男子中学生2人、サイハテの島にて

神鷹マキ

邂逅

潮の匂いが鼻をつく。

海岸沿いの下り坂を自転車で滑走していると、もう8月も終わるというのに、照りつける陽射しが苦にならないほど、全身を切る風が心地よい。

俺の住んでいる場所は、日本の西の果て。

そこにある小さな島だ。

と言っても、周りにある群島の中だと頭一つ抜けた面積を誇っているし、小さな島、と言ってもテレビで見るような無人島に毛が生えたような島ではなく、人口は約3万人。コンビニもあるしカラオケもある。田舎の中でも都会、みたいな感じの場所である。だけど俺からしてみればこんなところクソオブクソである。

服屋は無いし、そもそも休日に出かける場所がない。ファミレスはあるがおしゃれなカフェなんてものは存在しない。ゲーセンはあるがラインナップが終わっている。この島にある全てのものが、「無いよりは良い」その程度だ。友達と遊びに行くにしろ、場所が限られすぎている。家でネトフリに興じていた方が幾分かマシなレベルである。

交通事情もあまり芳しくはない。電車は無いし、バスも1時間に1本程度で使い物にならない。フェリーで本土に行くにも時間がかかるし、金もかかる。

つまり、遊び盛りの男子中学生からすればクソを煮詰めたような場所なのである。


「あー、早く大人になりたいな。」

潮風を感じながらつぶやく。

太陽の光を反射し、キラキラと輝く海面は、腹が立つほど美しい。

でも、俺はこの島が嫌いだ。


火山活動によって隆起した、島特有のリアス式海岸に沿った坂道を、1回くだって2回のぼったところに俺の通うF中学校はある。

一学年3クラスそこそこ。多分島の中で一番大きい中学校だと思う。

田舎と言っても、ほんとに少人数になる学校は島内でもほとんど残っていない。

たまにテレビで特集される「全校生徒7人!」のような学校はほとんど廃校になっているのが現状である。事実、今通ってる中学だって8年前までは6クラスあったのだ。

それが今は3クラス。過疎は深刻である。

しかし、たまに親の仕事の都合で島にやってくる子供達が居る。通称、転勤族。

俺は可哀想だなと思うけど、本人達はちょっぴり長い帰省気分なんだろうか、同じクラスにも何人かそういった人達がいるが特に田舎暮らしに不満を持っている様子はない。まあ、数年もすればまたどっか行くんだろうし、何かあればいつでも家に帰れるしね、と思う。

島にいることがイレギュラーである人達が、俺はずっと羨ましかった。


父親は居ない。母と俺を捨てて俺が生まれる頃には音信不通になっていた。顔も知らない。生きてるかも分からない。

母は祖父母が暮らすこの島で、祖父母たちの力を借りて俺を育ててきた。

もし祖父母が、この島で暮らしていなければ。

もし父親が、俺達を捨てなければ。

もし母親が、母ひとりの力で育ててくれていたならば。

俺は、こんな狭い世界に縛られていた事もなかったかもしれない。


吐き気がするほどの陽射しと澄み切った青空の下で、ドロドロとした感情と、ペダルを踏み込む度に吹き出す汗にイライラしながら上り坂をのぼると、中学の校舎が見えてくる。

俺の住む地域には中学生があんまりいないから、この通学路を使っているのはほぼ俺一人である。おかげでグッショリと汗で濡れ、肌に張り付いてしまった薄手のカッターシャツと、息を切らしながらペダルを漕ぐ姿を誰に見られることもなく登校できるわけである。

F中の始業式は8月31日だ。世間の小学生達が夏休みの宿題を急いで終わらせる日に、俺の学校は始まるのだ。通っていた小学校では9月1日が始業式だったし、世間一般的にも9月1日が始業式だと認識していたので、なんで8月の終わりに二学期が始まるのか疑問だったが、F中では8月31日に始業式を行い、9月の始まりピッタリから二学期を始めるのがちょっとした伝統らしい。同級生に聞くと、どうやら親の世代から既にそうらしいのである。全く変な伝統があるもんだと思う。


