異次元と月 ー崩壊の時の手紙ー

猫隼

異次元の怪獣、月の怪獣

──「私はそれを自然淘汰の原理と呼んでいる……実例がなければ自然淘汰の威力がここまで大きいとは予想してなかったと告白しよう……自然淘汰説を用いれば、生物の変遷は世界中で同時平行的に進行しているという重大な事実の説明がつく」チャールズ・ダーウィン──




 20XX年1月9日。日本、東京、とあるネットカフェ。

 電子メール(1月9日5時21分)

「親愛なるミヤコ姉さん。

こんな時にだけ家族面なんて、自分でだってどうかと思うけど。

ネットのニュースで知ったのですけど、スイスの粒子加速機の事故。

あれは姉さんが働いてるところですよね。僕の情報は古くて、もしかしたら働いて"いた"所かもしれないですけど。でもどちらにしても心配です。どうかあなたが無事であるなら、このメールに返事をください」


 yahooニュース(1月8日23時00分配信)

「大型ハドロン衝突型加速器(LHC)で爆発事故。欧州原子核研究機構(CERN)、EU各国政府は原因調査中と発表。ネット上ではブラックホール事故の仮説も…… 」


 Twitter(1月8日23時44分頃)

「衛星写真(?)やべえじゃん。粒子加速しすぎて核爆発でも起こったの?」

「ホーキング放射があるから、ブラックホールじゃないと思う」

「人間がついに世界を滅ぼそうとしてる。黙示録の始まりだ」



 1月9日。フランス、パリ、パリ=サクレー大学、OEF研究所。

 電子メール(1月9日20時45分)

「親愛なるコウヤ。

いきなりだけど大事な話があります。

まず、私は無事です。その恐ろしい瞬間にはいなかったですから。恐ろしいというのは、つまりあれはただの爆発事故ではないんです。なるべく私が知ってる情報を簡潔にまとめた文書ファイル添付してますから、読んでください。

コウヤ、あなたに読んでほしいの。そして正直な意見が欲しいの。わたしはそれを引き起こした何かが、あなたが昔話してくれたような、あのありえない生物のどれかかもしれないって、そう考えてるの。

そしてだとしたら私たちにはあなたの力がいる。あなた今家にいないでしょう。どこにいるかを教えて。私たちのところに来れそうにないなら、私たちがあなたを迎えに行くから」


 文書ファイル「コウヤへ」

「……」

 長ったらしいが、結論はそれほど複雑なものではなかった。

 標準的な宇宙モデルにおいて強い核力(相互作用)と呼ばれるもので結びつけられたエネルギー粒子、つまり陽子や中性子と呼ばれる粒子を加速させる、高エネルギー物理実験のため建設された衝突型円形加速器LHC。そこで、素粒子クォークの新しい型が由来と思われたある種の反応が検出機に捉えられたのが1月2日。そしてその次の日には、検出された反応は数理的にはエネルギー量の(実質的に閉鎖系での)増加だということが、コンピューターの計算結果として示された。

 つまり、物理学において基本条件とも言える1つの法則、エネルギー保存の法則の破れが検出されてしまった訳である。しかしもちろんまだ、どこかで勘違いしている可能性は十分にありえた。

 当然、詳しい解析が進められたが、簡単に明らかになったさらに驚愕的な事実があった。つまり連鎖である、それも絶対にありえないような速度の。

 その(もはや完全に原因不明と考える向きが多数派となっていたが)素粒子反応はほとんど一瞬の間に検出されたものだったが、その一瞬の間、そこに起きていたことは驚くべき、いわば瞬間的に発生したネットワークのようなもの。

 ありえなかった。まるでエネルギーを使って奏でる音楽。急速な反応量の変化、そしてそれはあまりにも、早すぎた。簡単にはそれは、例えば粒子を動かして様々な文字を作っては壊してを繰り返してるような現象と言えた。だがそうだとすると、その粒子が動かされる速度が、(宇宙の限界速度であるはずの)光速の1000~10000倍以上と考えなければおかしかったのだ。だがそんなこと……

