第20話 Advance Care Planning
アラトさんが奥の部屋から、冊子を持って戻ってくる。
「これかな……終活とかは書いてないんだが、それっぽいのが2人分あったよ」
アラトさんは、ノートを2つ持ってきてテーブルの上に置く。
ノートには『人生会議』と大きく書いてあり、その下にそれぞれ2020年と植部福太郎、植部康子と書かれている。
「お婆ちゃん、このノート覚えてる?」
「なんだい? あぁ? ご飯やトイレのことを書いてるやつかねぇ」
「お袋さん……それは違うやつだ」
「人生会議ってなんだろう」
「人生の会議って……なんだか壮大で身近でとてもずっしりと感じる」
リコは、表紙をじっと見つめている。
会議というのは、1人ではできないし、繰り返し行うものだろう。
僕はスマホで調べてみると、色々と出てくる。
「人生会議は、『もしものときのために、あなたが望む医療やケアについて前もって考え、家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合い、共有する取組のこと』みたいですね。ネットに載ってる」
まさに今回のようなことのためにあるような取り組みにみえる。
高齢者にとって、いつ認知症になるのか、いつ不幸と遭遇してしまうのか、その確率は、リスクは、年齢と共に上がっていくことだろう。
自分で自分のコトを決めれなくなった時、それは自分も周りの家族も守れる、安心させられる、そんなお守りになってくれるのかもしれない。
自身の最期を考えていないこと、話し合わないことは、高齢になればなるほど無防備さを増していくように思う。何もなければナニカが起こった時、自分を見失ってしまう、自分が薄れてしまう、そんなときの道標の一つにはなってくれるのではないだろうか。
「親父さんからは、何かあった時はって場所とかだけは教えてもらってたんだが。このノートはちょっと離れたところにあって今まで気づかなかったな」
「中には何か書いてありそう?」
「んん、ちょっと待ってな。住所とかに、お金のことに、治療……自分のこと。この辺りなのかな」
アラトさんは、お婆ちゃんの本を読み始めた。
『5回目の更新です。最近はぼーっとなる日も増えてきて、覚えたりできないことも次第に増えてきました。お父さん、
「お袋さんの字は、俺には達筆で読めてるかわからないけど、だいたいこんな内容かな。あ……登次は俺のことだ。お袋さんは、相変わらず、自分のことはあんまり何も言っていないな」
「お婆ちゃん、何か覚えてる? これお婆ちゃんが書いたやつなんだよ」
「……難しいことは私にもわからないよ」
お婆ちゃんは、話を聞いていたのかいないのか、最初から言うことを決めてたかのように答えている。認知症が進むと、理解できないことが日毎に増えていく。きっと理解しようとするのに疲れてきて、最初から話を理解することを諦めてしまっているのかもしれない。
人生会議の中でお婆ちゃんは、迷惑をかけるくらいなら介護施設に入れてほしいと言っている。
それが認知症が悪化してくる前のお婆ちゃんの真の希望だったのだろうか、人生会議のプロセスを知らない僕たちには文面上からしか汲み取ることができない。
「親父さんのも見てみるかい、えっと……同じ様な構成だから最後の方だな」
アラトさんは、続けてお爺ちゃんの本を読み始めてくれた。
『ずっと家にいれればそれでいい。病院も施設も好きじゃないし、母さんを1人にはしたくない……あとはなんでもいい』
アラトさんは、言葉を呑むようにして読むのをやめた。
「あぁ……これだけだ。親父さんは、背中で語るタイプだったしな。あまり多くは書いてないようだ。頑固な優しさは相変わらずだな」
「……そうなんですね。お婆ちゃん、こっちはどう? お爺ちゃんが書いてくれてるやつなんだけど」
「お父さん? お父さんがいたのかい?」
「お袋さん……親父さんはもういないんだよ……一緒に葬儀をしただろう」
お婆ちゃんは急に手を上げ、体制を崩しそうになる――
「あぶな――」
僕は、お婆ちゃんを支えようとして、平手打ちをくらう。
「ぶげっ」
「ぅおぉ! 大丈夫か?」
「あんた……! お父さんがいないなんてどの口が言うんだい! 嘘つかないでおくれ!」
「すまん、わかった! わかった……とりあえず落ち着いてくれ」
アラトさんは、お婆ちゃんを落ち着かせようと一旦座らせ肩を撫でている。
