第14話 栄養補給
「意、味。不明」
「だろうな。おまえスマブラやってるツラじゃねえし」
絶はしばらくは立ち上がれなさそうだ。
どんな奴でも、顔面を思いっ切りぶん殴られればすぐには動けない。
さっきの赤い光がなんなのか分からないのは気持ち悪いが、今は使えるものはなんでも使うしかない。
拳を固めた瞬間、絶のクモの腹から、糸が発射された。
それは視認できる程太く、切るのには向いていない。
糸は天井にくっつくと、絶の体を天井まで引き上げた。
逆さになって天井に張り付いた絶は、近くにつるされていた人間を鷲掴みにして、ぐずぐずになった頭にかぶり付いた。
ぐしゃぐしゃぼりぼりむしゃむしゃ
肉と骨が混ぜこぜになって咀嚼されている音が、いやに大きく響いた。
血と体液が、びたびたとコンクリートの地面を濡らしている。
食っている。
化け物が、人を食っている。
釣り上げられている人だったモノ達がどのような役割を持っているのかは、薄々分かってはいた。
だが実際にその光景を目の当たりにすると、湧き上がってくるものは怒りでも悲しみでも恐怖でもなく、気持ち悪いという、かなり最低な感想だった。
親しい奴が――例えば誠や甚太が――同じような事になればブチ切れる自信はある。
問答無用で化け物を殺しにかかるだろうが、見ず知らずの他人が食われても同じ行動が取れるかと問われると、その答えはノーだ。
「問題は、なんでここでお食事タイムなのかってことだよな」
食事を楽しむという間隔があるかは不明だが、生き物(とカテゴライズするとして)が他者を食らう目的は一つだ。
栄養補給。
絶は俺のパンチでかなりのダメージを受けている。
そのダメージを人を食って補おうと言うのだろう。
「させるかよ――!」
もう一発お見舞いしてやると地面を蹴る。
「同じ手、食わない」
絶の姿が天井から消える。
「は?」
慌てて探す必要はなかった。
絶は、一瞬で俺の目の前に移動していたのだ。
「返す」
丸太のような腕が、俺の腹を打ち抜いた。
俺の体は、鮮血を振りまきながら駐車してあるボックスカーに突っ込んだ。
ガラスを突き破り、運転席に激突する。
「く、クッション性抜群……!」
だくだくと腹から血が流れていく。
剣や糸が使われているようには見えなかった。
ただぶん殴られただけで、腹に穴が空いた。
「くっそ、化け物かよアイツ……いや、実際化け物だったわ」
塞がっていく穴を見ながら毒づいた。
案外いけるんじゃないかと思ったが、その前言は撤回せざるを得ないみたいだった。
ずん、とボックスカーが揺れ、外から見える景色がどんどん上に上がっていく。
「おいおいおいおいおい……もしかしなくてもこりゃあ――!」
あのデカブツ、車持ち上げてやがる……!
「バカ力にも限度があんだろうが! ああやばいどうすりゃあいいんだ!?」
頭を回そうとしたのと同時に、奇妙な浮遊感と共に急速に景色が横に流れていく。
慌ててドアを開けて、車内から転がり落ちる。
「ぐえっ」
地面に叩き付けられたのと同時に、轟音が鼓膜をつんざいた。
目を向けると五メートル先の壁に、スクラップと化したボックスカーがあった。
あと数秒遅かったら、と考えるのは止めておこう。
ふうと一息つこうとした瞬間、巨大な杭を彷彿とさせる蜘蛛の脚が頭上から襲う。
「っぶねっ!」
慌てて避けた。
地面を転がり顔を上げると、目の前に突き出された蜘蛛の腹の先端があった。
突然だがちょっとした豆知識。
よくマンガやアニメで蜘蛛型モンスターが口から糸を吐くシーンがあるだろ?
でも実際には腹の先端から出すんだぜ。
糸が撃ち出される。
そう認識したときには、俺の体は壁に叩き付けられていた。
少年マンガ顔負けの亀裂が入る。
地面に墜落することはない。
その原因は、俺の胸を中心に広がり壁に張り付いている糸だ。
どうやら、弾丸みてーな速さで俺の腹をぶち抜く、みたいなびっくり能力じゃなくてよかった――いや、この状況は全然よくねえ。
引っぺがそうとしても、その手が糸にくっついて離れなくなった。
「びくともしねえ……アレか、ベタつくタイプの糸って奴かよ!」
再び蜘蛛の豆知識。
蜘蛛が出す糸には二種類あり、ベタ付かない移動用の糸と、ベタ付く捕獲用の糸がある。
ちなみにベタ付く糸は張り巡らせた蜘蛛でさえも引っかかることがあり、時々自滅することもあるとかないとか。
小学校で習った知識を引っ張り出してみるが、どうしようもない現実の確認をするだけだった。
「こんにゃろ、離しやが、れ……?」
がくん、と意識がブレる。
異変はそれだけではなく、手足が痺れ、糸に触れていなくても動かすことができない
あ、ヤバい、これは、マズい。
「テメェ、まさか……糸に、毒を……」
「是。おまえ、終わり」
ドロドロになっていた人間の謎が解けた。
こいつは牙を突き立てて毒を注入するのではなく、捕獲用の糸に毒を仕込ませていた。
「けど、残念だったな……俺には、逆行時計が――」
言葉を続けようとして、気付く。
例え逆行時計で毒を受ける前まで体を巻き戻らせたとしても、俺の体が毒にさらされている状況は、何一つとして変わっていない。
逆行時計が動く限り、俺は天井に吊り下げられている奴らの仲間入りすることはない。
だが――その代わり、俺はずっと毒に侵され、死ぬことが出来ない。
終わらないし、終われない――いや、死にたくはないんだけども。
糸を引きちぎれば脱出はできるんだが、蜘蛛の糸は凄まじく頑丈で有名だし――そもそも、体が動かない。
「……ああ、これ、やっべえ」
認識がようやく現実へと追いついた。
「おまえ、負け。俺、勝ち」
そして現実を、絶は口にする。
状況を見れば否定のしようがない。
「……いいや、違うね!」
もっとも、納得するかどうかは別問題だ。
まだ、終わってない。
諦めたら試合終了ってことばあがる。
あの言葉の裏を返せば、諦めない限り試合は永遠に続くのだ――多分!
とは言え、ほとんどやせ我慢に違い。
毒が回ってきたのか、意識もどんどんあやふやになっていく。
狭まる視界の中で――ふと、流星のような一条の輝きが見えた。
糸が切断される。
自由になった俺の体は重量に従い地面に墜落した。
「あだっ」
糸から逃れられたからか、徐々に意識もはっきりとして視界も開けた。
そして、見た。
蛍光灯を背に立つ、最高に格好いい幼馴染みの姿を。
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