第16話 応急処置

 死者十六名、生存者一名。


 ニュースで報道されればかなりの大惨事として世間を戦慄させるであろう結果が、このマンションで起こった妖魔事件だった。


 ちなみに生存者を助け出したのは誰あろう、四宮信乃と千ヶ崎千草の名コンビなのである。


 救助した子供は、信乃が呼んだ黒スーツの連中に連れて行かれた。


「おいおい、大丈夫なのかよアレ。目撃者は死ぬべきとか言って始末されるんじゃないか?」


 マンションの門にもたれかかってる俺に、信乃が何言ってるんだこいつと睨み付けた。


「バカ言わないの。治療とアフターケアのための専門施設に連れてくだけよ。あんな化け物に襲われたなんて記憶があったら、日常生活に支障がでるでしょ……って待って。流れでコンビっぽい感じになってたけど、あんたも施設に行った方がいいんじゃないの?」


「絶対に断る。いい加減腹くくれよ。どれだけ記憶をふっ飛ばそうが、俺は真相に辿り付くって結果に収束するんだ。これがシュタインズゲートの選択ってやつだぜ。オーケイ?」


「しゅた……? え、ごめん何?」


「……」


 そうか、こいつシュタゲ見てないのか……


 甚太とか誠とか、アニメネタが通じる奴ばっかと話してるから通じるのが当たり前だと思っていたが、当たり前ながら例外も存在するのだ。


 それでも地味にショックだぜ。


「……つーか、マンションに取り残された人を助けるにしては、人員少なすぎだろ。建物のサイズと導入される人数が噛み合ってねーぞどうなってんだ?」


 少数精鋭というのにも限界がある気がする。

「当たり前でしょ。元々これは妖魔の討伐がメインであって人命救助は仕事に入ってないんだもの」


 と、信乃はしれっと言ってのけた。


「……ちょっと待てよ。つまりあのガキ助ける必要なかったってことかよ!?」

「仕事的に言えばそうね。対魔師は妖魔を殺すもので、人を助けるものじゃないから」


 淡々という信乃に、俺は声を荒げた。


「じゃあ、なんでそんなボロボロになってまで助けたんだよ! あいつら見捨てて妖魔ぶっ倒せば、もっと早く終わっておまえもそこまでダメージを受けずに済んだんじゃねえかよ!」


