第190話 学長先生でも難しい魔法でした

 ローラが大賢者にしがみついて泣いていると、そこにシャーロットたちも追いついてきた。

 その彼女らに向かって大賢者が手を振ると、「えっ、見えていますの!?」「これが大賢者クオリティ」と叫び、それから嬉しそうに走り寄ってくる。


「あらー。皆して半透明なのねぇ。どうしてそうなってるのかしら。ローラちゃんったら、泣いてばかりで教えてくれないのよ」


「それは……話すと長くなるのですわ……それよりもまず……わたくしも抱きつかせてくださいまし!」


「私も抱きつく。学長先生、すごい」


「ぴー!」


「あらぁ……? あなたたちに抱きつかれるのは大歓迎だけど……よっぽど大変だったのねぇ。よしよし」


 それから三人と一匹は、満足するまで大賢者に抱きついて泣きじゃくった。

 五分ほど経ち、ようやく落ち着き、今までの事情を説明する。


「認識阻害の魔法……はぁ……まったく、よくそんなのを見つけて、あげく実行しちゃったわねぇ。流石の私もびっくりだわ」


 草むらの上に座り、大賢者は呆れたような感心したような声を上げた。

 その正面に座るローラは、「そんなこと言われても……」と曖昧な反応をするしかない。

 なにせ認識阻害の魔法がこんなに危険だなんて知らなかったのだ。

 危ないなら事前に教えて欲しいものである。

 本にも『元に戻れなくなる恐れがある』とは書いていなかった。なんと不親切な本だろうか。


「もう嫌というほど分かったと思うけど、認識阻害は次元倉庫よりデリケートなのよ。次元倉庫は完全に別の世界を扱うけど、認識阻害はちょっとだけズレた世界。微妙なところにあるから行くのが難しいし、がっちりハマっちゃうと戻って来れなくなるの。今のあなたたちみたいにね」


「そうだったんですか……知りませんでした……」


「わたくしたち、幻惑系魔法大百科という本を読んで認識阻害の魔法を知ったのですが……その本にはそんなこと、一言も書いてありませんでしたわ」


「教育にとても悪い本。早く図書室から撤去してもらおう」


「ぴ!」


 皆であの本が悪いと訴える。

 しかし大賢者は苦笑いを浮かべる。


「幻惑系魔法大百科って、それっぽい魔法をざっくり紹介してるだけの本でしょ? 詳しい使い方が書いてあるわけでもないし……魔導書の中でも無害なものよ。あの本を読んで実際に使えるようになるのは、世界広しといえどローラちゃんだけよ。そもそも認識阻害の魔法とか、理論上の存在ってことになってるし」


「ふぇぇ……次からは新しい魔法を使うときは、学長先生に相談することにします……」


「うん。そのほうがよさそうね」


 大賢者は深く頷いた。


「それにしても学長先生。そんなにお詳しいということは、学長先生も認識阻害の魔法を使えるということですの?」


「まぁね。百年くらい前に覚えたわ。使い道がないうえに、危ないから、ずっと封印してたけど」


「危ない? 学長先生も、私たちみたいになったの?」


 アンナが質問した。

 すると大賢者は恥ずかしそうに頬をポリポリ指でかいた。


「そう、ね。三日くらい頑張ってたら、認識阻害に成功して。誰にもバレずにイタズラできるわ、と思って街に出て。それで最初は女風呂を覗きに行ったのよ。でもよく考えたら、私って普通に女風呂に入れるし……」


「当然ですわ。よく考えなくても分かることですわ」


「そもそも私、どこにだって堂々と入れるのよね。王宮だって自分の別荘みたいな感覚だし」


「ちょっとそれはどうかと思う」


「普段は倒せないモンスターを、姿を隠してこっそり倒すってのも考えたんだけど……そんなモンスターいないしね」


「そうですね……学長先生でも倒せないモンスターがいたら、世界は滅んでると思います」


「で、唯一思いついた利用法が、お昼寝よ。お昼寝したら怒られるような場所でお昼寝する! これしかない!」


「ぴぃ……」


「それで、目をつけたのが大聖堂。あれって王都で一番大きな建物じゃない。そのてっぺんで寝たら気持ちいいかなぁと思って。実際、気持ちよくて、丸一日寝ちゃって。これは寝過ぎと思って認識阻害を解除しようとしたら……今のあなたたちみたいに解除できなかったのよ」


