第13話 初恋の終わり
ふわっ、とユイトは再び重力の感覚を取り戻した。
おのが肉体の中心に熱く鋭い塊がぐるぐると竜巻のようにうねっている。少し前までは経絡を内から傷つけ、肉体を焼き尽くそうとする暴威だったが、今では完全に飼いならされ、氣の一部と化していた。
生きている――ユイトは不思議な感慨を覚えながら、いまだ空を覆う黒雲を見上げ。
そして地上へと再落下をはじめた。
ああ。これはいけないとわかっていても……走馬灯の第二幕を止めることができない。
致命的な雷撃から生き延びたが、今度は墜落して地面に叩きつけられて死ぬ。
どうにかして生き延びようと努力すべきなのだが、大神功の完成に全精力を使い果たしていて指先一つさえろくに動かない。いや、そもそも万全の体調であろうとも、空中から地面に落下すれば……まぁ、死ぬだろう。
己の中に宿る力が竜のように強大だという自覚はあるけれど、どれほど竜が強くても今はまだ目覚めたばかりの雛鳥で、空を飛ぶ術さえわからない。
どうする。どうする。どうする――切迫するその目に、自分目指して飛翔する、アウラの姿が見えた。
ユイトが雷に撃たれる様は遠くからでもはっきりと見えた。
雷雲を切り裂くような紫雷。本来なら一瞬だけ輝く雷電は、実に数秒ものあいだ血管のように空中へとその輝きを焼き付ける。
「あれは……」
緊急停止コードから肉体の自由を取り戻したアウラは起き上がり、空を焼くような竜のごとき紫電を見た。
頭部ゴーグルのカメラアイを遠望モードに。その雷撃の中に存在する人影を見た。
落雷のエネルギーはすさまじい。10億ボルトもの大電流を数秒間照射され続ければ、人体などひとたまりもない。
だが、一瞬でチリに還るかと思った人影は――恐るべきことに人体の形を保ち続けていた。
あり得ない。それでも彼女の視覚に飛び込んでくる光景は、そのあり得ない事態が起きていると知らせてくる。
数秒間の雷撃を受け、その人影が地上へと向けて落下を始める。
このあたりは切り立った渓谷が多く、谷へと落下すれば命はないだろう。
「あ……」
だがそこで、高性能のカメラアイは雷電に撃たれ、落下を始める少年の顔をはっきりと捕らえた。
その顔を見た瞬間、助けなければならないと命令がアウラの全身を駆け巡る。
空間圧縮によって格納された武装コンテナから空戦フレームを瞬時に展開し着装――後背から膨大な推進炎を放出しながら飛翔した。
遠くから見れば彼の肉体がぼろきれ同然であることは分かる。
それでも推進炎を噴き上げながら迫る轟音に、少年の視線が振り向き、顔に確かな喜びの色を浮かべる。
「ああ、ああっ!」
アウラの精神は使命感と幸福感で満たされた。
求められている。彼がほほ笑んでいる。自分の行動は主人である少年の意にかなったのだ! すぐさま助けるための治療用薬剤を無針注射器に装填する。
空中で少年を受け止め、推進器を下に向けて推力を小刻みに噴射。体の負担にならないように気遣いながら薬剤を注入する。
これで一安心だと感じながら、アウラは少年を抱えながらやさし気にほほ笑んで、彼の眼差しが自分を見つめるのを待ち。ゴーグルを解除して素顔を見せた。
ああ、これは夢なんだろうか。それともいまだに瀕死の重傷を負った自分は末期に幸せな幻視を見ているのだろうか。
ユイトは薄れゆく意識の中で、幼い頃に恋い慕っていたヴァルキリーが自分を助けてくれる光景に幸せを感じた。
「アウラ姉さん……」
手を伸ばし、名前を呼ぶ。
ユイトはこの時、前人未踏の大神功を会得していた。
養父トバが実現を夢見た、至弱より至強にいたる雷霆神功の完成。
だがその肉体は全身を走る雷電の影響によって疲弊の極みであり。そして肉体に雷竜を住まわせたゆえか、指先からバチバチと雷が爆ぜた。自分の肉体の変化に驚く心がないわけではないが、それよりも……初恋の人と再会できた喜びが勝る。
夢なら醒めないでくれ。これが死の間際に見る光景ならこのおだやかな気持ちのままで終わらせてほしい。
かつては自分を守ってくれた彼女はユイトの手を取り、やさしく微笑んだ。
そして。
淡い初恋は。
もっとも残酷な形で幕を閉じた。
「お怪我はありませんか、レイジ様」
ユイトは心臓の音が止まるのを感じた。
指先から血が凍る錯覚を得た。
目の奥底から泣きわめきたくなるような涙の衝動があふれてくる。
泣かなかったのは意地なのか。
それとも疲弊しきった肉体は涙を流す余裕さえなかったのか。
落胆が、絶望が、喉奥からせりあがる。
愛が報われないのは仕方がないと諦められた。
嫌悪や憎悪を向けられるかもしれないと覚悟はしていた。
自分の事を何一つ覚えていなかったとしても、構わなかった。
だが。
ああ。だが。
いくらなんでも、あんまりじゃないか。
双子の兄弟でレイジ兄さんと同じ顔をしているとしても、着ている服も髪型も違う。
見間違う要素なんてどこにもないのに。
(君は、俺のことを……)
……雷に撃たれた。
激痛で何度も死ぬかと思ったし、実際に何度か心臓が止まる感触もあった。
さっきまでは、人生でもっとも過酷な痛みだと確信していた。けれど。
(兄さんの代わりに……するんだね)
だが、この世に――愛する人に名前を忘れられ、代用品として扱われること以上の残酷な苦痛など存在するのだろうか?
これが悪夢なら醒めてくれ。
疲弊しきった肉体は、絶叫さえ上げられぬまま意識を失った。
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