同上   の2

  

 午後二時を過ぎると、昼食タイムの客も途絶えて店は閑になる。私は部屋にひきあげる。普通の会社の昼休みというところだ。

 古びた木の階段をギシギシ上り、立て付けの悪い引戸を開ける。全体が少し傾いた感じの木造二階建ての二階が私の部屋だ。以前は住み込みの仲居達が使っていた。もともと従業員のために建てられた家で、粗末な作りだ。

 二間ある奥の方の部屋に入って、ごろりと横になる。今から一、二時間、自分の時間が持てると思うと嬉しい。あーと伸びをして、私は目を閉じる。眠りが来ようとするが、眠る気はない。目を開けて、本棚を見る。手を伸ばして、文庫本を取る。昨晩から読み始めたやつ。新田次郎「武田信玄」。映画「影武者」に触発されて買ったのだが、これがなかなか面白い。実はこれを読もうといそいそと部屋に戻ってきたのだ。

 仰向けになって、三十分ほど読むと、バサッと本が顔に当った。持ち直して二、三分ほど読むとまたバサッ。四、五回くり返し、私は諦めて、目を閉じた。眠りに落ちていくのが心地よい。昨夜は三時近くまで読んだので寝不足なのだ。


 目覚める。視界に天井がある。光が大分翳っているのが分る。ハッとして時計を見る。二十分程余裕がある。窓に目をやる。黒い桟がやけにくっきり灰色の空を区切っている。体がだるい。ほてりも感じる。薄暗い部屋に横たわっている一人ぽっちの自分。荒野に置き去りにされたようだ。なぜ自分はここに居るのだ。京都の下宿で寝転がっている自分と不意に意識がつながる。さあ、銭湯にでも行こうか、と思う。頭の上の押入れを開ければ、あの汚れた洗面器とタオルが出てくるのではないか――まぼろしだ。もう五年になる。帰ってきてから。五年にも。選択してしまった。この生き方を。本当に? 体を枯らすような淋しさが足裏から抜ける。賢明だった、大学に残ったあいつらは。畳に押しつけられるような圧迫感。手足が動かない。このまま生きて行かなければいけないことが急に恐ろしくなる。目を見開いて天井を見つめる。本に描かれていた武田信玄の行動などをぼんやり頭に浮かべる。彼のように強くあればよいのだ――。店に出る時間が迫っている。

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