第337話.結界突破
『さあ、やっと私の出番が来たみたね♪』
ムーアの口許には笑みが浮かんでいるが、目は笑っていない。冷たく突き刺さるような視線は、かなりの怒りを堪えている。その殺気の籠った視線を感じ取った、ボーンは急に大人しくなる。
『私たちはね、あなたに付き合っている程暇じゃないのよ。だから、1つだけ教えて欲しいんだけど、イイかしら?』
ボーンは、ムーアに気圧されてコクコクと頷いている。そこには精霊としての品格や、これまでアシスの世界を生き抜いてきた風格を感じさせる。
『あら、それなら助かるわね。あのね、チェンの黒鎌はどうやって手に入れたのかしら?』
しかし、その質問にはボーンの顔色が変わる。コクコク頷いていた首は、ピタッと動きを止め表情すらも固まっている。
『教えてくれないのかしら。さっきも言ったけど、私達には時間が無いのよ』
それでも、ボーンは固まったままで微動だにしない。
『そう、でも大丈夫よ。私は野蛮なことはしないから安心して。気持ちよく、自分から喋らせてあげるわ』
ムーアの右腕がしなやかに動くと、細い指がボーンの顔へと近付く。そして、伸ばした人差し指と中指がボーンの顎に触れる。硬直していた顔だが、ムーアの指に逆らうこと出来ずに、クイッと持ち上げられてしまう。
『酒入舌出』
ボーンがトロッした目付きに変わり、顔も赤らみ始める。
『さあ、教えてくれるかしら?あの黒鎌は何なの!』
もう、ボーンにはムーアに隠し事は出来ない。感情のない辿々しい声で、知りうる全てのことを話始める。黒鎌はダンジョンの魔物が持っていた武器であり、地上で作られてものではない。そして、それを手に入れたのは蟲人族ではなく、驚くべきことに最弱と言われているヒト族で、蟲人族が奪い取ったものになる。
あくまでもボーンの話で真偽は定かではない。それでも、黒鎌には蟲人族の裏の顔を窺わせるような秘密がある。
「ムーア、何でそんな話を聞いたんだ?」
『気になったのよ。女の直感ってやつかしら♪』
「せめて、精霊の直感にしてくれないか。それなら、まだ納得出来るんだけど···」
『あら、そう。でも黒鎌には、どんな力が秘めているか分からないのよ。それに、確かめておいて損はなかったでしょ。バッファだけでは知れない、蟲人族のことも分かったわけだし』
エルフ族のコアとプラハドールは、性格も性質も正反対だった。だからバッファだけを見て、蟲人族の全てを信用することは出来ない。
『そんな事より、時間がないわ。今やらなければならない事は、カショウが結界の中に入れるかを確かめることでしょ』
ボーンのお陰で無茶苦茶な状態になっている、今ならば誰にも見られずに結界を試すことが出来る。しかし、これ以上の時間をかければ、異変に気付いた他の蟲人族がやってくる。
「そうだな、行くか」
シナジーが門に向かって、霧のトンネルをつくりだす。近付けば近付く程に、トーヤの結界の存在が強く感じられる。トーヤは魔壁や重厚な門以上に、強力な結界で護られている。壁や門は、結界の負荷を軽減するか余分な魔力消費を抑える程度の役割しかないのかもしれない。
その結界の膜を、ソースイやムーアは何の抵抗も受けることなく潜り抜ける。残るのは、俺とチェンの2人のみ。
「チェンは、行かないのか?」
「あっしは、旦那がダメだった時の骨を拾う役目がありやすんで。さっ、早く行ってくだせっ!」
チェンの表情は、少しだけ楽しんでいるようにも見えるが、それに構っている時間の余裕はない。結界の薄らと光る膜へ、そっと手を伸ばす。
「うっ」
触れた瞬間に、結界全体にノイズが走ったような衝撃が走り、思わず手を引いてしまう。
『カショウ、大丈夫なの?』
「俺は何ともないが、バズとコールはどうだ?」
左手の甲の瘤を見ると、何の問題もなくバズの瞳が現れる。そしてコールが、ウインクのように1度だけ瞳を隠す。ふざけた事が出来るのは余裕がある証拠でもあるが、わざわざウインクの真似事をしなくても俺に伝えることが出来るだろう。
「ああっ、みんな大丈夫みたいだな」
『それなら、もう一度やってみましょう』
結界に走ったノイズは一瞬で収まり、今は平静さを取り戻している。
ムーアに促されて、もう一度手を伸ばす。手が結界に触れると、再びノイズが走る。しかし今度は手を引かずに、そのまま手を押し通す。
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