第5話 エシカルコンシャス

 僕らは、ミカノさんの家に着いた。

 三鹿野さんの家のインターフォンを押すと、綺麗な女性が出迎えてくれた。


「おぉ、着いた着いた、帰りましたよー。お前らも入れ入れ」

「え、ちょっと……あら……まぁ、うちの人が迷惑かけちゃったみたいで……ごめんなさいね」

「こちらこそすみせん、フラフラだったので付き添わさせていただいたんですが、元気そうですね」

「外で飲むといつもそうなの、でもなんか懐かしいわ。どうぞ、中で温かいお茶でも飲んで」


 三鹿野さんは、ズカズカ奥の方に歩いていき消えていく。

 奥さんは、優しく微笑みながら僕らをリビングに案内してくれた。流しを借りて手洗いうがいを済ませて、席につく。

 三鹿野さんは、奥の部屋のベッドにそのまま倒れこんだように動かなくなっている。これもいつもの流れなのか、奥さんは何食わぬ顔でお茶をいれてくれている。


「ふんぎゃあ! ふんぎゃあ!」


 リビングにある小さなベッドから赤ちゃんの鳴き声が響いてくる。


「あら、ごめんなさい。さっきからずっとウンチが出ないみたいで、頑張ってるのよ」

「赤ちゃんは、自分に精一杯、自分が全て……」


 リコは、ジタバタする足によって蹴り上げられる布団をじっと見ている。

 赤ちゃんは自分中心、それは自分1人では生きれない、生きる上で必要なことだから。目はあまり見えなくて、お腹が空いたり、オムツの中が気持ち悪かったり、産まれてきてから味わい始める違和感を泣き声で表現する。

 自分のために泣き声を上げて、ヒトを巻き込み、関わらせることで、自分の違和感を解消し、学んでいき、成長していく。


「紅茶……は大丈夫だったかしら? もう遅い時間だし、これでも飲んで温まって。甘さが欲しかったら蜂蜜もあるから」


 柑橘系とマリーゴールドの香りと共に、じんわり体が温まってくる感じがする。

 香りとは不思議だ。香りはいろいろなものを想起させてくれる。

 奥さんは、赤ちゃんのお尻に顔を近づけて、何かを確認したように戻ってくる。

 その香りは、もう少し蓋をしといてほしいものだ。

 

「今日初めて会ったんでしょう? 連絡だけ来てたんだけど、あの人と飲みたがる大学生なんて物好きだなぁって。どんな話をしてたの?」

「新型コロナウイルスの話から、お仕事のことや結婚式のこととか、いろいろなお話を聞かせていただきましたよ」

「結婚式……!? まぁ……あの人、そんなことも話してたの? あなた達にはつまらない話だったでしょうに」


 髪をかき上げながら、ため息をつき呆れたように笑う。

 奥さんは、大人びていて可愛らしい。化粧のない顔の中には、あどけなさも残りつつ大人の香りも漂っているように感じる。


「旦那さんは奥さんのこと、仕事仲間や友達のことなどをとても大切にしている方なんだなと思いましたよ。結婚式もそのためにやりたいように感じました」

「結婚式か……私にとって、子供の頃から魔法少女みたいな可愛い洋服を着たいなって、それが夢だったの。だからウェディングドレスを着れた時はとても幸せだった。あの時の気持ちを大事にしていたくて。そもそも私にウェディングドレスを2回着せないで欲しい。エゴかもしれないけどね」


 奥さんはケラケラ笑いながら、目を流し寝室の方を見つめている。


「ドレスは、1回着れたし、夢は叶ったってことですか?」

「叶ったと言えば叶ったし、子供の頃の夢はそのままの形ってわけでもないんだけどね。私は今の状況であったりプラスチックの海を見たり、最近環境のことも色々考えるようになってね。それっぽいことをそれっぽくやるのではなくて、自分の中でこれなら意味があるのかなっていうのを大事にしてみようと思ってて……まだまだ色々勉強中なんだけど」

「エコのようなものですかね……リコもそういうの大事にしてる?」


 リコは、温かいお茶を沁みるように飲んでいる。

 三鹿野さんのイビキも時折奥から聞こえてくる。


「私は……ズレてるかもしれないけど、そもそも、そういう話は、恵まれてる、余裕のある人の話だと思ってる。大事じゃないとは思わないけど、私にそういうことを気にしている余裕はない。自分で精一杯、自分をまず考えないとって……」