学校に着いて敷地内の駐輪場まで自転車を手で押して進んでいると、後ろから同じクラスの女友達である阿賀野カオリに声をかけられた。

「ミカンおはよう!8月も終わりやのにまだ全然暑かねぇ。」

「ほんとに暑か。汗で制服ぐっしょりやし。っていうか、カオリもチャリ通やったっけ?」

「部活ある日はね。無い日は歩きやけど、弓道場遠かけん、部活ある時だけチャリンコ。」

うちの学校には弓道部がある。と言っても、弓道場自体は学校に併設されておらず、学校から自転車で20分程の距離にある公園の弓道場をF中弓道部の活動場所としている。そしてこの阿賀野カオリ、弓道場の部長でありF中の生徒会副会長である。何気にハイスペなのだ。俺の友達は。

自転車を駐輪場に置いて下足箱へ向かっていると、そういえば、とカオリが切り出す。

「生徒会の用事で一昨日学校来たんやけど、敷島先生に声かけられて....ほら、生徒会の敷島先生。あの人図書委員会の担当やろ?そしたら『秋津さんに一学期借りてた本出来れば早めに返しとってって伝えて』言われたんやけど、ミカンもしかして一学期に借りた本借りっぱじゃない?」

あ、と思わず声に出る。そういえば夏休みに入る前に借りてた本を返し忘れている。うちの学校は紛失防止のため、夏休み期間中の本の持ち出しは禁止されている。一学期の終業式の日までが返却期限のはずだがすっかり忘れていた。あんた図書委員でしょう、とカオリが苦笑する。


下足箱は登校してきた生徒で混雑していた。

「敷島先生に、放課後返しに行くって言っとって」

履いてきた靴を靴箱に入れ、靴箱の中から取り出した上履きに履き替えながら言う。

「分かった〜。じゃあうち生徒会室に用あるから」

既にさっさと上履きに履き替えていたカオリは下足箱を左に曲がって生徒会室へと向かっていった。

下足箱の正面に階段がある。俺達2年生の教室は3階だ。

階段を上がる前に先程カオリから言われたことを思い出す。放課後に本を返しに行かなければならない。そして俺は、返却期限をまるまる夏休み分忘れてしまっていたレベルで自分がうっかりしていることを自覚している。

通行人の邪魔にならないよう、階段横のスペースに腰を下ろす。背負っていた通学カバンから筆箱とオレンジ色のメモ帳を取り出し、「放課後 本 返す」とメモし、閉じる。

このメモ帳は色々とうっかりしがちな俺の生活を支えてくれている。

些細なことでもメモしていれば忘れない。

ただ今回の返却期限忘れはメモ自体を忘れていた為起こった悲しい事件だ。

これをくれたのはカオリだ。

カオリとは幼い頃から家が近所で小5の頃にカオリの両親の都合で中学の近くまで引っ越すまではよく一緒に遊んでいた。所謂幼なじみである。

「ミカンはぼーっとしがちだからね」と言いながら去年の誕生日にこのメモ帳をくれたのだ。

ミカン、というふざけたあだ名をつけたのもカオリ。本名が秋津美夏だから、下の名前をモジって、ミカン。あだ名も本名も女の子っぽいなと思う。このせいで何度かバカにされたことがある。いじめには発展しなかった。それだけが救いだけど。

母に、美夏の名前の由来を聞いたことがある。母は晩御飯を作っていた手を止めて言った。「まだ、あんたがお腹の中に居るのも分かってなかった頃。ある夏の日に、あの人と一緒に歩いてた時、『もし子供が出来たら名前はどうする?』って聞かれたの。私は男の子でも女の子でも、どっちでも通用する名前がいいって言ったわ。そしたらあの人が、『じゃあミカにしよう』って。なんでミカなのかは分からなかったし、それからどんどん私とあの人の関係性は悪くなって行ったんだけどさ。今思えばあの時なんでミカなのか聞けばよかったね。あんたが生まれたのはあの人と連絡つかなくなってからだったから、別にあの人の命名に習わなくても良かったんだけど、あの時、あの人と一緒に歩いた夏はちゃんと私の良い思い出だから、大切にしようと思って、美しい夏で、美夏。」

