「42」苦労の果てに
俺は朝一番に病院に到着したものだ。
行きよりも帰りの方が速く感じられた。実際、時間的にも帰りの方が短かった。
上り坂が多かった分、帰りはその逆──おまけに、深夜で人の姿がなかったのでスピードに乗ることもできたように思える。
ゴールに到着したところで、一気に疲労が押し寄せてきた。その場に倒れ込みそうになったが、体に鞭を打って踏ん張り、足を動かした。まだ、ハズィリーにこれを届けるまでは気が抜けない。
病院の入院棟の入り口にまで移動する──そして、予想していたなかった事態に直面する。
──入れない。
病院が開いていなかった。
面会時間は患者のことを考えて昼近くにならないと無理だ。病棟に入ることすら許されず、自動ドアの前に立っても扉は開かなかった。
「そんな……」
ここまで頑張ったのに──。
入り口に守衛の警備員がおり、俺は声を掛けてみた。
何とか中に入れないものかと頼み込んでみたが、「規則だから」と一蹴されてしまう。
「すみません。それじゃあ、これを渡してもらえませんか……」
そう言って萎れたヒマワリの花を見せるが、気味悪がられただけであった。
「また来てもらえないかね? あんまりしつこいなら、警察を呼ぶよ」
警備員から忠告を受け、俺は身を引くことにした。
そうなっては面倒だ。
さらに、ハズィリーに会いに行くのが遅くなってしまう。
俺は植木の囲いに腰掛け、病院の建物を見上げた。五階の窓ガラスを見る。
そこがハズィリーの病室かは分からないが──早ければ、彼女は目覚めているはずである。
無事に、意識を取り戻したであろうか──。
「あら……?」
誰かが声を上げた。
自然と、俺の視線はそちらに向いた。
私服であるが──昨日、ハズィリーの病棟で話しをした看護師の女性だ。
「貴方、昨日、白井さんのお見舞いに来ていた方よね? そんなに心配なの?」
あの時もそうだが、日を跨いでもハズィリーの見舞いにきた友人として憶えていてくれたらしい。
「随分と顔色が悪いけれど……大丈夫?」
間近で俺の顔を見た看護師の顔が引き攣る。
──そりゃあ、夜通し自転車のペダルを漕いで来たのだから体調の一つや二つ、も悪くなるのも当然であろう。疲労もそうだが空腹や眠気──様々な生理現象が押し寄せてきて、俺を何とか休ませようと働きかけてくる。
「あの……これを、ハズィ……白井さんに渡そうと思って来たんですけど……」
俺は萎れたヒマワリの花とヒマワリ畑の写真を看護師に見せた。
そんなものを見せられて、看護師はどうリアクションを取ったら良いのだろう──不思議そうな顔をして、首を傾げてしまった。
「これは?」
「白井さんと行く約束をしていたヒマワリ畑の花と、その写真です」
「へー」と、看護師は興味深そうに写真を見詰めた。
「……って、わざわざそこまで行ってきたの!?」
俺の全身ズタボロ具合から察してくれたらしく、看護師は驚きの声を上げた。
「ええ、行ってきました。自転車で丸一日掛かりましたけれど……」
「自転車って……」
看護師はあんぐりと口を開けて絶句していた。
「そうです。ハズィリーがもしかしたら目覚めるかもしれない……目覚めた時に、少しでも力を与えられたらって、思って取ってきました。そのまま死んでしまって、約束が果たせられないのは寂しいですから」
俺はそんな心境を素直に看護師に伝えた。
看護師は感動したらしく目を潤ませながら頷いた。
「……そうね。分かったわ。そういうことなら、これは私から白井さんに届けてあげるわね」
「本当ですか!?」
その申し出は嬉しいことである。
何も直接俺が手渡さずとも、俺の思いがハズィリーに伝われば良いのである。それが少しでも、彼女の力になれば──。
「私が朝方目を覚ますかも、なんて言っちゃったから頑張らせちゃったみたいね。規則違反になっちゃうから入れてあげることはできないけれど、そういうことなら渡して来てあげるわ」
「ありがとう御座います! お願いします!」
俺は看護師さんに全てを託すことにした。
「面会時間になったらお見舞いに来て頂戴。もしかしたら彼女も峠を越えて目を覚ますかもしれないから」
「そうしたいのは山々なのですが……」
──このまま学校に向かわねばならない。
本心としては学校や授業どころではないのだが──ハズィリーとの約束が、足枷としてのしかかる。
『何があっても、授業だけはきちんと受けて頂戴。私のために、授業を休むようなことはしないで』
未来のハズィリーとの約束を反故にするわけにはいかない。しっかりと学校へは行かなければいけない。
それが、彼女の願いであるのだから──。
「学校が終わったら……夕方にまた来ます。だからどうか、お願いします」
全てを看護師に託し、俺は深々と頭を下げた。
看護師も力強く胸を叩き「任せて下さい!」と頷いてくれた。
「朝早くからご苦労様。それじゃあ、届けてきますから、これで失礼しますね」
看護師も俺に会釈をすると、関係者用出入り口から病院の中へと入って行った。
「……はぁ……」
俺は深く息をつき、今度はヨロヨロと学校に向かって歩き出したのであった。
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