第21話 Es

 僕はノートをそっと閉じた。

 新渡さんがお茶を持って戻ってくる。


「お爺ちゃんたちにとって、新渡さんは、とても大切な存在だったんですね」

「どうだろう、定職もつかなかったからな、自分にはなかなか自信が持てないよ。ただゴダイがいなくなってからは、親父さんやお袋さんと一緒にいる時間は長かったよ……飯を多く作りすぎたとか、ちょっとした力仕事とか、お互いにいろんな理由をつけては時間を共にしていたな」

「お婆ちゃんは、人生会議には迷惑をかけたくないと書いていましたが、実際はどうだったんでしょう?」

「分からないな。今お袋さんが実際どんな気持ちなのか、俺は全然分かってやれていない。さっきみたいに手を上げたりとかはまずするような人ではなかったし、何が本当の望みか分かってあげられるならそれが1番良いんだろうが」

「今目の前にいるお婆ちゃんはお婆ちゃんなのかな? 人生会議の言葉を優先していくことは、今のお婆ちゃんはお婆ちゃんではないと言ってるような気になってしまう。それは自分らしい最期と言っていいのかしら……」


 確かに僕は無意識にお婆ちゃんとの対話を諦めていた、無理だと思っていた。お婆ちゃんを見ようとして、今を見ずに過去ばかりを見ようとしていた。

 自分らしい最期……それは一体なんだろうか。

 最期だからと言って願望が全て叶うわけではない。かと言って、全てを諦めるのも違うと思う。

 医療的に正しい選択、家族にとって望ましい選択、自分にとっての願望、それぞれのパワーバランスが、各ステークホルダー間で均一でないと、正常な意思決定なんてできないんじゃないだろうか。そうならなければ、どんな素晴らしい仕組みも、悪い方向に傾きかねない、笑顔にはつながらないかもしれない。


「これは、おいしいねぇ」

「お……おぅ、食べれるならいいけど。今の季節、そんなに傷んだりは大丈夫そうだし」


 お婆ちゃんは、突然朝の残りだろう食事に興味を示し、ご飯を食べ始めている。

 お婆ちゃんの中では、色んなモノ、ヒトの物語が消えていく、薄れていっている。

 お婆ちゃんにとっては、食べかけの朝ごはんは、今日初めて見たモノとして解釈されているのだろう。その中で自分の薄れゆく記憶とでマッチしやすいモノで解釈していっているのかもしれない。

 真新しく見える世界は、プロセスが消えていく世界は、無感情にもなることもあるだろう、無関心になることもあるだろう、お婆ちゃんから見える世界はきっとそういう世界なんだ。

 僕のことも、新渡さんのことも、初めて会ったり、別のヒトに解釈されたり、いないものと思われたり、その時結び付けられるモノで解釈されていくのだろう。

 その中で自分らしい最期をどう考えていけばいいのか、自分らしさとは何なのか。


「お婆ちゃんは、その時自分でわかる範囲で、自分の思うままの行動を選択してるのね」

「そうだな……トイレも何回も行くし、ご飯も毎時間あると思ってる。親父さんのことも何回も探すしな……」


 新渡さんは、むせないようにするためか、お婆ちゃんの姿勢を正しながら、背中が丸まりすぎない様に気をつけて食べさせている。

 自分のわかる範囲……音のない世界、目の見えない世界で生きる人たちでも、みんな自分を感じている。

 記憶の薄まる世界では、自分をどのように感じているんだろうか。

 何もまだ知らない赤ちゃんだって、なんらかの違和感を、自分と捉え、泣き叫び合図を送る。お婆ちゃんも、なんらかの違和感を感じて何かの合図を送ってくれているのだろうか。

