周囲に飛び散ったサン






 ヴィクトリア・シグーリナと共に伯母の喫茶店で働き始めてから少し経った。


 主に土日は大体シフトを入れて、気分次第で平日も働いている。

 出なかったら出なかったで燐世お付きの侍女が入ってくれるので、恵まれ過ぎた職場と言えよう。


 俺の教育係でもあったセレンから、一通り仕事を習ったヴィクトリアは、既にこの喫茶店に馴染んでいる。

 要領が良く、物覚えも良い。ただ愛想だけは欠片もない。

 男性客の一部は、彼女の無情の冷たさすら感じる眼差しを受けて、密かに氷の女王なんて呼んで崇める者もいた。


 時間の経過に比例して、少しずつ客が増えてきたように思える。

 決して思い込みではなく、明らかに客の入りが良くなっていた。


「瑠美奈くん、写真撮っていい?」


「なんでですか?」


「お願い! 自分が見て楽しむだけだから!」


 よく来てくれるOLが、撮影してもいいかと尋ねてくる。気は進まないが、盗撮されるよりはマシだと、許可した。

 女性客の中には俺のことを盗撮して来る者もおり、うんざりしていた。自意識過剰ではない。SNSでぼかしも無しに上げられていたのを、燐世に教えてもらった。

 客が増えてからと言うものの、写真をせがまれることが多くなった。そして、それはヴィクトリアも同じだった。


「ヴィクトリアちゃん、お願い! 写真撮らせて……!」


「嫌です」


「うぐっ……」


 許可を貰えればヴィクトリアの写真が、許可を貰えなければ冷たい視線が。どちらもご褒美の無敵男にとって、ヴィクトリアはまさに潤いを与えてくれる女王であった。

 客が増えてくると、必然的にゴミみたいな客も紛れ込んでくる。


「ご注文をお伺いします」


「あー、ごめん。あんたじゃなくて、あっちの女の子に来てもらっていい?」


「は?」


「いやだから、あそこの女の子に来て欲しいんだって」


「そういうシステム無いんで。ご注文の方お願いします」


「ちっ、うぜーなマジで」


 死ね。

 感じ悪い態度でオーダーしてきたナポリタンを、男の顔面に叩きつけたい欲求を抑えながら提供。

 追加でコーヒーとパフェを平らげた男は、しかめっ面で会計をして店を出る。二度と来るな。

 一人撃退すればまた一人。一難去ってまた一難。

 ヴィクトリアはすぐに別の男にからまれる。


「ヴィクトリアちゃん、連絡先教えてよ」


「すみません。出来ません」


「えー、お願い、マジで。友達からって奴」


「困ります」


「お客様、彼女は仕事中なので引き留めないでください」


「なんだよ。いいだろ、今空いてんだから」


「お止めください」


 一歩前へ出て圧を掛けると、男は気まずそうな表情で萎縮し、顎を引いて押し黙った。


「コーヒー、おかわりしますか?」


「…………はい」


 仕事に戻れとヴィクトリアにアイコンタクトで伝えようとすると、いつもの氷漬けの無表情をとろとろに蕩けさせて、うっとりしている彼女の表情が目に入った。視線が合うと、慌てて顔を逸らしていつものお澄まし顔に戻る。


 え、何その顔。


 初めて見る表情に、ギャップえぐすぎて思わず心が揺れる。


 その後も、ヴィクトリアの影響は留まるところを知らなかった。


 三時間ぐらいずっとコーヒーをおかわりしながらヴィクトリアを眺め続ける者。

 やたらとお菓子をヴィクトリアに差し入れようとする者。

 呼び止めるフリをして、わざと体に触れる質の悪い者さえもいた。

 

 ヴィクトリア関係で問題が起きる度に俺は割って入る羽目になり、短気すぎる社会不適合者の客と殴り合いになったこともあった。


「いつもごめんね、藍川」


「謝るならもう少し申し訳なさそうな顔をしろ」


 ヴィクトリアが客にダル絡みされることはもはや日常だった。

 悪意の有無に関わらず、大層嫌な思いをしている筈なのに、客に絡まれれば絡まれるほど、ヴィクトリアは幸せそうな笑顔を浮かべる。頭バグってんの?


「伯母さん、最近治安悪いっす」


「がんば」


「ヴィカ、別の仕事探したら?」


「やだ」


 取り付く島もない。

 燐世は【私が考えた最強の喫茶店】にいることで満足しているので、客の質とかはよほどひどくない限りどうでもいいと思っている節がある。困った店長。


 ヴィクトリアはいつの間にか誰かが呼び始めた氷の女王の二つ名で有名になっており、働く姿を収めた盗撮画像がSNSに出回りまくっていた。この職場、スタッフの写真出回りすぎたろ。

 挙句の果てにテレビの取材も来た。地上波での放送は大分後になるらしいが、放送されたら大変だ。このクソ立地でも大繁盛してしまう。


「ねー、瑠美奈くぅん。ヘルプ~」


「なんですか」


「聞いてよ。今日上司がさあ――」


 鬱陶しい女性客も多くなって来た。適当にあしらうも、カウンター席に着いているので完全無視も難しい。

 キッチンの客から見られない位置で、溜息をつく。


 あの楽園のようだった労働環境はどこへ。人生、そんなに甘くないということか。

 身内のぬるま湯は瞬く間に超高熱になってしまった。時給は良いし、最近は燐世の侍女が常駐してくれており、混雑していても別に忙しくないから依然として恵まれた職場ではあるのだが……。


 よし頑張ろうと、気合を入れ直した所で、カランカランと、来客を示すベルの音が鳴った。

 二人の女性客が入店してくる。


「いらっしゃいませー……?」


「う」


「あ」


 二人の女性客の内、一人は仁和令明の【天使】シャルロット・グランデだった。

 そして、シャルロットの後ろにはもう一人シャルロットがいた。


 そんなわけがない。


 冷静に考えればすぐに答えに辿り着く。

 彼女は一卵性双生児なのだろう。


 あと、何で君ら二人とも顔引き攣ってるの?


「どっちがロッテ?」


「わ、私がロッテ」


 グランデ姉妹は服も髪型も同じすぎて、目印がなんもない。目を離したらどっちがどっちだか分かんなくなりそうだった。


「ふーん」


「藍川くん、ここで働いてたんだ……」


「ああ。ヴィカもね」


 キッチンにいるヴィクトリアを親指の先で示す。


「あ、紹介するね! こ、こっちが姉のエクレール・グランデ」


「え、エクレールです……エクレアとか、レイって呼んでください」


「藍川 瑠美奈です。よろしく」


「よ、よろしくね、藍川くん」


「なんでそんなに動揺してんの?」


「ど、動揺してないもん!」


「本当?」


「本当! ほら、早く案内する!」


 初対面なのに、距離感が完全にシャルロットと同じだった。


 こいつら、やってんな。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る