その話をしていた時の母は楽しいような悲しいような顔をしていた。

それを思い出すと思わず顔をしかめてしまう。これから1日が始まるってときに思い出すエピソードじゃないな。閉じたメモ帳をカバンに入れ直し、階段を上る。踊り場の壁にかけられた時計を見るともうすぐホームルームが始まる時間だ。1度考え事をし始めると時間を忘れてしまうのも俺の悪い癖だな、と心の中で苦笑する。

階段を上っていると、後ろから生徒会室での用事を終わらせて、小走り気味のカオリに声をかけられる。

「おっそ。まだこんなとこ居たの?カタツムリか君は。あとなんか暗くない?気のせい?」

カオリは昔から人の感情を見抜く特技のようなものがある。

「気のせいだよ。」

笑って誤魔化しながら返すと同時に、ホームルーム開始3分前のチャイムが鳴った。


始業式は何事もなく終わり、昼前に放課のチャイムが鳴る。担任の話も終わり、帰りの挨拶を学級委員が行う。他の教室からもガタガタと起立する音が聞こえてくる。

挨拶が終わったあと、俺は借りていた本5冊を机から取り出して、教室を出る。下校する生徒達がノロノロと喋りながら階段を下るのを追い越しつつ、早足で図書室へ向かう。

図書室は1階の階段を下りて右(下足箱側から見れば左)に曲がった廊下を真っ直ぐ進んだ先の突き当たりにある。ちなみにその横が生徒会室だ。


図書室は流石に閑散としていた。普段なら放課後本を借りに来る生徒や図書室で課題を行う生徒も居るのだが、昼前に学校が終わった日の図書室は人が少ない。休み明けにある実力考査も関係しているのだと思う。図書の敷島先生もおらず、本棚の整理をしている図書委員であろう他学年の生徒がチラホラといる程度だ。彼らだって委員会活動が終わればすぐに帰るのだろう。

カウンターの中に入り、パソコンに自分の生徒IDを打ち込む。図書委員たるもの、自分で返却手続きをするくらい簡単なことだ。

返却手続きを済ませると開架に本を戻さなければならない。返却棚もあるにはあるのだが、夏休みまるまる1回分返却期限を過ぎているのだから自分で元の棚に戻すのが礼儀である。

借りていた本は全て俺が一番好きな作家が書いたものだ。

有明はる。

出している本ほとんどが恋愛小説であり、特徴的な文のタッチや含まれる謎のSFっぽさは、有明はる特有のモノである。俺はこれが小5の時からの大好物なのだ。有明はるを語るにあたって『図書館』シリーズは欠かせない。主人公の本好きな少女と元自衛隊員の司書の恋の話なのだが、またこれがたまらんのだ....

話せば長くなる。


うちの学校はあ行の本棚が図書室最奥にあり、あ、か、さ、た、な...と奥から順に作家名で棚が分けられている。わ行の作家が一番入口から近い。

ラミネートを施されて棚に貼られている作家名識別のシールを確認しつつひらがなの行を「は、な、た、さ、か...」と心の中であいうえお順を逆から呟きながらあ行の棚に到達すると、有明はるのコーナーの前に見覚えの無い男子生徒が居た。

男子生徒がこちらを向く。

雷が落ちたかのような衝撃。

あまりの衝撃に、手の力が緩み、持っていた本が床に落ちる。

こんな人、世界に存在してるんだと思った。

健康的に焼けた肌、上げた前髪。芸能人にも引けを取らないような端正な顔立ち。長いまつ毛。夏服の袖が通された筋肉質な腕。

「顔の良い陽キャ」

頭にイメージされたのはそんなちゃちな単語だ。

初めて見た。居たんだ、こんな人。

学年はどこだろうと思って、学年ごとに側面のラインに入っている色が違う上履きを見る。その人のラインの色は青だった。F中の学年色は1年が緑、2年が赤。3年が青。

その人の上履きは青。

一個上。先輩か。

同学年ではみんながみんな幼なじみか小学校からの顔見知りだ。見慣れている。だからこそ今更自分の心が動くことは無い。だけど、先輩となると話は違ってくる。名前も顔も知らない先輩なんてゴロゴロ溢れてる。

なかなか本を拾わない俺を疑問に思う顔をこちらに向けたその人を見て、俺は自分のセクシャルを思い出す。マジか。こんなことあるんだ。

ドストレート、三振。バッターアウト。

俺は、その人に、恋に落ちた。

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