第18話 明かされる食生活
でも、そうか。
あたしの下着姿、プラスなのか。
あやうく口の端がむにむにしそうだった。
「えっと……ここが今の千草の家なの?」
あまりにも遅すぎる疑問を、口にする。
「ああ。前より広くなっただろ?」
前、と言うのは千草の家族が以前住んでいたアパートのことだ。
初めて遊びに行ったとき物置かと疑問に思ってしまったのは、あたしの黒歴史のなかでもトップ3に食い込む勘違いだ。
世間知らずは時に致命的な過ちを産むのである。
「うん……あれ、おばさん達はいないの?」
「あの二人は仕事で殆ど家にいねーんだよ。ほとんど一人暮らしみたいなもんだな」
ハハハ、と千草は笑う。
確か千草のお父さんはカメラマンで、お母さんは冒険家だったはずだ。
千草がよく四宮の屋敷に預けられていたのは、両親が仕事であっちこっち飛び回っていたことも大きな理由だった。
「ふうん。一人暮らしなんだ……」
千草が一人暮らし、か。
なんかとても不安になってきた。
「大丈夫? ちゃんと三食食べてる?」
「食べとるわい。ちゃんと健康的で文化的な生活は送ってるっつーの」
そうかなあ。
昔から千草はズボラなところがあった。
それが健在であることは、この部屋を見ていればよく分かる。
せめてブレザーくらいはハンガーにかけときなさいよ。
「そう言やあよぉ、梓さんは元気か?」
そんな軽い調子で、千草は聞いてきた。
胸がズキンと痛む。
ああ、そうか。
千草、知らないんだ。
「……死んじゃったよ。三年前に」
「は……?」
理解できないと、千草は目を瞬かせている。
「死んだって、梓さんが?」
「うん――」
死因は言っていないけど、千草は既に察しているようだった。
最強無敵を誇る四宮梓は任務中、妖魔に食われて死んだ。
その妖魔は規格外に強かった訳ではない。
いつも通りの母さんならば、問題無く勝つことはできた。
ただ、逃げ遅れた家族を守ろうとさえしなければ。
死体は右手しか残らず、空っぽの棺桶のまま葬儀は近親者の、さらにその一部のみ
で執り行われた。
あの時の記憶は、極めて朧気で曖昧だ。
意図的に、脳が忘れさせようとしているみたいに。
「そうか……ワリ、嫌なこと聞いちまった」
とても沈んだ声で、千草が謝罪の言葉を口にした。
「大丈夫だよ。もうとっくに受け入れたしさ」
「だと、いいんだけどな……」
はあ、と千草は嘆息する。
千草は母さんを尊敬していた。
母さんもまた、千草をかわいがっていた。
そんな人が、とっくに死んでいたと知ってしまったのだ。
今更ながら、本当のことを言ったのを後悔した。
真実はただただ残酷だ。
人にとって都合のいい嘘の方が、よっぽど優しい。
「……ま、おまえがそうならよかったよ」
うっし、と千草は切り替えるように両手で頬を叩いた。
「千草は、大丈夫なの?」
「ショックだよ、正直な。かと言ってウジウジしてたら、梓さんに引っぱたかれそうだ……って、自分を無理矢理納得させてるところ」
そう言って肩をすくめる。
「……やっぱり、千草は強いね」
あたしなんかより、ずっと。
「強いっておまえ、あんな訳わかんねーバケモノ相手に日本刀ぶん回してる奴が何言ってんだよ」
「それくらい、対魔師なら普通だよ」
むしろ、対魔術を使えないあたしはかなり下に位置している。
四宮梓の娘はダメだ。
そう影で囁かれている――どころか、面と向かって言われたことだってある。
まあ、事実なのだから仕方ないのだけど。
「そうかい……」
妙な沈黙が流れる。
会話が途切れても別に気まずいとはならないが、千草のお腹からぐるるるぉ~と、獣の鳴き声が聞こえてきた。
「……」
「……」
うん、これは、かなり気まずい。
「信乃、なんか食べるか?」
「え、いくらなんでも悪いよ」
今の今まで突っ放しておいて、治療してもらった挙げ句夕食にまでご馳走になってしまっては、罪悪感でぺしゃんこになってしまう
「いいっていいって。どうせ茹でる量が増えるだけだ」
よっこらせ、と千草は立ち上がる。
あたしも後に続こうとして、ハタと気付いた。
「千草……あたしの制服どこ?」
「え、そこら辺に転がってないか?」
せめて畳んで欲しかったと思わなくもないが、さすがにそれは贅沢が過ぎる。
暫く視線をさまよわせて見つけたけど、家鳴りと戦ったせいかかなりボロボロになっていて、血も付いている。
制服は予備で何着も持ってはいるけど、実はこれで三着制服をダメにしている。
一応経費で落ちるんだけど、絶対にネチネチ言われそうだなあ……
と、ブルーになっていると、あたしの目の前にジャージが降ってきた。
「中学の時のだけど、着るか?」
「……う、うん」
千草のジャージか……
……
「……あの」
「うん?」
「着替えるんだけど」
「どうぞ」
「部屋から出てって言ってんの!」
「別に俺は気にしないぜ。むしろ眼福――」
「あたしは気にすんのよ!」
ちっと舌打ちしながら、千草は部屋を出て行った。
少しぶかぶかな千草のジャージに袖を通したあたしは、一階へ降りた。
千草には寝てろと言われたけど、止血さえして貰えば動くはそこまで難しいことじゃないし、これ以上千草の匂いのするベッドで寝ていたらあたしの理性が色々大変な事になる。
リビングにお邪魔すると、少し散らかってはいるものの、普通の部屋だった。
千草は台所で鍋を用意している。
「茹でるって言ってたけど、パスタでも作るの?」
「ああ。つーかそれしか作れねえ」
「それしかって、充分すごいじゃない。あたしもたまに作るけど、結構たいへんでしょパスタって」
ソースを作るのって挽肉とかイカとか、茹でるのと同時進行で炒めたりしなきゃいけないので結構手間がかかるのだ。
あたしの言葉に、はてと千草は首を傾げる。
「いやそうでもねえだろ。ソースは温めりゃあいいんだし」
……うん?
