第389話 誘拐

「ユイト=トールマンはどこに?」

「なんでも妻の出産が近いってさ。前線からいったん海岸沿いの本拠地に戻ったそうだ」

「そうか……じゃあ、やるか」




 アンジェロくんはマスターズ内ではしっかりした役職を持っているわけではない。

 姉であるレオナの仕事の補助をやったり、食事の提供の補助をやったり。

 もともとは歌手としての実力もあるのだから、レオナも彼が実力を発揮できていない現状を歯がゆくも思っていた。

 もしローズウィルが余計なちょっかいさえかけなければ……と思いはするが、過去をなかったものにはできない。


 ただ、どんな場所でも優れた芸術は人の心を揺さぶる力があった。

 食事の時に、廊下を歩くときに、ジャガイモの皮をむく時に、なんとなしに口ずさむ歌でさえ人々を魅了する力があるのだと仲間たちは思い知った。もともと歌うことは三度の飯より好きなアンジェロ君である。歌を聞きたい、聴衆を集めるから、金を払ってもいい、そんな声が集まれば、手すきの時に美声を聞かせることはままあった。


 例え、生まれた場所や信じる神、信条が違えども……水飲み場では肉食獣も草食動物も争わずにのどを潤すのと同じように、世に蔓延るいさかいを持ち込まず、ただただ美声に聞きほれるのだった。


「お兄さんすごいのぅ!」

「え? あ、はい」


 今日も今日とてアンジェロは手すきの時に歌を聞かせ、各種喝采を浴びたまま退場する。

 その際に何やら見慣れない童女の接触を受けたのである。よくよく見れば……ユイトやカレン、レオナなど『マスターズ』の面々から敬意を以て遇されているロリババアのアルイーおばあちゃんであった。

 ただ、その装束なのだが……本土のものではない。この『フォーランド』の現地人が着込んでいるようなものだ。モンスターが徘徊するこの地方では野外活動に適した長袖長ズボンのちょっと野暮ったい格好になる。だが彼女は『マスターズ』の同盟組織『ナイトオーダー』のチップでもあると聞いている。どうしてわざわざ、と疑問を持ったアンジェロであったけど……その理由に思い至り、顔にさっと緊張を走らせた。

 アルイーもまた、話を合わせろと言わんばかりにウインクを一つ。


「ええと。ぼくのファンになってくれた子でしょうか。ありがとうございます」

「うん、この件が終わったらサインくれんかの」


 野外に設えられた広場で歌い終わり、施設内部への道を歩くアルイーとアンジェロ。

 アルイーは年齢ウン100歳のおばあちゃんだがその眼には素直な賞賛や、美しいものに対する感動が満ちていた。サインが欲しいのは全くの本心である。

 ただ、アンジェロは顔に浮かぶかすかな恐怖と、その恐怖を御しようとする意志がせめぎあうさまを隠し切れなかった。


 からころ、と金属音を立ててアンジェロとアルイーの前を小さな円筒形の筒が転がる。

 内部から噴霧されるガスは恐らく催眠性だ。


「お兄さん!」


 アルイーが声をあげてひっしとしがみつく。大丈夫だとアンジェロは自分自身に言い聞かせた。この一見童女である彼女は、下手をすればユイト様よりも実力上位の武功に長けた超人なのだ。ある意味では核シェルターよりも安全な場所にいる。


 だがそれでも、体の芯から伝わってくる震えを堪えることはできなかった。

 無理もない。

 アンジェロは現在、その身柄を狙われているのだから。


 

 この時、ユイトは前線基地にはいなかった。

 カレンはそろそろ臨月を迎えつつあり、出産間近の状態であったため付き添いに戻ったのだ。

 最初こそユイトは『マスターズ』の代表として前線に残ろうとしたが……周りの人間が無理やりヘリに放り込んで蹴り飛ばすように送り返したのである。なので現在、『マスターズ』の前線で全体の指揮をするのはレオナになる。もともと『上』で嵐の騎手ストームライダーの直属部隊、その隊長候補としての教育も受けている。水準以上の実力は元からあるし、サンのバックアップもある。問題はなかった。

