第9話 勉強と意欲
「お母さん、お父さんまだ?」
真弦がキッチンへやってきて、珍しく父親のことを尋ねた。
近頃は残業と言って午前様も珍しくない夫なので、この時間になっても不在である。夕食の後片付けをしていた手を止めて、鈴子は両手をタオルで拭いた。
「まだよ。どうかしたの?」
「ネットの調子が悪いのか、繋がらないんだ。今日クラスの奴らとオンラインでクエストやる約束なんだけど。」
「・・・お母さんでよければ見てみましょうか。」
普段はインターネット環境などの通信関係や、家電の扱いなどは夫の賢が全てやってくれていた。
「えっ。母さんわかんの?」
「どうかしらね?」
意味有りげに笑って、鈴子は長男が握っているコントローラーを受け取った。
切れ長の目を丸くして真弦が見つめる前で、鈴子はコントローラーを操作して次々に画面を切り替えていく。
「んー、これは期限切れよ。新しく通信用のカード買ってきて更新しないと繋がらないわ。」
「えっ!?マジか。それ困る。今夜九時から皆で集まる約束してんだよ。」
「・・・どうにかしてやらないでもないわよ?お母さんとの約束守れるなら、繋げられるようにしてあげるわ。」
「約束?」
「今度の定期テストで、五教科合計点を350点以上取ること。」
「えー・・・。無理。」
「そうかしらね?全教科を平均点以上取れとか言ってるわけじゃないわよ。ばらつきが有ってもいいから、なんとかして350点くらい取ってみせなさい。お母さんは、ゲームをやるなとは言わない。極論言うなら、テストで満点とれて部活もエースなら家で何時間ゲームしてたってかまわないと思ってる。」
「そんなんできっこないじゃん。」
「だったら350点くらい取りなさい。でなきゃ、もうゲームは出来ないわよ。」
「それは、嫌だ。・・・350かぁ・・・」
「わからないところが有るならいいなさい。教えてあげる。優希だって教えてくれるわよ。」
「えええ・・・。姉貴が成績いいのは知ってるけど。」
「どうしてもって言うなら塾も考えるわ。」
「うわ、最悪。」
鈴子はコントローラーを息子へ返した。
そして、渋い顔をする長男をじっと見つめ諭すように言う。
「あなた自身だって、このままでいいなんて本当は思ってないでしょう?スタートは早いほどいいのよ。」
そんな母親を、上目遣いで見上げる真弦は低い声で言った。
「・・・今から頑張れば、父さんよりもいい高校行ける?」
「可能性は充分にあるわ。」
身長は母親よりも高い息子は、それなのに上目遣いなのだ。身体は大きくてもまだ子供で、母親に頭が上がらないことがわかっている。
切れ長の目と上背が高いのは夫の賢によく似ている。けれど、もっともっといい男に成長するはずだ、と思うのは、鈴子の親馬鹿なのかもしれないけれど。
「・・・ほんと?」
「行けるわよ。あなた次第。」
「部活両立でもいける?」
「っていうか、スポーツやってた子って体力が有るから、意外と有利なのよ。勉強するのも体力が基本なんだからね。自慢じゃないけど、お母さんだって中学も高校もずっと剣道部だったわよ。」
「そんで大学も現役合格なんだよな。母さんは。・・・なんかそう思うとすげぇ。」
「えっへん!あなたはそんな母さんの自慢の息子なんだから、やれば出来るよ。」
真弦は不意に笑って、母親の顔をもう一度見た。
「約束する。だから今夜はオンラインゲーム繋いで欲しい。お願い、母上様。」
「よかろう!」
真弦がどうして父親の高校を引き合いに出したのかについては、今は問わないでおく。その理由にいくつか思い当たることがあったけれど、鈴子は何も言わなかった。
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