第5話 長所と短所
「やっぱり二十代の若い女性が住むなら洗面所は広くて小物を入れておける収納があった方がいいよね。それから掃除がしやすいIH……いや、今回のお客様は料理好きな気がするから火力が強いガスの方がいいかも」
となると、おすすめ物件はコレかコレだなって築浅キレイめオートロック付きのマンションをいくつかピックアップしているのは木村さんだ。
頬をほんのり染めていつもの笑顔をずっと深くしている。
「いや、でも洗濯機を置くスペースがベランダになっちゃうな。こっちはここに冷蔵庫を置いたら部屋の中に食器棚を置くしかないから動線的にもスペース的にも無駄になるか……ああ迷っちゃうなぁ」
両手の指を組むようにして合わせて切ないため息を漏らす木村さんはちょっと――いやかなり気持ち悪い。
「なぁに?今度のお客さんは若い娘さんなの?」
赤い皮をうさぎの耳の形にして残したりんごを出しながら母は呆れつつも面白がっている顔で尋ねる。
木村さんが語尾に♡マークがつきそうな勢いで「そうなんです」と応えるので私は顔を背けてうげぇと舌を出す。
イケメンで愛想もいいし、お洒落で清潔感もあるからモテるんだろうけど、女性になりきってたくさんの物件から部屋を探しているところを見てしまうと残念を通り越して拍手を送りたくなる。
「初めて独り暮らしするらしくって。これは全力でいいお部屋を紹介しなくちゃと張り切っているわけですよ」
「二十代で初めてってことは今まで実家暮らしだったわけか。それなら色々と希望とか理想があるわよね。木村くんの腕の見せ所じゃないの」
「ふふふ。頑張らないとですね」
「うんうん。がんばれ」
無責任にも聞こえる母のエールに木村さんは笑顔で礼を言ってりんごをシャクシャク食べていく。
まったくもう。
ため息を吐きたいのはこっちもだよ。
あの日から大学生のお兄さんは来ていない。
ホッとしている私と、いっそとどめを刺して欲しいって思っている私がいる。
もともと深く物事を考えるのは苦手なのに生殺し状態が二週間も続いているんだから正直うんざりなんだよね。
いくら思い悩んでも話を聞いてみなくちゃ覚悟を決めようとしてもできない。
「言いたいことがあるんならバシッと男らしく言って欲しいわ。ほんと」
「なに?大学生の彼のこと?そういえば最近見てないな」
母と楽し気に喋っていたから聞こえていないと思っていたのに、ぼそりと零した愚痴を拾い上げて木村さんは顎の先に指を当てる。
「毎日来てたわけじゃないけど週に二、三回は見かけてたから二週間開くのは確かに珍しいか。でもちょうど試験の時期だからそれなりに忙しいのかもしれないし」
「……そうなの?」
わたしの知らない大学という世界のことは木村さんの方が詳しい。そこそこ有名な大学の建築科を出てるのに建築会社や設計会社を選ばずに、小さな町の不動産を選んだのはそれなりの理由があるんだろう。
「まあ学年とか専攻にもよるけど、試験悪かったら単位落とすしね。だから」
物件を探すのに使っていたノートパソコンを鞄に入れて立ち上がり、財布を手にこちらへとやって来た木村さんが念を押すように私の目を覗き込んでくる。
「また突っ走って名前も知らない彼のことを探すために大学に行ったりしないこと」
「どうして」
今度の休みに大学まで行って探すか、校門から出てくるのを待伏せしようかと思っていたのを見透かされてドキリとした。
木村さんがやっぱりって目を細めて小さくため息を吐く。
「俺が余計なこと言っちゃったせいで三歩ちゃんを悩ませることになったのは本当に悪かったなって思ってるんだよ」
「そうですよ。木村さんのせいです」
でも。
「そういう可能性や未来があるんだってことを今まで考えたこともなかったからそれほど悪いことばかりでもないです」
「まあチャツネ嬢にとってなにが幸せかなんて直接聞いてみないことには分からないことだし」
「木村さんのたくましい妄想力でチャツネがどう思ってるか聞いてもらえませんかね?」
「妄想力言うな。想像力と言って!」
どちらも大して変わらない気がするんだけど、本人にしてみれば大きな違いがあるんだろう。
「はいはい。えっと焼き魚定食七百五十円で――っ!?」
レジの前に立ち木村さんが差し出した千円札を受け取ろうとしたわたしの目の端に人影が写る。
それは店の中じゃなくて外。
店の前の駐車場で背の高い男の人が立ち止まったかと思ったら急に上半身を曲げて腕を振り下ろした。
顔は見えなかった。
だけど異様な雰囲気があった。
そして嫌な予感も。
木村さんが来るのは人が少ない暇な時間帯。
そういう時を狙ってチャツネも店の前にやって来る。
「三歩ちゃん!?」
「三歩?」
わたしはレジから飛び出して入口へ駆け寄り、細いガラスの部分からそれは見えた。
耳を倒し身を低くして見上げた相手に威嚇をするチャツネと引っ掻かれた手の甲を見て目をぎらつかせた男の姿。
男が舌打ちをしたのか、それともなにか言ったのか。チャツネが更に縮こまって牙を剥き出している。
「ちょっと!なにしてるんですか!?」
わざと大きな音を立てて戸を開けて叫んだ。その勢いのまま足を踏み出したわたしを止めたのは木村さんだった。
後ろから腕を引かれて店内に戻される。入れ替わりで外へ出た木村さんにぴしゃりと引き戸を閉められた。
「木村さん!なんでっ」
「三歩。落ち着きなさい」
「だって!」
木村さんを追いかけるというよりもチャツネの傍に行きたくてもう一度入り口に飛びついたわたしを止めたお母さんの声は低く冷たかった。
「あんたは元々短気で危なっかしい所があったけど、チャツネのことになるといつも以上に周りが見えなくなる」
「だって」
「いいから。ここは木村さんに任せておきなさい。あんたが行くより上手くやってくれるから」
グイッと背中を押され、仕方なくカウンターの椅子に座った。
膝の上に乗せた拳が震えているのをじっと睨みつけ、木村さん頼りになってしまったことへの不満と怒りを堪える。
「あんたが過剰になる気持ちも分かるけど、その瞬間だけ見た人間にいきなり怒鳴りつけられたら相手も引くに引けなくなるでしょうが」
言いたいことは分かる。
分かるけど見かけた猫をただ撫でたいって感じじゃなかった。
「あいつのチャツネを見てた目すごい目してた。絶対なんかしようとしてたもん」
「あのねぇ」
お母さんが腰に手を当てて深く息を吐きだす。
「だったらなおのことあんたがのこのこ出て行ったら危ないでしょうが。あんたみたいな小娘からきゃんきゃん噛みつかれて喜ぶ男がいるとでも?逆上して暴れたり、後で店に嫌がらせされたり、あんたがひとりの所を襲われでもしたらどうすんの」
木村さんがいる時でよかったねってお母さんが心底ありがたそうに続けた。わたしは自分の若さや女だってことに苛立ちつつも小さく頷く。
「そんな顔しないの。誰かのために一生懸命になれるとこ三歩の良い所だってお母さんは思ってる。ただもうちょっと慎重になった方がいいってことは覚えておきなさい」
「……はい」
「ほら。木村さんが戻ってくる。ちゃんとお礼を言うんだよ」
本当はチャツネの所へ飛んで行きたかったけど、ガラス戸の向こうに木村さんの姿が見えたので立ち上がりぺこりと頭を下げた。
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