最終話 対魔少女と逆行時計
信乃の体から力が抜け、俺にもたれかかってきた。
正直俺も限界で今にも倒れそうだったけど、なんとか踏みとどまって、座り込むだけにとどめる。
丁度、俺が信乃に膝枕をしているみたいになった。
そう言えば、以前にも似たようなことがあった気がする。
もっとも、こんな殺伐とした雰囲気では無かったのは確かだ。
「まったく、世話かけさせやがって……」
悪態を付いても、俺の頬が緩みまくっていることは、触らずとも分かっていた。
結界が崩れていくのを見物しながら、俺は信乃が目覚めるのを待つことにした。
● いつかの記憶
蝉の
口に含んだ臓物の味、
腹を割かれ、真っ赤になった少年。
笑っているのは――あたし。
何故笑っているのかと言えば、その理由は単純明快。
楽しかったんだ。
千草の腕を毟って、腹を割いて、その中にある内臓を引きずり出すのは、堪らない快感だった。
狂っている。
こんなの、人が持っていい感情じゃない。
当たり前だ。
でもあの時のあたしは、人間では無かった。
引き金になったのは、一緒に遊んでいるときに千草が発した言葉だった。
「――俺、来週引っ越すんだ」
何かの冗談かと思った。
千草は、ずっとあたしと一緒にいてくれた。
その関係はずっと変わらないんだと、我ながら根拠の無いことを信じていた。
そんな幼稚な思い込みは、現実の前ではいとも簡単に砕け散った。
今のあたしならば受け入れられただろう――もっとも、みっともなく泣きじゃくったりはしそうだが――でも、あの時のあたしは、受け入れられなかった。
悲しくて、寂しくて、心がぐちゃぐちゃになった。
千草と離れたくない。
ずっと一緒にいたい。
だから――あたしのモノにしちゃおう。
そんなおぞましい考えが頭をよぎったときには、すでにそれを実行に移していた。
体は醜く凶暴なものに変わり、千草の肉体をグチャグチャにしていた。
千草は、恐怖に顔を歪ませて絶叫を滾らせていたけれど、あばらを全部引っこ抜いた頃には既に静かになっていた。
千草の肉体と尊厳を徹底的に蹂躙した後、あたしは異変を察した母さんによって人間に戻された。
千草の死体を前にして、あたしは泣きじゃくった。
千草を解体する快楽は、一転して後悔と恐怖に変わった。
認めたくなかった。
紛れもなくあたしは正気だった。
正気で、殺戮を楽しんでいた。
馬鹿な話だ。
何が目を開けて、だ。
その目を閉じさせたのは、他ならぬ自分じゃないか。
さっきまで、あれだけ千草を弄んでおきながら、今は自己嫌悪と絶望感に苛まれながら泣くことしかできない。
動かなくなった千草を抱きしめ泣きじゃくるあたしに母さんは言った。
「なあ信乃。もし、チガ坊を生き返らせることができるっつったら、どうする?」
「……え?」
「オマエの鬼の力。その一部をチガ坊に与えるんだよ。そうすりゃチガ坊はオマエの眷属として蘇ることができる」
光明が差したように見えたが、母さんの顔は渋いままだった。
「……けどな、これは呪いだぜ。このまま死なせてやった方が幸せかもしれねえ。チガ坊を殺すのもオマエの勝手。呪うのもオマエの勝手だよ。どう転んでも自分勝手だ。選びな、信乃」
深く考えないまま、千草が助かるのならばなんでもいいと、あたしはそれを実行した。
その言葉の意味を理解したのは、母さんが死に、千草と再会した後のことだった。
「……ん、う」
信乃の瞼がゆっくり持ち上がる。
まだ意識がはっきりしていないのか、しばらく視線を宙にさまよわせていたが、やがれ俺と目が合い、大きく見開いた。
「お、ようやく起きたか寝ぼすけさんめ」
にっと笑って呼びかける。
「なん、で……?」
声を震わせながら、信乃は問う。
「なんで、そんなに平気な顔をしているの? あたしがあんたにどんなことをしたか、忘れたの?」
「忘れるかボケ。ボケるにゃと半世紀はえーよ」
「でも――」
「気にすんなって。おまえは悪くねー……っつてもおまえは納得しないだろうけどな。アレは実際事故みてーなもんだろ。花譜の奴があんなバカやらかさなけりゃ、元々こんなことになってなかっただろうしな」
「五年前のあのときだって、あたしは千草を傷つけた――ううん。母さんがいなければ、あんたはあたしに殺されていた。たまたま、運がよかっただけ」
「たらればの話なんかすんなよ。実際に俺は生きてるじゃねえか。あれはまあ……記憶を封じられたこと以外はなんとも思ってねえよ」
封じられていた記憶の量は決して少なくなく、今まで違和感を抱いていなかったことが信じられないくらいだった。
中にはなんでこんなことを忘れていたんだと思うものまであった。
色々言ってやりたいことは山ほどあるが――
「でも――!」
「だー! ちったあ妖魔のおまえを見習えってんだ! おまえみたいな奴は、もうちょっと無責任に生きてもバチは当たらねえよ! 眷族だぁ? ナメんじゃねえ。それくらいで不幸認定するんじゃねえよ。むしろラッキーとまで思ってるんだぜ。この力があればどんな危険な場所にだっていけるんだ。おまえの隣にもな!」
湧き上がってきた言葉の意味もろくに考えないままぶちまける。
明日あたりに思い出せば恥ずかしさのあまり悶絶するだろうが、そんなの知ったこっちゃない。
妖魔だとか人間とか知ったことか。
「……ごめん、千草」
殺して、ごめん。
そんな体にしてごめん。
今まで突き放していごめん。
俺がどれだけ言っても自分を許すことが出来ないのか、信乃は謝罪の言葉を呆れ返るほど繰り返している。
まったく、大馬鹿者にも程がある。
二百発デコピンを食らわせてあげたいところだ。
このままだと信乃はずっと自己嫌悪に苛まれかねない。
責任感の化け物と言ったところか。
実際マジモンの化け物なんだけど。
どうしたもんかと頭を巡らせていると――ふと、思いついた。
「オーケイ。おまえがすさまじく反省しているのはよーく分かった。なら、俺の言うことを何でも聞いてくれるよな?」
びくり、と信乃の体が震えた……おいやめろよ、なんか俺が悪いことをする見たいじゃねえかよ。
「……うん、分かった。それでも、釣り合わないくらいだから」
「よし言ったな撤回は無しだぜ録音もしたからな」
信乃の僅かに口元が引きつっているが、これもこいつのためなのだ、ウン。
俺は息を吸い込んで、願いを口にした。
「とりあえず――ライン、交換してくれ」
きょとんと目を瞬かせた信乃が吹き出すのは、五秒後のことだった。
近況ノート
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