 事の発端は、数日前オーラから『極秘』『緊急』として伝わってきた通信からだった。


『こっち側の連中に妖しい動きをしてる連中がいるんだわ。これが』

「妖しい動き? どんなモノですの?」

『誘拐だ、あの……アンジェロっていう男……女?』


 アンジェロを見た人間は皆、あまりの性別不詳な外見に首をひねるのだが、オーラも例外ではなかったらしい。

 だが、そこは今はどうでもいい。……弟の身柄を狙う連中がいると聞いてレオナは眉間にしわを寄せた。冗談であればよかったが……ある程度は予想できていた。

 数か月前に神官が使っていたモンスターを誘因する物質。

 それがアンジェロの体に組み込まれた「パフューマー」インプラントを基にしたものなら、もしかすると狙われるかもしれない。

 レオナはこの話を聞かされた時に、即座にアンジェロを後方の基地に戻そうと思った。だがそれに待ったをかけたのは他ならぬアンジェロ自身である。

 

「あの……お姉ちゃん。ぼく囮になりますっ」

『……』


 アンジェロを想う姉としては断固拒否したいところだ。

 だがそのあと懇々とアンジェロから意見を聞かされうーん、と唸る。『フォーランド』の現地人は友好的に接してくれている。しかし本物の悪意や害意などはそうそう滅多に顔を出さないものだ。で、あれば――アンジェロを釣り針の餌に見立て、敵の勢力を一網打尽にする好機であるかもしれない。

 

 以前、『ビッグジョー』が強奪され、神官が使用しようとしたモンスターの誘引剤。

 それよりもっと強力な代物が必要な事態とは何だろうか? それを暴くためには実際に誘拐されてみて、犯人を確保し真相を引き出すのが最も手っ取り早い。

『シスターズ』という……今でこそ味方ではあるが、ブロッサムの小隊を爆弾に仕立てた非道は今もメンバーの脳裏に刻み付けられたままだ。

 ならば『フォーランド』の一部の現地人が何を目的としているのか、誰と戦うべきなのかはっきりさせるのは、今後の戦闘では重要になるはずだった。

 

 ……ここでの情報は喉から手が出るほどに欲しい。

 しかしそのためにはアンジェロを危険に晒す必要がある。結局、当人からの強い希望もあり、実行させることになった。

 

 ただし……オーラからの情報では誘拐の実行部隊は慎重に慎重を期す性格だという。

 マスターズのトップであるユイト=トールマンが現地にいる限りは手を出さないだろう――アズサやマコ、ユーヒにマイゴも同様の優れた使い手だ。彼女達がいても手は出すまい。レオナは二人にもいったん前線基地から離れるように指示を出した。

 なお、ミラ=ミカガミは脅威とみなされなかったようだった。当人は涙目でショックを受けていたが、まぁしゃーない……と誰も気に留めなかった。



『……この餓鬼が、なのか?』

『ああ。そっちの、一緒に連れた小娘はどうだ』

『通信機や発信機の類はなかった。追跡はされていないはずなんだが……』

『なんだが?』


 アンジェロは朦朧とした意識の中で、誰かが話している声を聴いた。

 目の前には地面。青臭い森のにおいが鼻腔をくすぐる。周囲には五人近くの男女。言葉の訛りから『フォーランド』の現地人たちだと分かった。

 

(……うまく行ってる)


 アンジェロは安心する。ここまでは問題なし。

 誘拐犯の言葉に耳を傾け続けた。


『うまく行った。うまく行き過ぎた』

『いいことじゃないか』

『なぁんか……不気味なんだよな。そっちの小娘はどうだ?』

『なんか妙なもんを懐に入れてたぞ。糸玉に縫い針が刺さってる』

『……刺繍道具を懐に入れてた子供かよ』


 ちらりと見ればアルイーも同様に横たわっていた。どうも関係のない子供を連れてきたことに嫌気がさしているらしい。

 男たちの一人がアンジェロの目の前にパイプ椅子を置き、腰かける。


「起きてるんだろう? 坊や。……寝てる時と覚醒時じゃ呼吸の音が違うんだ。

 君は大事な賓客だが、いう事は聞いてほしい」


 拳銃が放つ独特の重圧感を感じる。アンジェロは恐る恐る……ゆっくりと相手を刺激しないように頭をあげた。誘拐されることには慣れている。誘拐犯を刺激しないやり方は良く知っていた。実践する機会など二度と欲しくなかったが。


