「28」縁結び
貴美子は俺の予想に反する行為に及んできた。
こちらに駆けてきたかと思えば、五十嵐に馬乗りになっている俺の体を突き飛ばした。
そして、横たわる五十嵐の体を抱き上げたのである。
あまりのことに、驚いた俺は目を丸くしてしまう。
「なんてことをするんですか!」
貴美子からの憎しみの籠った目を向けられてたじろいでしまう。
「こんなに酷いことを……見てください。血が流れているじゃないですか!」
「え……。あ、いや……」
貴美子の言い分に、呆気にとられてしまう。
何がどうなったのだ──?
俺は貴美子を助けたはずなのに──何故だか、その貴美子から恨まれてしまっている。
「大丈夫ですか? 五十嵐さん……」
「う、うん。ありがとう……」
──何だこの状況は?
見詰め合う二人──。
俺は完全に蚊帳の外に立っていた。
「おい! なにか勘違いしてないか!」
俺が叫ぶと、貴美子はきょとんとした顔になった。
「え……? 勘違いも何も、私を眠らせてここに連れてきたのは太蔵さんなんでしょう?」
冷ややかな目が、貴美子から俺に向けられる。
──どうやら、事態をハッキリと飲み込めていないのは貴美子の方であったらしい。
「いや……」
それが勘違いなのだが──。
「そうだ! 酷い奴め!」
ずる賢い五十嵐も貴美子を欺くために、ここぞとばかりと非難の言葉を口にしてきた。
俺は溜め息を吐いた。
このままではバッドエンドへ向かいかねない。
「あのね……。俺が会計している間に君が離れてここまで連れさらわれたのだろう? その後に何があったのか、思い出してもらえばどちらが悪いか分かると思うんだけれど……」
貴美子は五十嵐に連れ出され、そして眠らされたはずである。
「ああ、そうですね……」
──貴美子も納得してくれたらしい。
「太蔵さんがお支払いをしてくれている間に五十嵐さんが来られて『大事なお話があるから来てくれ』って言われたんでしたわ。それでついて行って車に乗ったら、男の人たちに取り押さえられて……それで、気付いたらここに……」
「その何処に俺が関与しているのさ」
「それはまぁ、そうですね……」
貴美子は頷き、五十嵐の顔をジーッ見た。
「まぁっ!?」
そして、声を上げたかと思えば五十嵐の体を突き飛ばした。予想していなかった五十嵐は床に後頭部を強打して悶絶して転げた。
「この人が悪者じゃないですか!」
五十嵐から離れながら、貴美子は怯えたような表情になる。
「うん。そういうことだよ……」
──その五十嵐にとどめを刺したのは貴美子だった。
兎に角、貴美子が無事で誤解も解けたので良かった。
「太蔵さん……私のこと助けにきてくれたんですね」
「うん。そうだね……」
俺は頷いた。
「いや、騙されてはいけないぞ!」
往生際が悪いとはまさにこの事であろう。五十嵐は声を上げた。
「はぁ?」
「全てはそいつが企んだことですよ! 僕を陥れようとして、そいつが計画したんです」
「そ、そうなんですか……?」
五十嵐の言葉に、純粋な貴美子の心が揺らいだようだ。
まぁ、貴美子視点ではどちらが真実を言っているのか判断が難しいのかもしれない。
──まぁ、こちらとしてはいくらでもネタは上がっているのである。
俺は携帯電話を取り出した。
それを操作すると、録音しておいたとあるやり取りを再生して聞かせた。
──『彼女はどこにいる?』
──『今頃、五十嵐の奴がよろしくやっているだろうさ』
ワゴン車での会話である。
何かの役に立つかもしれないと密かに録音しておいてどうやら正解だったようだ。
「クソッ、あいつら……!」
五十嵐の顔が引き攣る。
もう言い逃れは出来ない。
「五十嵐さん、貴方って人は……」
貴美子も完全に疑いの目を五十嵐に向けている。
それでも五十嵐はめげていなかった。
「僕を信じて下さい。あんなの、でっち上げればなんとでもなりますよ!」
「ま、まぁ、そうですね……」
五十嵐の強引さに、また貴美子の心が揺らいでいる。
でも、貴美子からの信用を失っていることは間違いない。五十嵐陥落までもう一押しな気がした。