 短い時間の間に、この異常事態をいち早く知れた世界有数の物理学者たちは、とにかく大量の仮説を提案したが、まともに説明できているといえるようなものは全然なかった。(矛盾なくすべてを説明できるという意味でなら確かに)まともな説明を最初に発見できたのが、コウヤの姉ミヤコだった。

 ミヤコは弟のことをずっと、ちゃんと理解していた。いつのまにか科学者の夢を捨てた変わり者だけど、それでも自分よりずっと特別な生物学者だと知っていた弟が、自分が大学生、彼がまだ中学生の頃に話してくれたある仮説をしっかり覚えていた。世には出なかった。仲良しだった科学好き姉弟と、(おそらくほとんど理解できてなかったし、そもそも関心がなかった)両親だけが読んでいた、幻の論文『ありえない生物』のこと。だからこそ彼女はそんな可能性に気づけたのである。


 ミヤコは、コウヤに比べればかなり物理の数式の理解度が高い。説明されても彼には確信がもてなかったが、しかし彼女が言うなら確かにそうなのかもしれない。

 確認された早すぎる連鎖反応は、何らかの生物反応(のおそらくその一部分)がこの時空間に現れた現象と考えられる。だとすると、確かにそれは、コウヤが昔考えた、別の領域の生物が引き起こした現象なのかもしれない。

 ただしそれだけなら、確かにかなり大発見ではあるが、所詮ただの興味深い現象にすぎないものだったろう。だが現実に、その悲劇も起きてしまった。

 ミヤコは後から現場を見ただけだが、それは単に何かが爆発した跡は思えなかった。いくつかの状況証拠は、それが何かに踏み潰されて破壊されたことを示していたのだ。異なる領域の生物に由来する反応が観測されてからほんの1週間ほど後、おそらく何か生物に、そこは踏み潰されたのであった。



 1月11日。日本、京都、とある家。

 電子メール(1月11日0時51分)

「昔書いた論文のデータ送ります。

物理学に関しては僕にはわからないことも多いけど、だけどあなたが教えてくれた情報を全て信じるとするなら、確かにその現象は、僕の論文で考察されてた、僕たちには本来干渉不可能なはずの別領域の物質、つまりダークマターの生物が引き起こしたものなのかもしれません。

ミヤコ姉さん、あなたの推測は正しいと思います。おそらく粒子加速、衝突実験の過程のどこかで、この時空においては我々が無視できるほどに小さな何らかの物理反応のどれかが、別の領域の生態系を致命的に破壊してしまった。観測された反応はおそらく、物理法則の異なる領域同士が重なったために起きた、局所的な世界の崩壊と思います。

しかし、普通なら崩壊は、生物の死を招いたはずで、それはこちらの世界には現れなかったはずです。

これは仮説にすぎないですけど、もしも別の領域(はっきりダークマター物理領域と言っていいかもしれませんが)で時間の流れが異なっているなら、こちらでは一瞬の時間で、向こうでは数千万、もしかすると数億年の時間があり、領域の重なる過程で、あるいは崩壊の瞬間にさえも、こちらの世界に適応するような進化が可能だったのかもしれません。

このような仮説が正しいとするなら、1週間後に起きた崩壊は、何か、適応というか、昆虫の変態のような過程の何かなのかもしれません。多分繭に入った。繭はダークマターを使っていて、崩壊は、完成したそれに入ろうとした動きのためだった。

これに関する説明はどこまでも長くなるでしょう。だから結論だけを言うと、やがて成虫、こちらの世界に適応した成虫が現れることでしょう。そしてどう考えてもそれは、我々にとって、とても恐ろしい怪獣でしょう。幼虫のちょっとだけの動作が、巨大施設を壊すほどです。それより小さな成虫が現れるなんて考える理由はありませんから。