 だから、お爺ちゃんを探し続けているのだろうか。


「お婆ちゃんは、なんでお爺ちゃんを探しているんですか?」


 お婆ちゃんは、食べるのを一旦やめて、僕の方を向く。


「お父さんがいると落ち着くのよ。わたしはお父さんがいないとダメなのね。あんなに怖そうな人でもわたしにとってはとても安心するの」

「ははは、親父さんの隣にはいつもお袋さんがいたもんな。俺たちにとっても、お袋さんがいることが安心だったよ」


 新渡さんは、昔を思い出しながら、ニヤけている。

 僕には、お婆ちゃんが、私は安心したい、そうまるでイドの底から叫んでいるように聞こえた。

 1番長く人生を共にしてきたお爺ちゃんとの記憶がお婆ちゃんの中でも色濃くまだ息づき、脈打ち、鮮明さを保っているのだと思う。

 お婆ちゃんから見える情景が刻一刻とかわってしまう不安定な中で、少しでも安心したいと、お爺ちゃんに縋り付くように探し続けているのではないだろうか。

 お爺ちゃんのいない今、僕らにできること、新渡さんにできることは限られてしまっている、お婆ちゃんの望みは叶えてあげられないかもしれない。

 でも、お婆ちゃんがお爺ちゃんを探している理由を分かってあげられているかそうでないかは、お婆ちゃんの行動を考える上でとても大切なことなのだと思う。


「安心できる存在がいなくなるのはとても辛い。でも、また見つけられることもあると思う……お婆ちゃんはきっとまだ彷徨い続けている最中なのね」


 記憶の薄れる世界で、安心できるもの、それは今のところお婆ちゃんの中ではお爺ちゃんの存在であるようだ。

 認知症は、脳を萎縮させる、それが記憶や日常動作など様々なことに影響されていく。それは自分が自分じゃなくなることになるのか。

 身体に意識が紐づくことで自分を表現していくことができるとするならば、その連動が阻まれた時、表現できなくなった時、自分はどこにいるんだろう。

 自分も見失いそうな中で、お爺ちゃんに縋りつきたくなる気持ちもわかるかもしれない。そこに頼れない時、他に安心をどこに置いてあげられるんだろうか。


「記憶を補完してくれる機械とかがあったりすればいいのにな。まだ、話せるは話せるんだけど、どれがちゃんと話せているのか、俺も分からなくなってしまうし。今は、目が見えない人も見える様になりそうだし、ALSの人も機械を通して喋れたりするのに、認知症はどうなんだろうな」


 確かに、ALSでは、視線とかでコミュニケーションが取れるものもある。

 視線で喋れる世界は近づいてきているなら、思念だけでも喋れる世界も来るのだろうか。薄れた記憶を補完してくれるAIなども出てくるのだろうか。

 脳AI融合などにより、今見えているものが現在か過去かなどの時間軸がわかるようになれるのなら、見当識障害は減っていくのか。

 それでも、記憶が完全だったとしても、僕は、お婆ちゃんは、お爺ちゃんを探し続けているような気もする。


「メガネのない世界では、視力の落ちた人は、きっと苦しいですもんね。認知症の方にも、メガネのようなものが現れればいいんでしょうか?」

「あったらいいなって、せめて俺がメガネのような役割をやってあげられりゃいいんだろうけど。多少の補完はできても、本人は忘れたことも忘れるからな」


 確かに、薄れゆく記憶の中、自分を補完・拡張してくれるのはテクノロジーだけではないのかもしれない。

 植部さんたちは、新渡さんを代理意思決定者として望んだ。お婆ちゃんの失ったものを補完してくれるのはヒトとか絆とか愛とか、そういう温かみのあるもの、新渡さんの負担にならないのであれば、僕はそうであってほしいと願う。


「新渡さんもお婆ちゃんもきっと自由でいいと思うの」


 リコは、考え込むようにしながら言葉を発した。

 自由……か。新渡さんにも、お婆ちゃんにも、それぞれの人生がある。僕は、新渡さんに勝手に自分の欲望を押し付けようとしていたのかもしれない。

 介護の負担は、きっと今見える景色以上に単純に捉えられない苦悩があるんだろう。

 ただ、みんながみんな自由にしてしまったら、世の中は混沌としてしまうようにも思える。何が正解なのか、むしろ正解なんてあるんだろうか。


「なんか、難しく考えすぎちまったな。そうだな。親父さんも自由でいいって言ってたしな。ここで悩んでたって解決はきっとしない」

「うん、お婆ちゃんの笑顔のために新渡さんの笑顔が犠牲になるようなことがあれば、きっとみんな辛くなっちゃう」


 リコの言葉が優しく感じた。

 犠牲……か。笑顔のために笑顔が犠牲になるのは良くない。確かにそうだ。


「お婆ちゃんは、どうしたいとか、何したいとかあります?」

「何がだい? 難しいことはわからんよ。それでいいのよ」

「そうだな、俺もわからないよ」


 少し場が和んだ気がした。

 わからないでもいい、いい言葉だ。

 きっと、どれだけ考え続けたってわからないのこもしれない、でも、わからないまでのこのプロセスがきっと大事なんじゃないだろうか。


 

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