第215話 国家レベル

 麗しき大賢者カルロッテ・ギルドレアは、三百年近い時を生きる伝説的な人物であり、百三十年前にこの王都を魔神から救った英雄だ。


 五十年ほど前に、才能ある冒険者の卵を育てるため、当時の国王にかけあってギルドレア冒険者学園を創らせ、学長として就任した。


 生きながらにして人類史に名を残す、大天才。

 経歴だけを見れば、誰もがひれ伏す偉人といえる。


 そして実際に、大賢者は神がかった魔法使いだ。

 彼女の指導を受けたシャーロットたちは、数々の武勇が本当なのだと、肌で感じ取っている。


 しかし。

 実際に指導を受けてこそ分かってくる、裏の顔というのもある。

 年表にも、歴史の教科書にも載らない、大賢者の真実。

 それは……普段の彼女が昼寝ばかりしている駄目人間だということだ。


「学長先生は、七割ほどの確率で仮眠室にいますわ」


「残りの三割はどこアルか?」


「それは……草原だったり、学校の屋上だったり、雲の上だったり、場所は様々ですが、どこかでお昼寝しますわ」


「寝てることに変わりはないアルか……」


「本当に極稀に起きていることもありますわ。ほとんど奇跡といえますが」


「大賢者さんにラン亭を手伝ってもらったことあるアルが、あれは奇跡だったアルな」


 そんな会話をしながら、冒険者学園に向かう。

 部外者のランとニーナを学校の敷地に入れてもいいのかな、と一瞬迷ったが、普段この学園で起きているトラブルに比べると、些細な問題だ。


「学長先生専用の仮眠室はこちらですわ」


「専用というのがまた凄いアルな」


「よっぽど寝たいのね……」


 ランとニーナは、ごく真っ当な感想を口にしながら廊下をついてくる。

 学長専用の仮眠室は、廊下から直接入ることができない。

 一度、学長室に入り、そこにある扉からでなければ、仮眠室には行けなかった。

 しかも、その扉には強力な魔法結界がかけられており、並の魔法使いでは――というより学園で教師をしているAランク魔法使いたちですら、結界を越えることができなかった。


 つまり、誰も大賢者のお昼寝を妨げることができない。


 その鉄壁の結界を乗り越えた、ただ一人の人物。

 それがローラだ。


 あれは夏休みの出来事だった。

 ローラ、シャーロット、アンナの三人は、ローラの実家に遊びに行き、夏休みを満喫していた。

 が、夏休みの終盤になってから、宿題に全く手をつけていないことを思い出して、慌てて王都に引き返す。

 その途中、川をどんぶらこと流れる、謎の卵を発見した。


 謎の卵を自由研究の課題にしようと企んだシャーロットたちは、それが何の卵か大賢者に聞くため、仮眠室に侵入しようと頑張った。

 そしてローラが見事、結界を突破したのである。


 卵の正体は、神獣ハクのものだろうと大賢者が教えてくれた。

 直後、本当に卵が割れて「ぴー」という鳴き声とともにハクが出てきたのには驚いた。

 まだ半年も経っていないが、懐かしい思い出である。


「結界はローラさんが破壊してしまったので、わたくしたちでも簡単に仮眠室に侵入できるはずですわ」


 そう言ってシャーロットは、仮眠室に通じる扉を開こうとする。

 しかし、ドアノブを押しても引いても、ビクともしなかった。


「大変ですわ! 結界が再構築されていますわ!」


「えーっと、つまり、どういうことアルか?」


「入れないということでありましょうなぁ」


「つまり大賢者さんに会えないってことね」


 ニーナが端的にまとめてくれた。


「これは困った。ローラでも突破するのに苦労した結界なんて、私たちには破れない」


 アンナが頬をポリポリかきながら、ジッと扉を見つめる。


「他の方法を探すしかないであります」


「諦めるのは早すぎますわ! ローラさんは確かに苦労しましたわ……しかし、最後には見事、結界を破っていましたわ。ならば……わたくしにもできるはず!」


「そうかな?」


「アンナさん! 最初から諦めてどうするのです!? その二本の魔法剣は飾りですの!? 失敗するにしても……まずは全力でぶつかるべきですわ!」


「言いたいことは分かるけど。雷の魔法剣ケラウノス風の魔法剣アネモイの力を全力で振り絞ったら、学長室が木っ端微塵になって、確実に怒られる。反省文とかそういうんじゃ済まない」