頬が少し痛む。親にもビンタされた記憶なんてない。ただの暴力じゃない痛みはこんなにも不思議な痛みを感じるものなんだな。
その時、リコがひんやりした手で僕の頬をさすってくれる。
「……大丈夫?」
「ありがとう、僕は全然大丈夫……そんなに力が強いわけじゃないし、けど、心なのかなんなのかナニカ痛む感じはするんだね……きっとお婆ちゃんの方が辛いんだと思うよ……」
「大切な人の死を忘れてしまったのなら、そんなことを思い出させることは、そんなことを連想させることはとても残酷だもんね」
人生会議からは、認知症の自覚が芽生えながら誰にも迷惑をかけないよう望むお婆ちゃん、家とお婆ちゃんが好きなお爺ちゃんの印象が伝わってきた。
なんとなくスッキリしない、胸に落ちてこないのは、人生会議を紡いできたプロセスが抜けてしまっているからなのかもしれない。
お婆ちゃんたちはどんな人生を歩んできて、どんなことを考えて、この人生会議を更新してきたのか、きっとここに書いてあること以上に大事なナニカがそこには積み重なってできてきているはずだ。
自分の人生とは、独りではなく、いろんな人を巻き込んで形作られた虚構だと僕は思う。
自分らしい最期とは、自分と向き合い、他人と向き合い、巻き込むことで徐々に形作られていくのかもしれない。それは、出来上がった形よりも、過程がきっと大事になってくるんだと思う。
「お婆ちゃんの人生会議は、5回目の更新って書いてありましたけど、他にはなさそうだったんですか?」
「う、おぉ、そうだな。近くにはなさそうだったけど、まぁ、家の中ひっくり返せば、もしくは……」
アラトさんは、お婆ちゃんの背中を撫でながら、少し他の方へとお婆ちゃんの注意を向けさせようとしている。
「何か、それっぽいことでも、お婆ちゃんやお爺ちゃんからお話はなかったんでしょうか?」
「そうだな……これを読んでいて、そういえばって、関係ないかもしれないけど、少し頭に浮かんだことはあったよ」
アラトさんはそう言うと、お婆ちゃんも落ち着いてきたようで、元の席に座り直した。
「親父さんは、年齢の割には健康だったんだ。タバコだけはヘビーだったけどな。そのせいかどうかわからんが、コロナが流行り始めの時にもらってきちまって、それでそのまま……な。あの時は、今よりもっと得体の知れないものな感じだったから、親父さんとは隔絶されたまま最期を迎えちまった」
アラトさんは、お爺ちゃんの人生会議に目を落としノートを手に取って見つめている。
「もしかしたらそんな最期だったし、実感が湧きにくい部分もあるのかもしれないな。だから、最期がどうとか具体的な話は全然してなかったんだ。お袋さんのこともあったから、夫婦間ではこういうことはやってたみたいだけどな。俺とかには全然よ」
アラトさんは、パラパラとノートをめくりながら、最後のページでとまり少し目を潤ませ、ノートを閉じて置いた。
「そういえば、親父さんは、逝くちょっと前に、俺にこんなことを言ってくれてたんだ。『ゴダイがいなくなってから、私らを支えてくれてありがとうな。私らは、お前を信用してる。でも私らに縛られる必要はないからいつでも自由にしていきなさい』ってな。俺は別にそうしようとしたたわけでもなく、居場所がそこしかなかったからなのに……な。そん時はもう自分の好きにしてますよって、言ったんだけどな」
少なくとも、植部さんたちにとって、ゴダイさんに代わる存在は、アラトさんだったんだろう。
実の息子であろうと、親のことをなんだって決められる権利があるわけではない。逆もそう、親が息子のことをなんだって決めていいわけでもない。
この人生会議は、2人だけの中のものなのか、他にも携わっている人はいるのか。
人生会議のプロセスは、話し合ったりなどはなかったのかもしれない。ただ植部さんたちにとって、自分たちらしさを、自分たちらしい最期を分かってもらえるような、プロセスを共に歩いてきてくれたのはアラトさん自身なんじゃないだろうか?
「……そういえば、茶も出してなかったな」
アラトさんは立ち上がり部屋を出ていく。
残されたお爺ちゃんのノートが少しめくれて最後のページが開かれる。
そこにはこう書いてあった。
『新渡登次、私たちを支えてくれてありがとう。私たちは代理意思決定者をあなたに任せたい。もちろん、登次の自由で構わない』
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