千草の台詞を噛み砕いて理解する。
どうやら、あたしと千草のパスタ像にはかなりの隔たりがあるようだ。
台所にお邪魔して、冷蔵庫を開ける。
結論から言おう。
そこに並んでいたのは、多種多様なチルド式パスタソースやら迷彩柄の怪しげな炭酸飲用やらの密林と化していた。
野菜の存在は皆無であり、野菜ジュースすらもこの冷蔵庫には影も形も見られない。
「……千草、今日の朝食べたものってなに?」
「鮭とカルビのおにぎり」
「昼は?」
「ライフガードと焼きそばパンとメロンパン」
「で、今から何を作ろうとしてるの?」
「パスタ。今日はミートソースにするつもりだけど」
「それだけ?」
「それだけ」
「サラダは?」
「無い」
「全っ然ダメじゃない!」
一人暮らしのダメ食生活の典型的なパターンだった。
いや、別にコンビニのパンやおにぎりがダメって訳じゃない。
あたしも時々お世話になってる。
だが、千草はどっからどう見たってアウトだ。
「いくらなんても栄養バランスが壊滅的じゃない! ほとんど炭水化物とタンパク質に偏っていて、ビタミンが殆ど取れてないし!」
「落ち着けよ信乃。いいか、ある人は言った――人間、炭水化物があれば生きていけるってな」
「そんなふざけたことぬたかした奴を今すぐ連れてきて。ぶちのめしてやるから」
「梓さんだけど」
「何てこと教えてんのよあの人は!」
さっきまでのしんみりした空気を返して欲しい。
なんだってあの人はいちいち千草に悪影響を与えるんだ。
「嘘でしょ……千草がここまで偏食になってたなんて」
がっくりと崩れ落ちるあたしの肩に、千草はポンと手を置いた。
「心配すんなって。俺は好き嫌いが多いって訳じゃないんだ。単に料理が作れないだけなんだ。オーケイ?」
「諭すみたいに言ってんじゃあないわよ!」
その言葉のどこに安心できる要素があると言うのだ。
「いやマジなんだって。一人暮らしになってから料理してみるかと思ってやってみたことはあったんだぜ? でもその結果がコレだ」
そう言って千草がスマホを突き出した。
映っていたのは、その、なんというか、料理と認めることがこの世全ての料理人及び食材への冒涜となりそうな物体達だった。
食わせるタイプの拷問道具と言っても納得できてしまうぞ。
「……で、でも見た目は悪くても味は――」
「生憎と、俺は自分の料理で死にかけるなんてヘマはしたくないんでな。辛うじてできるのは麺を茹でたりソースを温めたりすることくらいだったんだよ」
なるほど、だからパスタなのか。
「それにな。野菜を取ってないっつーけど、ちゃんと取ってるぜ。ラーメンに付いてるネギとか、ミートソースについてるバジルとか、あれだって立派な野菜だろ?」
「そんなんで野菜を充分にとれてることになったら、この世の中に大量の野菜ジュースが出回ってる訳ないでしょ!?」
真顔でそんなことをほざく千草を一旦無視して、一応冷蔵庫以外にも、食料品が入っている戸棚を見てみる。
入っていたのはパスタの乾麺やら、カップ麺やら、袋麺やらその他諸々。
ゴミ箱にはコンビニ弁当の空箱が大量に捨てられていた。
しまいには、炊飯器が小物入れになっていた。
「……これ、おばさんが見たら発狂するんじゃない?」
ふいっと千草が目を逸らした。
はあ、と溜息をつく。
同じ一人暮らしの学生であるあたしだって、きっちり模範的な生活をしていると断言することはできない。
が、これはいくらなんでもマズいことくらいは火を見るよりもなんとやらだ。
「で、ソースは何にする? 俺はミートソースだけど。好きなの選んでいいぜー」
一番緊迫した空気にならなくてはいけない奴が、のほほんとお湯を沸かし始めているのを見て、あたしは一つの決意を固めた。
つかつかとこコンロの方へ移動し、火を止める。
「お、おい。何するんだよ?」
「千草。ソファーで大人しく待ってて」
「待つって、じゃあ夕飯はどうすんだよ」
戸惑う千草に向かって、あたしは言い放った。
「あたしが作る。インスタントが裸足で逃げ出すくらい栄養満点で美味しい奴をね!」
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