「ははぁ、なるほど。やっぱり長時間使っちゃ駄目な魔法なんですね」


 ローラは、大賢者も自分たちと同じ状況になっていたというのを聞いて、とても安心した。

 大賢者でも失敗したなら自分が失敗するのも仕方がない。それに前例があるなら、対処法もあるということ。

 これでまた、平和にオムレツを食べることができるのだ。


「それにしても、お昼寝のしすぎで元に戻れなくなるなんて、わたくしたちよりも酷い理由ですわ」


「私たちは一応、魔法剣の試し切りという立派な理由があった。学長先生は寝てただけ。目的意識がかなり違う」


「言われてみればそうですね! 私たちは向上心溢れる学生! 学長先生はお昼寝さん! ふふふ、私たちの勝利です!」


「ぴーぴー」


「あら。そんなこと言ってると、元に戻してあげないわよ?」


「「「ご、ごめんなさい」」」


「ぴぃぃ」


「ふふ、素直でよろしい」


 大賢者は微笑んだ。

 よかったよかった、とローラたちは胸をなで下ろす。

 なにせ、元に戻る方法があるとハッキリしたのだから。


「それで学長先生は百年前、どうやって元に戻ったんですか?」


「それはね。気合いよ」


「……気合い?」


 具体的な方法が出てくると思っていたら、この上なく曖昧な言葉が飛び出した。


「そう。気合い。認識阻害を解除できるまで、気合いで繰り返したのよ」


「ちなみに……私は昨日、百回以上も解除を試みましたが……学長先生は何回試したんです……?」


「何回かは覚えていないけど、一週間はかかったわね」


「一週間!? それは困ります! 授業を受けられないし、何より学食で注文できないんですよ! オムレツ不足で死んでしまいます!」


「そうですわ! オムレツはいいとして、一週間もこの状態は、寂しすぎますわ……」


「存在を気付かれないだけでなく、忘れられてしまっている。だから筆談もできない。とても孤独」


「分かるわぁ。私も一週間、結構辛かったし。だから私が今ここで解除してあげる。その代わり、もう認識阻害なんて使っちゃ駄目よ。もともと悪いことにしか使えない魔法なんだから」


「おお……流石は学長先生! 今やっちゃえるんですね!」


「ま、百年前にも経験済みだからね」


「学長先生ったら、一週間だなんて言って脅かしたりして、人が悪いですわ」


「一安心。よかったよかった」


「ぴー」


「ふふ、ごめんなさい。あなたたちの表情がコロコロ変わるのが可愛くって。じゃ、解除するわね……えいっ」


 大賢者はかけ声とともに、指をくるんと回した。

 ローラたちの体に彼女の魔力が流れ込み、認識阻害の魔法が解除――。


「あら? 半透明のままね……」


「「「え?」」」


 ローラたちは目を点にする。

 大賢者も緊張した顔になった。


「ちょ、ちょっと待って……もう一回。よーいしょ! あ、戻ったわ! よかったぁ……」


 どうやら大賢者からしても難しい作業だったらしい。

 彼女は額に汗を浮かべ、心底安堵したように肩の力を抜いた。

 しかし、ローラたちには元に戻ったという実感がない。

 大賢者からすれば半透明だったのが不透明になり一目瞭然なのだろう。だがローラたちは、お互いが普通に見えていた。元に戻ったと判断する基準がない。


「本当ですの……?」


「疑うなら、教室に戻ってみたら? 遅刻だって怒られるけど」


「怒られたいです!」


「この際、ゲンコツが飛んできてもいい」


「あらあら。甘えん坊なのねぇ。じゃ、怒られてらっしゃい」


「はい! 学長先生、ありがとうございました!」


 三人と一匹で深々と頭を下げ、そして魔法学科一年の教室に走って行く。

 まだ授業中だ。

 二枚ある扉のうち、黒板から遠いほうを開け、コソコソと侵入してみた。

 すると、エミリアの鋭い眼光が突き刺さった。


「こら、あなたたち! もうすぐ一時限目が終わるのよ! 思いっきり遅刻よ! というか、アンナさんまでどうしてこの教室にいるのよ。戦士学科の教室に行きなさい!」


 それは聞き慣れた声だった。

 なにせローラたちは週に一回はこうしてエミリアに怒られている。

 そのことを申し訳なく思い、できるだけ怒らせないように努めていた。

 だが今ばかりは、怒られていることが嬉しくてたまらない。


「エ、エミリアせんせぇ……私たちのことが分かるんですね……」


「よかった……よかったですわぁ!」


「たった一日消えていただけなのに、懐かしくて涙が出る……」


「ぴぃ!」


「え、なに……? どうして泣いてるの……私、そんなキツく叱ったかしら……?」


 遅刻をとがめただけなのに生徒に泣かれ、エミリアはうろたえてしまう。

 クラスの皆も、訳が分からないという顔だ。

 事情を知らないと、そういう反応になって当然。

 しかしローラたちは事情を説明する余裕などなく、エミリアに抱きついて泣くしかなかった。


 エミリアは困惑しながらも、抱き返してくれた。


 そしてローラたちは泣きながら今までの出来事を語り――巨大ヒュドラを倒したことが発覚。めでたく『反省文の刑』と『一週間トイレ掃除の刑』に処せられたのである。

 ローラはトイレ掃除をしながら、オムレツ禁止の刑にならなくてよかったと安堵した。

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