「32」はずれ

 食堂は学生たちで混雑していた。グループでテーブルを囲って楽しそうに笑い声を上げる者やポツンと一人で黙々と食事を者まで実に様々であった。


 おすすめメニューとして『カルビ焼肉丼』のサンプルがショーケースに入っていたが、俺はメニューを見て純粋に自分が食べたかった『ハンバーグ定食』を選んだ。

 白井は、一足先に発券機でカレーライスの料金を支払っていたので、俺もそれに倣って券を購入する。


「はいよ。いらっしゃい!」

 列に並んで進み、レジの前までやって来る。

 順番になるとカウンター越しに割烹着のおばさんが「いらっしゃい」と笑みを浮かべてきた。

 俺が券を渡すと、割烹着のおばさんはそれを千切って半券を手渡してきた。

「今日もハンバーグ定食かい? 好きだねぇ」

「え。あ、はい……」

 そんなつもりはなかったのだが、無意識に過去の自分と同じ行動を取ってしまっているらしい。

 自分のことであるから、趣味嗜好は一緒なのだろう。


 軽くやり過ごそうとした俺の横で、白井が手を振る。

「駄目ですよ。この人、今記憶喪失なんですから。昨日のことも分からないみたいなんですもの」

「おやまぁ!」

 割烹着のおばさんが奇異の目を俺に向けてきた。

 白井は俺が好奇の目に晒されているのを見てクスクスと笑って楽しそうにしている。


 俺はジロリと白井を睨んでやった。余計なことを言うなと、抗議の意味も込めている。

「ごめん、ごめん」

 笑いながら軽く謝った白井からは、微塵も反省の色は感じられなかった。


 トレイにハンバーグ定食とカレーライスを乗せた俺と白井は空いている適当な席にそれを運んだ。

 窓に隣接したその席にテーブルを挟んで向かい合って座った。


「いただきまーす」


 モグモグとハンバーグを噛っていると、白井は俺に尋ねてきた。

「それで? クイズの方はやる気があるのかしら? 今の所、一つも解答はしていないけれど」

「『白井』は当てたじゃないか」

「不正でね」

「あれは不可抗力だよ」

 呼ばれているのを聞いてしまったのだから仕方がない。


「何でもいいから答えてみなさいよ」

「う〜ん……まぁ、それはそうなんだろうけれど……」

 答えてみろと言われても、さすがにノーヒントでは正解を当てるのは難し過ぎるだろう。


「何文字なの?」

「さぁ〜ね」

「最後に『子』はつく?」

「さぁ?」

 ヒントを聞き出そうと質問攻めにするが、適当にはぐらかされてしまう。やはり、白井は自分の口から名乗るつもりはないようだ。

 あくまでも、俺が考えて名前を当てて欲しいらしい。


──いや、無理だろう。


 白井には「見たり聞いたりせず」と言われたが、正直、答えられる自信はない。

 俺はチラリと白井のバッグに目を向けた。

 キーホルダーに名札のようなものがついているのが見えた。不用心にも、それにマジックで何やら文字が書かれている。

 名前か──?

 俺は目を凝らした。


 しかし、そこに書かれた文字を脳が認識する前に、視線に気が付いた白井の手によって遮られてしまう。

「だから、不正は駄目だってば」

 キーホルダーは外され、バッグの中にしまわれてしまった。


「ちぇっ! もう少しだったのに!」

「そんなので名前を思い出されても悲しいだけだからやめてちょうだい」

──悲しい、悲しくないの問題だったか?

 俺は首を傾げたものである。


「そんな不正行為ばかり働いていないで、色々と口に出してみればいいじゃないの。いつかは当たるんですから」

 白井は頬杖をつきながら笑っている。はじめから、そればかりである。


 俺は溜め息を吐いた。

 そもそも、どうして俺がそんな白井の遊びに付き合わなければならないのか──と考えて、思い直す。

 親しき仲にも礼儀ありだ。幼馴染みの名前を知らないという方が圧倒的に悪いだろう。まぁ、俺に非があるわけでもないのだが──。

 それにしても──俺は白井の顔をジーッと見た。

 白井は俺の視線に気が付くと笑顔になり手を振った。

──何だかんだ、白井は俺に名前を当てさせたいようだ。だからここ迄しつこく、俺に催促してくるのだろう。


 悲しい──。


 白井が何気なく口にしたその言葉は本心からきたものなのだろう。


「ハナコ……」

 なんとなく思い付いた名前を口にしてみる。

「違うわね」

 白井は短的に答え、首を振るった。

「リン」

「違うわ」

「じゃあ、キミカ」

「違う」

 それを引き金に、俺は当てずっぽうに思い付いた名前を次々と口にしていったのであった。

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