「うっさいわね。別にこれくらいどうってことないわよ。助けられなかった人が十六人もいたってことに比べればね」


「――」


 呆れた。


 これだけ傷ついておきながら、信乃は死んでいった連中を救えなかったと本気で悔いている。


 妖魔そこまで詳しくはないが、奴らに殺されるなんてことは事故みたいなものだと言うことははっきり分かる。


 いつどこに現れるか分からず、殆どの人間が対抗する術を持っていない。


 たった二人でその何倍もいる人間を救うことなんで出来やしない。


 そんなことも分からないのか――いや、分かっているからこそあいつは悔しいのだろう。


 それでも、救える人間は絶対に救おうと、自分をボロボロにして奔走している。


 まったく、何やってんだかと嘆息していると、信乃が歩き出した。


「後始末は他の人達がやってくれるから、あたしは帰る。あんたも気をつけて」


「気をつけてって……その傷で何けろっとしてるんだよ」


「大丈夫。これくらい自分で……」


 ぐらり、と信乃の体が傾く。


 慌ててその体を支えた。


 ほっそりとした、だがほどよく筋肉が付いた体の温もりに思わず心臓がぶっ飛びそうになるが、今はそんなこと言ってる場合じゃない。


 信乃は目を閉じ、ぴくりとも動かない。


「信乃! おい信乃!」


 慌てて脈を取る。


 少し弱まっているが、


「だから言わんこっちゃない……どこだ、どこに担ぎ込めばいいんだ?」


 病院は……駄目だ。


 こんな状態の信乃を担ぎ込んだら、絶対に面倒くさいことになる。


 花譜を呼ぼうとしても気絶させたからいつ目を覚ますか分からないし、電話番号も知らん。


 となると……


「……あそこしか、ないか」


 覚悟を決めて、俺は予想よりも軽い信乃の体を担ぎ上げた。




 鍵を開けるのに手間取りながらも無事帰宅した俺は、ひとまず自分の部屋へ向かった。


 傷だらけの信乃を自分のベッドに寝かせる。


 信乃が、俺のベッドに寝ている。


 なんともグッとくるシチュエーションだが、寝ている当人が怪我人ではムードもへったくれもありゃしない。


 俺は医師免許を持っていないし、これからも取得するつもりもないが、応急処置くらいはできるだろう。


 逆行時計を手に入れる前は、喧嘩をして怪我をするのもしょっちゅうだったので、包帯の扱いには少々自信がある。


 あの日々は決して無駄ではなかったのだと、過ぎ去りし中学時代に思いを馳せながら、家からガーゼや包帯をかき集め、ついでにお湯を沸かして洗面器に入れた。


 これだけあれば不足はあるまい


「さーて、スーパードクター(無免許)千草様の応急処置を始めましょうか……ね?」


 手をワキワキさせながら、ふと思い出す。


 俺がやろうとしているのは、傷口にガーゼを当てて包帯を巻くという応急処置だ。


 ガーゼをあてるには、まず信乃が着ている服が邪魔になるわけで。


「オーケイ、状況を整理しよう」


 言ってはみたが、そんなもん整理するまでもない。


 処置をするには、まず服を脱がせなくちゃあならないのだ。


 さらに怪我の状況次第では、下着も脱がせなくてはいけない。


 ……

 …………

 ………………うん。


「しょうがないよな。これはあくまで医療行為だ。必要な行為なんだ。褒められることこそあっても、責められる筋合いは無いよなウン」


 正義は我にありいざ鎌倉、と、信乃の制服に手をかける。


 場合によっては服をハサミで切る必要があるが、さすがにそこまで緊急性は無いというか、後で色々マズいことになりそうだ。


 ブレザーを脱がせてリボンをほどき、シャツのボタンを外していく。


「……うわあ」


 下着はやはり黒だった。


 信乃の胸は平均をやや、いやかなり下回っているが、そのつつましい胸を守る下着の鮮烈な黒が、大きかろうが小さかろうがエロいもんはエロいと物語っていた――の、だが、


「なんだ、これ」


 信乃の体に刻まれているのは、多種多様よりどりみどりな、傷跡だった。


 大きな怪我をしたときに、切り傷や刺し傷は傷跡としてそのまま体に残る。


 時間の経過と共に消えていくこともあるが、それでも完全に傷を消すことは難しい。


 そこに今日追加された新鮮な傷が、赤々とした存在感を放っていた。


 なんで怪我をしたのか、なんて理由は問うまでもない。


 妖魔と戦ってこうなったのだ。


 正確には、妖魔から人を守ったから、と言うべきか。


「バカ野郎……自分が傷だらけじゃ、意味ねえだろうが」


 他人をを守るなんて行為は、自分を守れて初めて選択肢に出てくるものだ。


 こんな傷だらけの奴が、やっていいことじゃない。


 今回の戦いで分かったが、信乃は強い。


 が、それはあくまで一人で戦えばということだが、こいつは力の無い奴を守ることに力と集中を割いてしまう。


 その結果が、このザマだ。


「誰かを守って、自分がボロボロじゃ世話ねえな、ホント……!」


 濡らし脱脂綿で傷口の汚れを取り、消毒薬を吹きかける。


 効果はバツグンなのは俺のお墨付きだが、効果に比例して恐ろしく染みるのでもしかしたら飛び起きるかもしれないと身構えたが、信乃は未だに眠ったままだった。


「それだけ、疲れてるってことか」


 ガーゼをぐるぐると包帯で巻き、テーピングする。


 残った傷も、同様の処置を施していく。


 しかし誰かの応急処置をするというのは、自分の体より疲れる気がする。


 主に、起きてボコボコにされたらどうしようと恐れる精神的疲労と言うべきか。


「ん? なんだこれ」


 信乃の背中に、時計をモチーフにしたような刻印が刻まれていた。


 それもかなり大きい。


 趣味なのか、はたまた対魔師関係のものなのか。


 修学旅行の温泉とか大丈夫なのか、とどうでもいい感想が浮かんでくる。


「けど、コイツも結構回復早いんだな」


 あんな鋭い角にぶっ刺されたら、普通だったら失血死している。


 まあ、あんな摩訶不思議なバケモノと戦ってる訳だし、何かしら特別な快復力を持っていてもおかしくはない。


 俺の逆行時計のこともあるわけだしな。


 全ての傷の処置を終えた時には、時計の長針が一周していた。


「……あー、疲れた」


 マンションで妖魔どもと戦った時よりも体力と精神力を使った気がする。。


 んがぁ、とベッドに寝っ転がろうとしたが、今は先客がいることを思い出して慌てて体を止める。


「やっべ、いつものクセで信乃を潰しちまうどこだったぜ……」


 さすがにこれ以上包帯は巻きたくないぞ。


 もっと言うのなら、もうしばらく包帯と脱脂綿は見たくない。


「……」


 下着が丸見えだったので、信乃の体に布団をかぶせる。


 写真を撮ったらどうだと酷い誘惑があったが、そこまでするほど落ちぶれちゃいない。


 やるときにはまず信乃の許可を取ってからだ。


 信乃の呼吸は安定している。


 しばらくしたら目を覚ますだろうと思っていると、腹がぐるると鳴った。


 応急処置が終わって気が緩んだのが原因だな、こりゃ。


「そーいや、そろそろ飯の時間だな」


 何を食おうかと考えるが、俺の体は台所へ向かおうとはしなかった。


 部屋を離れた瞬間に呼吸が止まったらどうしようという変な不安があったのだ。


「気のせいだとは分かっちゃあいるんだけどな……」


 まあ、別に数時間遅れたとて死ぬことはない。


 信乃が起きるまで待っていようと、使い古した携帯ゲーム機の電源を入れる。


 液晶画面から、真っ赤な服を着た太っちょのオッサンが甲高い声で自己紹介をしてくる。


 とっくに全てのステージをクリアしたゲームだが、未だにちょくちょく遊んでいる。

 特別好きというわけじゃないのだが、いつの間にか遊んでしまう。


 他にも好きなゲームはあるのだが、ガキの頃からずっとやっているのはこれだけだ。


 それこそ、信乃と一緒に遊んでいた時にも。


「さーて、今日はタイムアタックでもしますかね」


 ちなみに自己ベストはとっくに忘れていた。

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