第3話 この人は誰なのでしょう?

 ローラが目を覚ますと、真っ白な天井が視界に飛び込んできた。

 ここはどこなのだろう。

 少なくとも自分の家にこんな部屋はなかった。

 そういえば馬車に乗って王都に向かって、そして冒険者学園の校庭で……。


「あ、ああああっ!」


 記憶を取り戻したローラの頭に、四桁の数字がまとわりつくように浮かび上がる。


 9999。


 夢であってくれ。間違いであってくれ。

 自分は剣士を夢見る女の子で、魔法などという後方からチマチマ撃つようなものは願い下げなのだ。


 迫り来る凶暴なモンスターの群れ。そこに仲間たちとともに突っ込んで、渾身の力で斬り伏せる。ああ、素晴らしい。英雄譚の主人公のようだ。

 あるいは剣士同士の決闘もいい。刃と刃をぶつけ、火花を散らすのを想像するだけで心が踊る。


 それが、それが。


「記憶がハッキリしすぎてる……私は魔法学科に異動になって……それで気絶したんだ……」


 誰かが保健室か何かに運んでくれたのだろう。

 それにしても、どのくらい寝ていたのか。

 入学式はどうなったのか。

 クラスの皆と自己紹介したりするはずだ。

 父と母から学校の様子を聞かされ、楽しみにしていたのに。


「最悪のスタート……」


 ローラは呟いて、ガックリとうなだれる。

 そのとき、隣から「うーん」と唸り声が聞こえてきた。

 すぐ近くに人がいたのだ。

 その気配を今まで感じ取ることができなかった。

 戦士として何たる失態。まだ頭が寝ぼけているらしい。


「それにしても、この人、誰なんだろう?」


 女の人が、自分と同じベッドに潜り込んで幸せそうに眠っている。

 年齢は二十歳かそこら。

 白銀色の髪を伸ばした、とても美しい人だった。


 ――白銀?


 この学園の創立者にして現役の学長、大賢者カルロッテ・ギルドレアも、髪が白銀色だったはず。

 だが、大賢者は三百歳になろうという年齢である。

 ローラは魔法のことをほとんど知らないが、それで若さを保っていたとしても、二十歳の外見はないだろうと判断した。


 もしかしたら、学園の先輩なのかもしれない。

 気絶したローラをここまで運んでくれたのが彼女で、そのまま一緒に眠ってしまった……のだとしたら、随分とノンビリした人だ。

 とにかく、起こして事情を聞いてみよう。

 万が一、億が一。

 9999という数値も魔法学科への異動も、全ては夢だったというオチもあるかもしれないし。


「あのぅ……」


 今まで故郷の町からほとんど出ることなく過ごしてきたローラにとって、知らない大人に話しかけるというのは、少々勇気のいる行いだった。

 しかし、黙って立ち去ろうにも、校舎の構造が分からない。二度寝するのはもってのほかだ。自分がどういう状況に置かれているのか、早く確かめたい。


「ん、ん……」


 ローラが肩を揺すると、女性は瞼を開け、ゆっくりと上半身を起こした。

 そして、口を大きく開けてアクビ。

 美人なのにだらしがない。ローラがこんなはしたない真似をしたら、お母さんに怒られる。


「おはよう、ローラちゃん。あなたも今起きたところ?」


「は、はい」


 こちらの名前を知っている。

 やはり学園の関係者なのだろう。もしかしたら教師かもしれない。

 何せ、この女性。とぼけた口調なのに、気配が、おかしい。

 只者ではないと、そう確信できる。


「さて、今は何時かしら」


 女性は首から下げた懐中時計を開いて時間を確認した。

 それは髪の色と同じ白銀の素晴らしい懐中時計だった。


「もうお昼じゃない。よかった。見事に入学式をサボれたわ。灯台もと暗し。まさか私がローラちゃんと寝てるなんて、誰も思わなかったみたいね。ありがとう。あなたのお陰で見つからずにやり過ごせたわ」


「はあ……それはどうも」


 いまいち要領を得ないが、つまりこの女性は、入学式に出たくなかったからここで寝ていたということらしい。


「あの、あなたは生徒ですか? それとも先生?」


「うーん……どちらかと言えば先生かしら? あ、私がここにいたってのは内緒ね。怒られちゃうから」


 そう言って彼女はニッコリ微笑む。

 この若さからして、きっと新米の教師なのだろう。

 それが入学式をサボって昼寝をし、全く悪びれる様子もないのだから恐れ入る。

 もっとも、ローラも似たような状況なので、とやかく言えないが。


「ところで私はどうしたらいいんでしょうか? 魔法学科に異動になったと言われたところまでは記憶があるんですけど……私は戦士学科に行きたいです!」


「うーん……でも決まったことだから。魔法だって悪くないわよ。やってみて、どうしても嫌だったら、そのときは私に相談してちょうだい」


「……はあ」


 新米教師に相談して、どうにかなる問題なのだろうか。

 ローラはまだ社会を知らないが、ちょっと無理そうだなぁと想像ができた。

 直訴するなら大賢者その人だろう。

 ああ、そうだ。見つけ出して抗議しよう。


「ま、ここで待っていれば、そのうち魔法学科の先生が迎えに来るわよ。気楽にやりなさい。じゃ、私は見つかる前に逃げるわ」


 彼女は白銀の髪をひるがえし、ベッドから飛び出した。

 その仕草がとても絵になっていたので、ローラはつい見とれてしまう。

 そして、最後にこれだけは聞いておきたかった。


「あの、待って下さい!」


「ん、なーに?」


 女性は窓に手をかけたまま振り返る。


「……あなた、とても強い、ですよね? とんでもなく」


 認めたくないが、父よりも、母よりも。


「へえ……ローラちゃん、凄いわね。その歳で分かるんだ。流石は魔法適性オール9999。偉い偉い」


 女性はわざわざローラのところまで戻ってきて、頭をなでた。

 しかし、何が偉いのだろう。

 これだけ強者のオーラが漏れていたら、誰だって分かるはずだ。


「人は大きすぎるものを見ると、それを視界に収めることすらできなくて、『そこにある』と認識できないのよ。ローラちゃんは少なくとも、私の力を視界に収めているのね」


「視界に収めるって……あなたは大人にしては、むしろ小柄なほうだと思いますが」


「ふふ、そうね。あ、エミリアが来たみたい。本当に逃げなきゃ怒られるわ!」


 今までのノンビリした雰囲気からは想像もできないほどの速度で駆け出し、彼女は窓から飛び出していった。

 茂みか何かに突っ込んだのだろう。

 ガサガサと音が聞こえる。


「あ、まだ名前を聞いてません!」


 ローラも窓際まで走って外を見回す。

 見晴らしのいい校庭が広がっていた。

 しかし、出て行った女性の姿は確認できない。


「……消えちゃった」


 この短時間で見えない場所まで走った?

 そうだとしたら、加速で爆音が聞こえそうなものだが。

 とても静かに彼女は姿をくらました。

 ローラが首を傾げていると、ドアがコンコンコンとノックされる。


「魔法学科の教師、エミリア・アクランドです。ローラ・エドモンズさん、起きてますか?」


「は、はい……!」


 迎えに来た教師も若い女性だった。

 眼鏡をかけた、青い髪の人。

 ギルドレア冒険者学園の教師をしているのだから、優秀なのは間違いない。

 事実、いくつか修羅場をくぐったような目をしている。

 なのに、さっきの女性が放っていた得体の知れないオーラは、微塵も感じられなかった。

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