第240話 戦いの序曲

 ファルレオン王国は約二百万人ほどの人口を誇る豊かな国だ。

 膨大な農業生産力を誇り、かつ穀物の備蓄がしっかりしているため、ここ数十年、大規模な飢饉が起きたことはない。

 また、王立の冒険者学園があるため優秀な冒険者が多く、モンスターによる被害は他国に比べて少ない。


 規模だけでなく、治安も文化レベルも高く、理想的な国家といわれている。

 何より国民にとって一番ありがたいのは『税が安いし、飢えることもない』ことだ。

 これがブレない限り、ファルレオン王国は民衆の暴動とは無縁であろう。


 そんなファルレオン王国を統治している女王。

 国内はもちろん、他国からも尊敬を集める偉大な女性。

 エメリーン・グレダ・ファルレオン。

 そんな女王陛下の執務室で昼寝をしている不届き者がいた。


 もちろん、そんなことをするのはこの地上に一人しかいない。

 大賢者である。


「こら、大賢者。昼寝をするのはお主の自由じゃが、どうして妾の部屋に来るのじゃ。そのソファーはベッドではないのだぞ」


「だって、冬休みで生徒たちが学校からいなくなっちゃったから暇なのよ」


 女王陛下に文句を言われた大賢者は、ソファーに寝転がったまま答える。

 悪びれた様子は少しもない。


「なんだって妾がお主の暇つぶしに付き合わなきゃならんのじゃ……」


「いいじゃないの。陛下だって暇そうじゃない。それに私は昼寝をするだけだから。無害よ、無害」


「昼寝をするだけなら別にここでなくてもよかろう。それにそんなに暇なら、妾を元の姿に戻すのじゃ!」


 そう言って女王陛下は大賢者に詰め寄った。

 なにせエメリーン・グレダ・ファルレオンは本来、二十余歳の大人の女性だ。

 それを大賢者が魔法で九歳くらいの子供の姿に変えてしまったのだ。


 最初は面白半分でやったのだが、思いのほか似合っていたし、周りの評判もいいのでそのままにしている。

 近頃では周辺諸国にも『大賢者がファルレオン王国の女王を子供に変えてしまった』と知れ渡っているので、外交の場でもトラブルなく進むらしい。


「そのうち元に戻してあげるわよ~~」


「いつもお主は〝そのうち〟と言うが、いつになったら〝そのうち〟がやってくるのじゃ?」


「さあ……ま、いいじゃないの。若返った分、長生きできるわよ」


「むむ……お主、まさか妾の寿命を延ばすためにこの魔法をかけたのか……?」


「そういうわけじゃないけど……でも、そうかもしれないわね」


 大賢者は少し考えてから、小さく頷いた。

 言われて初めて気がついたが、確かに女王陛下に長生きして欲しいと思っていた。

 それこそ魔法を使って無理矢理に寿命を延ばしてでも。


「ふむ……妾も早死にしたいわけではないからな。子供になったおかげで、十数年くらいは寿命が延びたか。まあ、急いで大人の姿に戻らねばならぬ用事もないから、しばらくこのままでいてやろう。しかし大賢者よ。これ以上は……駄目じゃぞ」


「分かってるわよ」


 言われるまでもない。

 人の寿命を勝手に延ばしたり減らしたり、大賢者にはそういう力がある。

 だが、それは本来、許されることではないだろう。

 今までも大賢者は、自分の力を乱用したい誘惑と戦ってきた。


 膨大な魔力を有している大賢者は、老化することがない。三百年近くも生きているのに、死ぬ気配がない。

 だから知り合った人々は大賢者を置いて次々と死んでいく。


 人の寿命を伸ばそうと思えばできてしまう。

 しかし、本当にそれをやってしまえば。

 大賢者は自分の好き嫌いで人の寿命を決定することになってしまう。

 それが当たり前になったとき、きっと大賢者は人間でいられなくなる。


 だから大賢者は、どんなに寂しくても切なくても、相手がどんなに大好きな人でも、不自然に寿命を延ばすようなことはしなかった。

 まあ、たまに。女王陛下にやったように、十年くらいのズルはしたこともあるが。

 それだけ。

 皆、人間らしく死んでいった。


 大賢者と同じ時間を生きてくれる人はいない。

 いつか、自力で大賢者と同じくらい長生きしてくれる者が現われてくれたらいいのに。

 別れるだけの人生なんて、いくらなんでも――。


 と。

 大賢者がガラにもなく沈んだ気分になった、そのとき。


「……おい、大賢者。なにやら胸元がぼんやり光っとるぞ?」


 女王陛下に指摘されるまでもなく、大賢者も気づいていた。

 光っているだけでなく、ほんのりと温かい。


「もしかして……」


 大賢者は服の中に手を入れ、いつも首からぶら下げている懐中時計を引っ張り出した。

 すると懐中時計全体が淡く発光し、そして熱を持っていた。まるで人の体温のような。


「おいおい。その懐中時計、そんな怪しげなマジックアイテムだったのか? 爆発とかしないよな?」


 懐中時計が放つ光を見た女王陛下は、不安そうに後ずさる。

 大賢者は首からチェーンを外し、懐中時計をしげしげと眺めた。

 この光は間違いなく魔法によるものだ。

 しかし爆発しそうな気配はない。

 とはいえ、どうして懐中時計が急に光り始めたのか、持ち主である大賢者すら分からなかった。


「大丈夫よ。多分」


「た、多分!?」


 女王陛下はギョッとした顔になり、机の裏に隠れてしまった。


「そんなに心配しなくても……と言いたいところだけど、念のために次元倉庫にしまっておくわ」


「それがいいぞ。こんな所でトラブルをおこされたらたまらん。自分の家に持ち帰って、ゆっくり調べるがいい」


 女王陛下は机の陰から顔を半分だけ出し、冷たく言い放った。

 薄情な言葉だが、しかしここは王宮である。

 少し建物が壊れるだけでも大ごとだ。

 大賢者は破天荒な性格だと周りから思われているが、人の家を破壊する趣味はない。

 なので、急に発光しはじめた懐中時計を持って大人しく家に帰ろうとした。

 が。


「来るよ――」


 懐中時計から声が聞こえた。

 聞いたことのない少女の声だった。


「来るよ――人を滅ぼしに〝敵〟が来るよ――」


 懐中時計から溢れる光が強くなり、それは幻灯機のように何かの像を映し出した。

 ただし壁にではなく空中に。

 焦点がブレていた光はやがて人の形になり、十代半ばと思わしき人間の少女の像を作った。

 否。

 それは光が映し出す像ではなく、実体としか思えない存在感を放って、床に降り立った、、、、、、、


 白い肌。銀色の長い髪。整った顔立ち。

 ツバの広い黒色の三角帽子。黒色のローブ。


 その少女を見て、大賢者はまるで鏡を見ているような気分になる。


「な、なんじゃ……大賢者、お主、隠し子でもいたのか!?」


 女王陛下は少女と大賢者を見比べながら、口を金魚のようにパクパクさせた。

 他人から見ても、そのくらい似ているのだ。


 しかし無論、大賢者に娘などいない。

 家族もとっくの昔に死んでしまった。


 では、なぜこんなにも似ているのだろう。

 この少女は誰なのだ。

 どうして懐中時計に入っていたのか。

 そして、なによりも。


「お願い、この時代の強き人。ボクと一緒に〝敵〟と戦って――」


 彼女の言う〝敵〟とは何なのか。

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