第3話 ストーカーにあらず

 ストーカーは、ストーカー規制法第2条第1項第1号によって禁止されている立派な犯罪である。


 別に深い意味はないし、俺が帰宅中の信乃の後を付けているのは、決してそれに該当するものではない。


 俺の目的は、あくまで真相の究明ってヤツである。


 信乃が負っていた傷。


 あれはどうもきな臭いものに見えてならない。


 もしかしたら、何処か引っかけただけかもしれないし、単なる事故である可能性もなくはない。


 しかし俺の第六感と言うべきものが、そんな生易しいものではないと知らせていた。


 直接聞き出そうとしても無駄だということは分かっていたので、こーやって無許可にやらせてもらっていると言うわけである。


 なんか探偵にでもなった気分だ。


「アンパンがあれば完璧だったな……」


 コンビニで買ったパンは全て食べてしまったので、何か口に入れたいところだが、それで見失ってしまっては本末転倒だ。


 ポケットに入っていたミンティアをボリボリか囓りながら、電柱に身を隠す。


 信乃からは50メートル離れている。


 ここまで距離を開けていれば気付かれることはないだろう――


「ママー変なお兄ちゃんがいるよー」


「こらっ見ちゃダメよっ」


 なにか変だなにが。


 電柱に潜んでいるのがそんなにおかしいか……おかしいな、ウン。


「こっちだって好きでやってるんじゃねーやい」


 小声でぼやきながら、信乃の後を追う。


 近すぎるとバレるし、遠すぎると見失う。


 尾行ってのは、テレビで見るより難しいな。


「……?」


 ひょいと、突然信乃が振り向いた。


「やべっ」


 慌てて身を隠す。


 信乃の視線が、俺の潜む電柱に注がれている。


 ヤバいヤバいヤバい脚が震えている。


「んー……? ま、いいか」


 そう言って、再び歩き始めた。


「どぅっへー……マジで寿命が三日縮んだ気分だぜ」


 仮に寿命が三日以内だったら、このまま即死コースだ。


 なんて縁起でも無いことを考えながら、俺は尾行を再開しようとしたところで、肩を掴まれた。


「ねえ君。ちょっといいかな?」


 振り向くと、満面の笑顔の警官が親指で交番を指さしていた――





「ぜーっ……ぜーっ……なんだって今日はこんなんばっかりなんだよ!」


 なんとか警官の魔の手から逃れた俺は、息を切らしながら恨み節を吐く。。


「ったく、公職の怠慢って奴だぜ。俺みたいな善良な市民を追いかけ回す暇があるなら、未解決事件の一つでも解決しろってんだ」


 楽な方に逃げると人は堕落するって昨日テレビでやってた。


 おまけに信乃のことも見失ってしまったので、踏んだり蹴ったりである。


 ちなみに経験上、蹴って踏んだ方がコンボとして効果的だ。


 GPSでも仕込んでいたならすぐに見つけることができるんだろうが、それだとマジモンのストーカーだ。


 諦めると言う選択肢もあるにはあるが、なんとなくそれはマズい気がした。


 我ながら動機があやふやすぎる。


 一応我が家には門限が無いが、あと三十分探して見つからなかったら今日は諦めようと決めて、信乃を探す。


 いくら人混みに紛れていようが、一発で見つけられる自信があるが、思いの外見当たらない。


 電車に乗って帰ってしまったのだろうか。


 もしそうだったら、俺は完全に骨折り損のくたびれもうけだ。


 それを言うなら、この尾行だって意味があるかは結構怪しいものなんだが、それはさておくとして。


「……ん?」


 ふと、すっかり見慣れた後ろ姿が建物に入っていくのが見えた。


 信乃を見つけた安堵感というより、なんでそんなところに入っていくんだと言う疑問の方が大きい。


 その建物は、住宅街や商業施設から離れた場所にある廃工場だった。


「まさかあそこが実家ってわけじゃないよな」


 信乃の家には何度かお邪魔したことがあったが、すさまじくでっかいお屋敷だったと記憶している。


 家を出て一人暮らしを始めたのかもしれないが、あの物件はちょっとファンキーすぎる。


 あの怪我のこともある。


 どう考えたって、あそこで和やかなことが行われるはずがない。


 工場の前へ向かう。


 門は閉ざされ、チェーンが何重にもかかり、とどめとばかりに『立ち入り禁止』の看板が掛けられている。


 その横にお札らしきものが張られていた。


「……なんだこれ。安全祈願的なやつか? それにしちゃ新しいな」


 この高さならば、登って中に入ることなんてどうってことはない。


「しかしまあ、本当に辛気くさい場所だなここ」


 人が出入りしなくなると建物は死ぬとはよく言ったものだ。


 目の前の廃工場は、その呼吸を完全に止めていた。


「あとは時が経つまま腐るのみってか?」


 ドアノブに手をかけた瞬間、ぞわりと寒気を感じた。


 ――引き返せ。


 ――このドアを開けたが最後、もう後戻りはできないぞ。


 ドアノブを握っている手が震えている。


 引き返せば、何も知らないままでいられる。


 高校生、千ヶ崎千草のままでいることができる。


 だがそれは、信乃が置かれている状況から目の前に目を逸らすと言う事だ。


