。僕が塾長に怒られているのを。
「おい、竜張。なんでお前はいつもいつもごめんなさいが言えないんだ。」
「ごちそうさまです。」
「ほら、またふざけて。別にこの校舎内でふざける分にはまだ許せるけどな、生徒の親御さんに対して謝らないのはまずいぞ。」
「ふざけているわけではなくて、いい間違えてしまうんです。」
「毎回毎回、いい間違える奴があるか。俺がどれだけお前のしりぬぐいに時間をかけていると思っているんだ。」
「ごちそうさまです。」
「おい、いいかげんにしろよ。」
おそらくこの時視界の隅に映った、興味深そうに見ていた女の子が日隅だったのだろう。日隅は僕が深々と塾長に向かって頭を下げたのを見ると、くるっと振り返り帰ってしまった。
どんなに仲が良くても、思いやり合っていても、心からの謝罪というのは必要になってくる。親しき中にも礼儀ありというやつだ。親しくないのならなおさらで、謝る必要のある場面でふざけたら、なんだこいつと思われてしまう。だから僕の親は僕が将来困らないように、小学生のときに精神科に通わせた。
「君は友達とケンカしたことがあるでしょ?その時のこと思い出して、どんな気持ちになる?」
白衣で身を包んだ女精神科医が優しそうな目で語り掛けてくる。
「なんか、暗い気持ち。」
「それを言葉で表してみて。」
「ご、ごちそうさま。」
優しそうな目が少し困った目になった。
「うーん。じゃあ、ご飯を食べ終わったらなんていう?」
「ごちそうさま。」
「それはどんな気持ちで言う?」
「どんな気持でもない。決まりだからいう。」
「最初の友達に対して思った暗い気持ちはね、ごめんなさいっていうんだよ。練習してみよう。ごめんなさい。」
「ご、ごちそうさま。」
困った目は困り果てた目になった。
「うーん。私には無理かもね。」
僕の周りには悪い大人はいなかった。ただ、決まりが存在するだけだった。
日隅の理論で行くと、人間を形容するものはすべて形容詞になってしまう。彼女にとっては骨格となるものはすべて人間で、それ以外のものはすべて人間を形容するためにあるものなのかもしれない。それで行くと、言葉になっているようなものはすべて人間のためにあるのかもしれないということになる。
次の英語の授業の日、僕と日隅は少し仲良くなった。
授業の準備時間にクラシックミュージックをイヤホンで聞く。こうしていると少し落ち着く。ロックとかはダメだ。気持ちが高ぶってしまう。ドア前に座っていたので、ドアががらりと開き、誰かとぶつかる。
「あ、ごちそうさまです。」
「先生、面白いね。ごめんなさいって言おうとしたんでしょ?」
「日隅か。先生はこれでも悩んでいるんだ。いろいろと、失礼になっちゃうからな。」
「そんなのどうでもいいじゃん。今ある決まりなんてものは些細なものだよ。人類が生まれてからなんて、相当の時間のうちのほんのちっぽけな時間だし、今ある決まりができたのなんて、そのうちのさらにちょっとだし。しかも、仮決めに過ぎないんだから。」
「まあ、そうだな。日隅はすごいな。まだ若いのに、先生の気持ちをちょっと晴らすなんて。」
「それも、くだらないことだね。年配者が役に立って、若い人が役に立たないなんて、縛られた考え方だよ。」
「そうかもしれない。ごちそうさま。」
「謝らなくていいよ。」
「ところで何聞いているの?」
日隅は僕のスマホを指さした。
「クラシックミュージックだよ。日隅も聞く?」
「聞かないよ。音楽なんて、意味のない音の配列でしょ。」
「そんなことないよ。ちゃんと理論があって作られてる。」
「その理論はきっと意味のないところから始まっているんだから、意味のないものの延長で意味はないんだよ。それよりは、日常の中で奏でられる音を聞きたい。」
「それは、なんで?」
「自然だから。」
「でも、人を楽しませるために作られているもののほうが、簡単に楽しめていいと思うけど。」
「そんなの全然真理じゃない。もっとあるはずなんだよ。この世で誰も知らない何かが。」
「あ、もう授業の時間だ。」
「先生今日一緒に帰ろう。」
時間が凍結しそうなくらい冷たい空気の中、日隅はふうっと白い息を吐いた。
「先生って呼び方だと、ほかの先生と区別できないから、ほかに呼び方考えるね。」
「まあいいけど、あんまりからかったのはダメだぞ。」
「竜張って苗字だから、竜ちゃん、うーん普通だな。チャンドラっていうのがいいかな。」
「そんな意味わからない名前の付け方あるかよ。」
「きっと、チャンドラはこの世の真理を表しているよ。」
「この世の真理はたった五文字で表せるほど単純じゃないだろ。それで、なんで一緒に帰ろうなんて言ったんだ?」
「チャンドラにお願いしたいことがあって。」
「なんだ?」
「私はチャンドラとまだこの世にないものを探す旅がしたい。」
「まだこの世にないものってなんだ?」
「それがわかったら、それはもう存在するでしょ。」
「長旅はできないけど、悩みがあるなら聞くよ。」
「悩みって言うか、大志なんだけど。」
「まあ、いいよ。どっかカフェでも入ろうか。」
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