 アンナはとても常識的なことを言う。

 それでも全力を出さねばならないときがあるのですわ――と、シャーロットは訴えようとした。

 だが、実際に学長室を木っ端微塵にしたら、ローラの誕生日どころではなくなる。

 あとエミリアの胃に今度こそ穴が空きそうだ。

 シャーロットはエミリアを教師として尊敬しているので、できるだけ心労をかけたくない。

 そう思って生活しているのに、どうしたわけか心労をかけっぱなしだが……だからこそ、回避できる心労は回避しなければ。


「では! わたくしが静かに結界を外してごらんにいれますわ!」


 魔法結界を突破するには、主に二つの方法がある。

 より大きな魔力で強引に貫くか、術式を分析して分解するか、だ。


 アンナが言っている学長室を木っ端微塵にするのは前者。

 成功したとしても確実に怒られるので、失敗したのと同じだ。


 以前、ローラが行ったのは後者。

 この扉に仕掛けられた結界を、静かに壊すのだ。


「まずは分析ですわ! むむむ……」


 シャーロットは扉に手をかざし、目を閉じて集中する。

 夏休みのときもこうして、ローラの前にチャレンジした。

 あのときは挫折したが、あれからシャーロットは成長したのだ。

 今ならできるはず。なせばなる。きっと。


「む、無理ですわぁ! こんな複雑な術式……解読しているうちに卒業してしまいますわ!」


「頼りないでありますよ、シャーロット殿!」


「くっ……こうなったら力ずくですわ! えいっ、えいっ!」


 静かな結界解除を諦めたシャーロットは、結界には結界を、とばかりに全身を防御結界で囲い込む。

 そして扉に向かって体当たり!

 どかーん、どかーん、と激しい音が響く。


「シャーロット。それは無茶だから。学長先生が自然に起きてくるのを待つほうが、まだ現実的」


「ですが、学長先生はいつ起きるのか全く分かりませんわ。わたくしのド根性で扉を破壊するほうが、きっと早いですわ!」


 己の力を信じて、シャーロットは渾身の力を込めて扉に突進。

 その瞬間。

 扉が向こうから開き、シャーロットのおでこに激突した。


「痛いですわー!」


「あら? ごめんなさいシャーロットちゃん。でも、あなたから扉に向かってきたのよ?」


 現われた大賢者は、床でのたうち回るシャーロットを心配そうに見つめながら、自分は悪くないと弁解した。

 大賢者の言い分は至極真っ当なので、シャーロットは反論できなかった。ただ痛いオデコをさすって、涙をこらえるしかない。


「分かっていますわ! 悪いのはわたくしですわ!」


「そうヤケクソにならなくても。ところで、どうしてランさんとニーナちゃんまで? 私に何か用事?」


「用事アル。大賢者さんに相談したいことがあるアル」


「あるアルなのね。ちょっと待っててね。お手洗いに行ってくるから~~」


 そう言って大賢者は学長室を出ていた。

 起こしてもいないのに目覚めるなんて珍しいと思ったら、トイレに行きたかったのか。


「おまたせ~~。それで? 相談ってなぁに? えっちなチェイナドレスで接客するのはもう嫌よ?」


「そういうことではありませんわ。来週、ローラさんの誕生日でしょう? そこでわたくしたち、誕生日パーティーの計画を練っているのですわ」


「大賢者さんなら、コネを使って素敵な会場を用意してくれるかもしれないと思ったアル」


「あら、ローラちゃんの誕生日なの? 何日?」


「二十五日ですわ」


「ちょうど一週間後ね。何人くらい集めるのかしら?」


「オイセ村の獣人たちも連れてきたいであります。みんな、人間の町に来る機会が少ないので、たまに交流するであります」


「なるほど……じゃあ数百人単位ね。うーん……学校の校庭でやってもいいけど……どうせなら、豪華にやりたいわね」


「学長先生。場所に心当たりあるの?」


 アンナが聞くと、大賢者は自信たっぷりに頷いた。


「任せなさい! というわけで、王宮に行くわよ!」


 王宮。

 それはこの国で最も豪華な場所だ。

 なるほど。確かに大賢者のコネを最大限に活かしている。

 やはり困ったときは大賢者に頼むのが一番――。


「って、いくら何でも大げさすぎますわ!」


「国家レベルのイベントは困る……ローラの誕生日をお祝いしたいだけなのに……」


「大丈夫、大丈夫。王宮の大ホールを借りるだけだから。国家とは関係ないから」


 と、大賢者は気軽に言うが、シャーロットとアンナは不安を隠せない。

 ランとニーナに至っては、青ざめて震えていた。

 ミサキだけが耳と尻尾をピコピコさせて、期待一杯な顔をしている。

 果たして、ローラの誕生日パーティーはどうなってしまうのだろうか。

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