「そうね、それこそエコなんて現代人のエゴかもしれないし、難しいよね。自分たちが作ってきたもので環境が汚れて、だから意識しよう、変えようって、都合がいいよね。私もそんなに意識できているわけじゃないけど、コロナ禍になって子供が産まれて、家での生活が少しずつ増えて、私は物事に対する見方が変わってきたように思うの。もっと一つ一つのことを大事に大切にしてみようかなって」

「確かに、見方によってはエコとかも虚構の一種なのかもしれない。そもそも、消費社会が示した幸せの形に流された結果なのかもしれないし。エコでない物語がたまたま長い間支持されやすかっただけなのかもしれない」


 世の中は生きることだけ考えるのであれば無駄ばかり、不要不急のことばかりなのだろう。

 服も数着あればいい、食べ物も廃棄するくらい冷蔵庫や戸棚に貯めておかなくていい、広い家に住まなくたっていい、遊ばなくたって死なない。

 でも僕らはそれを必要とし、目的とし、楽しみ、感動し、生きている。

 突き詰めればそれは人間性であり、環境のためにそれらを捨てろと言われても簡単に決断できることでもない。ただ地球上で生きていく上では、共生していく上では、僕らは人間性の維持のためにも環境のためにも、持続可能性のためにもっと考え意識していく必要があるのかもしれない。


「だから、結婚式ももういいのかなって。だって、私たちはもうみんなから家族として見てもらえてるし、私の夢だったドレスも着れた。あと何を望むの? 何のためにするのかなって」

「三鹿野さんは、結婚式は挙げなきゃいけないものだと思っているみたいでしたし。少しでも楽しいことに繋がればって……」

「みんなそれなりに自分に精一杯なのかもしれないわね……」


 三鹿野さんと奥さんでは、元々結婚式に対する価値観の方向性は逆方向だったのだろうか。コロナ禍が契機となり、違う方向に加速したのか。

 リコのいうように、それぞれ自分の作り上げた虚構の下で考えが縛り付けられているのかもしれない。これらが相入れないために結婚指輪は宙を舞い、リコの背中に滑り落ちることになったのだから。


「何だか小難しい話になってきちゃったわね……今日はもう遅いし、泊まっていく? そもそもモモチカさんが悪いんだしね」


 確かにお酒も入り、お茶で温まり、何だか眠くなってきた。

 赤ちゃんもウンチが出たのかどうなのか、すやすやかわいい寝息を立てている。


 「お風呂は沸いてないけど、シャワーでよかったらいいわよ。私もそろそろ寝かせてもらうから、自由に使って」


   ◇


 僕はシャワーを浴び、リビングの隣の部屋に布団が敷いてあるのを見つける。

 この夫婦はなんだかんだ似た者夫婦なのか。並べられた布団を目に僕は、酔いが覚めつつも、酔った勢いを巻き戻したくもなる。

 ドライヤーで髪を乾かしているリコを見ながら、身体の火照りを覚えリビングに戻る。


「お風呂ありがとう。僕こっちで寝るから、リコはその布団で寝てていいよ」


 僕は、電気を消しリビングのソファの上で寝転がり、暗闇の中少しずつ浮かび上がる天井を眺め考える。

 モモチカさんの奥さんを知ってもらいたい、楽しいことをしたい、みんなを笑顔にさせたいからこその結婚式を挙げたい想い。

 奥さんの最低限の希望を満たせたから、とりあえずやる結婚式なら挙げたくないという想い。

 このパンデミックにより、失われたイベントはどれほどあるのだろうか。ただ人の視座はパンデミックと共に驚くほど変わってきていると思う。もし、虚構に囚われているのなら、そこから飛び出すのもまたこのパンデミックを利用すべきなのかもしれない。

 事実婚、同性婚、大きく見ても結婚という概念の幅は広がり、多様化してきているのだろう。ならば、今までの結婚式にこだわる必要はなく、2人の納得できる式を挙げてく必要があるのかもしれな――


「……!?」


 急に視界が真っ暗になるとともに、顔にひんやりとした感触と体に温もりがかぶさってくるのを感じ……シャンプーの香りが漂ってくる。

 優しく肩から足に温もりと重みが広がっていく。


「おやすみ……」


 確かに今この瞬間には、僕に余裕もクソもない。

 でも僕は、自分が認識する以上に、さまざまな恩恵のもと今を生きている。自分中心には地球は回っていない。

 かけてくれた布団にもぐりこみながら、ミサンガを撫で今何考えてたんだっけと、現実から離れていくのを感じていく。

 2つ並んだ布団とソファ……夢と現実が、自分と自分外が行き来する、そんな場所だ。

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