羽化(?)がいつかはわかりません。それが何千年、何万年も先かもしれないことが救いと思います。

でももちろん、もっと早い可能性もあります。僕たちが生きている間でもありえます。

正直役に立てるか、あまり自信はないけど、協力できることなら協力します。ただ、海外に行くことなんてできるかわからないから、ごめんなさい、迎えに来てください。今は昔の、実家にいます」


 NHKニュースウェブ(1月11日4時19分配信)

「ヨーロッパを襲った未曾有の災害……」


 BBCニュース(1月11日5時03分配信)

「災害は巨大生物……生き残った人たちの証言によれば……「姿を次々変える、巨大なロボットのようだった」……知的生命体の進化の行き着く先は必ず機械生命体であるとされているが……」


 Twitter(1月11日8時12分頃)

「夢なら覚めてほしい」

「大地震でもこんなパニック起きないと思う。マジでやばい」

「異次元からの怪獣なんて」


 1月12日。日本、京都、家。

 電子メール(1月12日9時31分)

「届いてくれたならいいですけど。

返事はいらないです。あなたが生きていてくれたら、この苦難の時を生きのびてくれたなら嬉しいです。

ミヤコ姉さん。

あの論文、ありえない生物の、読みましたか? それとも覚えていますか? あれには敵のことも、それに対抗できるかもしれない最後の希望も書かれていると思います。

希望とはミミィです、月の怪獣。あれは実在します。敵、ダークマターのあの怪獣の行動がそれを示してるように思うんです。あれ(あいつらというべきかもです)は、間違いなく何かを恐れています。人間じゃないはず。そして人間の知らないあいつらだけが認識できる何かを恐れてるんです。

僕は他の可能性は考えられないと思います。ダークマター生物は、地球と月がどうしてできたのかを知っていて、だからこそ月を恐れて、地球の都市構造を破壊しようとする。ミミィはおそらく、地球をシュミレーションのように認識可能な存在ですが、都市のような規模の大きい三次元構造は、情報の媒介になりやすいためです。

論文に書いてたように、ミミィは、太陽系が形成される初期の世界に存在していた巨大生物だけど、意図的に地球を造った後に、自らを余りの岩石の中に閉じ込めました。理由はわからないですが(今でも遊びのためかもしれないと思っています)。

ミヤコ姉さん、あなたは、この地球でまだ機能してる軍隊に要請できますか? 今残された一番強い武器を向けるべきは敵ではなく月です。理屈では、ミミィを目覚めさせるのはそれほど難しいことではないはずです。

ミミィはまだ子供のような存在です。地球という玩具を壊すか、奪おうとするよそ者を許さないはずです。

もしかしたらミミィは、我々も一緒に滅ぼすかもしれませんが、どのみちこのままでは、あいつら敵によって地球は終わりです。

ミミィは、少なくとも地球生物は残そうとするはずです。そのことは今、こんな状況になる前よりは、ずっと大きな意味を持っていることと思います。

姉さん、愛してます」

 それが最後になった。仲良しだった姉に、生涯で最後にコウヤが送った、コンピューターネットを通したメールになった。

 そして返事はなかった。



 地球の終わりの始まり。

 地球に残されたいくつかの兵器が目覚めさせた、月に眠っていた怪獣ミミィが、地球に降ってくるように現れて、それから地球の終焉まで続いていくかのような戦いを始めたのは、正確にはいつ頃のことか。

 別の物理領域に存在していた生態系から呼び出されたような機械怪獣。そして、丸みあるどっしりとした亀のような巨体を支えるためのような一対ずつの前後足に、長く太い首に、獣脚類恐竜のような頭、それに何より巨大な怪獣、月に自らを封印していたミミィの戦い。

 崩壊した文明。瓦礫の山。多くの死と、失われたあらゆるもの。

 人の時代はこうして終わったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異次元と月 ー崩壊の時の手紙ー 猫隼 @Siifrankoro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