「どうして、ぼくを誘拐したんですか?」

「……」

「これで二度目です。けれどもパフューマーインプラントは希少だけどそこまで強力なものじゃ……」

「手荒な真似をして悪かったな」


 アンジェロの質問に対する答えではなかった。

 しかし言葉には明らかに謝意が含まれている。悪いと思っているのが伝わってくる声だった。アンジェロはいぶかしみながら相手を見た。


「……いいだろう、話しておくよ」


 だから……アンジェロが捕まってでも暴き立てたかった相手の動機を、これから話すぞ、と言わんばかりの態度には驚きを隠せないでいた。それは他の仲間も同様だったのだろう。


「おい、何を言ってるんだ! やめろ!」

「いや、彼ら『マスターズ』は本土でも余計者扱いされていたヴァルキリーが中心だって聞く。それに電力の支援もしてくれた。計画に必要だったとはいえ、飢え死にする可能性を仲間に押し付けたのは本当だったのに、助けてもらったんだ。

 彼らも本土人の被害者なら心は一つのはずだ。知ればきっと協力してくれる」

「……お話が、よく分かりませんが。ぼくを誘拐したのには、きちんとした納得できる訳があると……そう仰りたいんですか?」


 催眠ガスの効果から完全に回復したわけではないけれど、アンジェロは顔をあげながら尋ね返す。

 椅子に腰かけた現地人の男ははっきりと頷いた。

 ……興味はある。

 一度、誘拐されかけた。シマザキ都で歌手として生活していた時期。体に残った遺伝子疾患によって残る命数を数えながら生きていた。その時にヴァルゴ率いる薬死ヤクシの部隊に襲われた。その一件にも何らかの事情があるなら知りたい。


「君は、本土人が憎いはずだ。憎いだろう? なら俺たちの……神官様たちが進めている計画を手伝ってほしいんだ」

「計画……?」

「ああ。『フリーパス計画』という」


 それが、自分を誘拐しようという目的なのか? 


「フリーパス……ですか?」


 それがどういう意味を持つのか。

 そこにアンジェロの体にあるインプラントがどう関係するというのか。様々な疑問はあったが、こっちに好意的な相手からなるべく多くの情報を抜き出そうとしたその時だった。

 ばしっ、と椅子に座った男の脳天から墳血し崩れ落ちる姿が目の前に広がる。

 撃たれた? サイレンサー? どこから?


「あ?! なんだ、もう追手が?!」

「馬鹿な、どうして!」


 彼らの恐怖と憎悪の声が響く。

 アンジェロは一瞬戸惑った。

 ……誘拐されたのは水面下で進行する策略を明るみに出すため。なら彼らは貴重な情報元でなるべく生かしておきたいはず。なら、マスターズの救助部隊ではない。


「別勢力です! マスターズじゃない!」

「おや……目端聞きますね、あなた」


 敵の言葉を無視して、誘拐犯の一人がアンジェロの首根っこを掴んで近くの木々の陰に隠れる。同じようにアルイーも、だ。「ぐえぇ」とくぐもった悲鳴が聞こえたが、仕方ない。

 アンジェロは視線を声のした方向に向ける。

 女が立っている。それも数名――以前、自分の元主人だったローズウィルの部下が着込んでいたのと同じ、最新鋭の強化スーツ。光学迷彩で姿を隠していたヴァルキリーたちが偽装を解除して姿を現した。数は幾らだろう、片手の指で数えるには多く、両手の指で数えるには余る。目の前で人が殺されて動転した心理状態では、アンジェロはうまく数を数えられなかった。

 そのリーダー格の女の顔、強烈な印象を残す火傷の後。聞き覚えがある。


「『シスターズ』の指導者ネイトに、カーミラ部隊……?! どうして……!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る