 この中に信乃がいる。


 ドアノブを握っただけでも分かる、この得体の知れない空間に。


 それを黙って引き返すことなんて出来ないし、したくない。


「くそっ、男は度胸だコルァ!」


 自分にハッパをかけて、ドアを蹴り開けた。


 普通に痛かったが、その痛みが吹っ飛ぶくらいの光景が目の前に広がっていた。


 廃工場の中なんて、仮面ライダーでしか見たことがなかったが、それとは全然違う。


 配管が内蔵のように至る所に張り巡らされ、不気味に脈動していた。


 廃工場とは比べものにならないくらい広く、異次元とか別世界とか、そんな表現がしっくりくるものだった。


「なんだ、こりゃあ……?」


 怪物の腹に入ったような気分だ。実際入ったことないけど。


 淀んだ空気と共に流れてくるのは、錆びた鉄の匂い。


 どこかで血が流れているというよりも、この異界そのものがそんな匂いなんだろう。


 喉を鳴らしながら、俺は異界の中を進んでいく。


 どう考えたってまともじゃない。


 大がかりなドッキリを疑うが、こんな大がかりなセットを一般人の俺のために作るほどの暇人がいるわけでもないだろう。


「信乃ー! どこにいるんだー! 返事してくれー!」


 大声で呼びかけても、あいつの声は帰ってこない。


「くそっ、人捜しにはあまりにも広すぎるぜここは……!」


 もう三十分は探したんじゃないだろうか。


 休憩のために、近くにある配管の上に座る。


 水分補給に何かないかと探していると、少し残ったライフガードが入っていた。


 背に腹は変えられぬと、一息に飲み干した。


「うっえ、まず……」


 冷えている時の爽快感はどこえやら、約束された敗北の味である。


 温くなって炭酸も抜けてしまっては、ただの甘い液体だ。


「そういやこういう場所、前にアニメで見たっけな」


 定番の流れでは、こーいった場所には得体の知れない怪物が住んでいて、迷い込んだ人間を容赦なく殺すって展開だ。


 甚太曰く、それは怪物の恐ろしさを的確に表現するために必要なお約束なんだとか。


 だとしても、見るからにヤバいところに好奇心丸出しで向かって死ぬなんて、おまぬけにも程がある。


 地雷が埋まっているのが分かっているのに、タップダンスを披露するようなものだと笑ったところで、はたと気付く。


「……あれ、となるとそのおまぬけ野郎って、俺じゃね?」


 たらーり、と嫌な汗が流れる。


「いやいやまさかそんなね? 俺は極めて平凡……ってワケじゃ無いけど普通に生きてる高校生だぜ。いやだな全く、一人だと変なことばっかり考えちまう。別にビビってるワケじゃあないぜ? ただなんとなく喋りたいって衝動にかられているだけでそういうマイナス思考にかられてるワケじゃないしまああれだよやっぱ誰もいない空間に長時間いると独り言が多くなるって言うじゃんか一人暮らしの人みんな言ってるじゃんならこれはごくごく普通の反応ってことだろそうだよな?」


 一応問いかけるような口調だが、返事が返ってきたらそれはそれでヤバそうだと思っていると、ふと、脈動以外の音が聞こえた。


「何だ……?」


 聞こえてきた方向に耳をすます。


 金属と金属がぶつかり合っているような音。


 まるで誰かが戦っているような。


 ごくり、と喉を鳴らしながら、音を頼りに進む。


 進めば進むほど、内蔵じみた配管の数は増えている。


 その影から覗き込む。


「なんだ、あれ……!?」


 目の前で行われていたのは――殺し合いだった。


 戦っている片方は、イタチらしき怪物。


 動物、と表現しなかったのは、両腕が矮躯を超える長さの刃渡りの鎌になっているからだ。


 小柄な体に巨大な鎌というアンバランスな怪物は、所謂カマイタチと言う奴なのではないだろうか。


「オーケイ、冷静になろう。よく考えたらこんなこと起こるはずがないんだ。ここは一発頬を殴れば正気になるはずだ」


 殴った。


 普通に痛いだけだった。


 夢オチを期待していたのに、これが現実であるということが確固たるものになってしまった。


 なんてこったい。


 それでも、到底信じられるものじゃない。


 怪物と戦っているのが、他ならぬ信乃だということを。


 信乃が手にしているのは、一振りの日本刀。


 いつも持ち歩いている竹刀袋の中身が判明したが、なんてもの持ち歩いてんだあいつ。


 信乃はまるで自分の体の一部のように刀を振るう。


 一朝一夕で身に付けたとは思えない、体に染みついたような剣技。


 凄まじいスピードで、残像すら見えるのではないかと思うほどだ。


 剣の達人の動画をネットで見たが、今の信乃を見た後ではただの児戯にしか見えない。


 見せて魅せるのを目的にしたものではなく、ただ相手を殺すことのみに特化したような――そんな動きだった。


 正直に言おう。


 俺はその姿に魅入られた。


 幼なじみが日本刀片手にバケモノと戦っているという、トンチキ極まりない光景にもかかわらず、俺は口を開けっぱなしにしてそれを見ていた。


 それだけ、信乃が美しかったのだ。

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