畳み掛けるように俺はもう一台、携帯電話を取り出して見せた。
「そ、それは……」
五十嵐が罰の悪そうな顔になる。
五十嵐の仲間であるガラの悪い男から取り上げた携帯電話だ。
五十嵐に盗られて壊されては堪らないので距離を取りながら、遠目に画面を見せてやる。
画面に表示されたのは──五十嵐とガラの悪い男たちとのメッセージのやり取りであった。
──『彼女の拉致は成功だ!』
──『後は、あの太蔵とかいう邪魔な奴らの始末はお前らに任せる』
──『報酬は弾むから、好きにして構わん』
「ば、馬鹿な……何故、それが……」
五十嵐の表情が曇る。
『消しておけ』とでも命じていたのだろう。五十嵐はそのメッセージが存在していること自体、不可解な様子であった。
あのガラの悪い男が、万が一に備えて足が付かないよう律儀にメッセージを削除しているとは思えない。
俺からすれば、五十嵐は『奴らを信用し過ぎた』のだ──。
お陰で、足元を掬われた形になった。
五十嵐から仲間たちに送られたメッセージを次々に表示させて見せてやる。
「そ、そんなの、でっち上げれだ……!」
五十嵐は顔面蒼白になりながらも、あくまでも罪を認めようとはしない。
「俺はそんな奴らは知らん。関係ない、赤の他人だ! 騙されないでください!」
俺は呆れつつ、携帯電話を操作して電話を掛けた。
──タイミングよく五十嵐の携帯電話から電子音が鳴った。
「見ず知らずの赤の他人が、どうしてお前の番号を知っている? それに……」
俺は床で振動している五十嵐の携帯電話を指差した。
「どうして、お前の携帯電話に無関係の人間の電話番号が登録してあるんだ?」
五十嵐の携帯電話の画面に『又吉君・マッキー』と表示されていることから親しい仲であることが伺える。
「け、携帯が盗まれたんだよ! それで知らない間に登録されたんだ……」
「……なら、今お前がその盗まれた電話を持っているのはおかしいだろ」
「うぅ……」
「苦しいな。もうマシな言い訳もできやしないのか?」
俺は煽ってやったが、どうやらもう五十嵐はぐうの音も出ないようだ。反論もせず、口篭ってしまった。
それはつまり──卑劣な計画を立て、貴美子を拉致してここに連れてきたことを認めたということになる。
「く、くそっ!」
五十嵐は床を叩いて怒りを露わにしていた。
貴美子は五十嵐の元を離れ、俺の側に寄っていた。
完全に形勢逆転である。
「糞っ、糞っ、糞っ!」
発狂した五十嵐が周囲の物に当たり散らす。
「なんでだ!? 上手くいくはずだったのに!」
「お前より、俺の方が彼女を思っているということだよ。お前は彼女を怖がらせた。……そんな奴の好きにはさせない!」
「糞っ!」
格好良く決めたつもりだったが、五十嵐の耳には俺の言葉は届いていなかったようだ。
五十嵐は頻りに壁を殴っていた。
何だか、気恥ずかしくなってしまう。
「嬉しいわ……」
──ところが、そんな俺の台詞に感銘を受けてくれた人物が側に居た。
貴美子が頬を赤らめながら、うっとりとした表情で俺を見ていた。
「太蔵さんは私のヒーローですわ。ありがとうございます」
「いや、そんなこと……ないですよ……」
貴美子から好意的な想いを寄せられ、俺は照れ臭くなってしまった。
しどろもどろになった俺の言葉は、不意に遮られた。
貴美子がに唇を重ねてきて、口を塞がられたからである。
お互いの距離が近付き──とても幸せな気持ちになった。
「ごめんなさい。嫌だったかしら?」
貴美子に問われ、俺は首を左右に振るった。
恥ずかしくて、まともに顔を見れなくなってしまう。
──だが、今にして思えば、この時に貴美子の顔を心に刻んでおくべきであった──。
──この人を将来、必ず幸せにしてやる。
そう心に決意した瞬間であった。
俺の意識は途絶え、いつものように暗転していく。
そして、残酷にもさらに時間は退行していくことになる。
これが貴美子との今生の別れになるとは──この時の俺は夢にも思わなかった。
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