【ウィザードスタッフ】 追憶の墓標

大黒天半太

追憶の墓標


 その村は、東にそびえる山脈の向こうは国土の外という辺境にあった。

 村長からの陳情を扱いあぐねた男爵は、王宮に助力を求め、次席の宮廷魔術師であるイクスが派遣されることになったのである。


「この峠を下れば村はもうすぐです」

 王宮から彼を案内して来た村長の息子が、声に喜びをにじませながら告げる。


 魔法使いの到着で、魔物の恐怖から村が救われると確信しているのだ。

 王宮の騎士達は絨毯の上での勇ましさとは裏腹に、誰一人イクスに同行を申し出る者はいなかった。イクスの護衛として派遣された兵士達も、平和に慣れ切っており、自ら戦う気持ちは持ち合わせていないようだ。


 二つの嶺に挟まれたこの村は、つい百年ほど昔にできたばかりで、特産のワイン作りが定着したのも、わずかここ五十年程のことでしかない。村人たちには充分な歴史かも知れないが、魔法使いであるイクスにとってはつい昨日の出来事と大差はない。 

 重要度の認識が根底から異なっている以上、彼の出す結論が、村人の期待する結果と同じとは限らないのだが、宮廷魔術師である彼には、政治的配慮も求められることになる。


 辺境とは言え、国土の内側に魔物が現れることは、極めて稀なことだ。

 まずありえないことだし、その領域の守護者が放って置くはずがない。魔法使いならば、誰でも常識として知っていることである。守護者の領域を区分する『ウォール』は、魔力あるものの存在を感知し干渉する魔法の壁だ。

 魔法使いは、自身が魔法を帯びているし、魔力を蓄えたウィザードスタッフを携えているから、『ウォール』を越える時は干渉を避けるため、魔法の使用を中断しウィザードスタッフを不活性化させておかなければならない。

 魔法そのものは『ウォール』を通過することはできないし、魔力によって魔物と化した生物や、存在そのものを魔力に依存している異界の生物が、魔力を打ち消す『ウォール』を通過しようとすれば、命に関わる。本能でそれを察知し、忌避するのが普通なのだ。

 もし国土に魔物が侵入しているのなら、それは『ウォール』をものともしない絶大な魔力を帯びた怪物か、『ウォール』を潜り抜ける際に魔力を一時的に不活性化させる知性を備えた存在、ということになる。

 どちらにせよ、ただでは済まない強敵ということだ。


 イクス一行が村に到着すると、醸造所と並んだ村長の屋敷で村の規模からすればかなり盛大であるらしい歓迎を受けた。王宮で供される上品なワインとは違いこの村のワインは果実味が強く癖があるが、イクスには気取らない味わいが好ましい。

 イクス本来の寡黙な性格と知的で冷静な宮廷魔術師を装う演出が身についているため、乱れる様子のかけらもないように見えただろうが、イクスは素朴なこの歓待を楽しんでいた。

 夜更け過ぎに、イクスはやっと解放された。あてがわれた部屋でため息を一つつくと、眠るわけでもなくベッドに横になる。本来眠る必要すらイクスにはない。枕もとの壁に立てかけられたウィザードスタッフは、安定した魔力の蓄積を続けており、そのことは、この村が今も守護者によって守られていることを示している。


 守護主の『ファウンデーション』の魔法が無ければ、領域内の魔力を安定させることはできず、守護者の『メンテナンス』の魔法が無ければ、その効果を定着させることはできない。

 そしてその状態を維持するために、守護者は『メンテナンス』の魔法をかけ続けるのだ。


 魔力の顕現が生命力であり、魔力の安定は豊かな動植物の育成をもたらす。

 もし村人の言う魔物が実在しているとするなら、下手をすれば守護者さえも命を落とし、この領域は魔力の安定を欠いて崩壊してしまうことすらありうる。一般人には何が起きたのかさえわからないまま、作物は枯れ、人も家畜も健康を害し、魔物は群れをなして山脈を越え侵入を繰り返すようになるだろう。結果的に、村を維持することはできなくなる。

 しかし、その兆候は全く無く、村は収穫の喜びに満ち、魔物の脅威にさらされているとはとても思えない。


「魔物を見た村の者を、全員連れて参りました」

 村長の息子と兵士たちが、七人の村人を連れて村長の屋敷に戻ったのは、イクスが村長に出させた過去数年分の村の記録を読み終えた頃だった。刻限は、昼を少しまわっていた。


 イクスは一人づつ部屋へ招き入れると、それぞれが語る魔物の目撃談に耳を傾けた。時折質問や確認をしながら、日暮れまでかけて七人の話を聴き取り、また兵士たちに送って行かせた。夕食の席でイクスの解決策を聞き出そうとする村長をはぐらかしながら、イクスは村での二日目の夜を迎えた。


 目撃者は壮年の木こりから村の子供まで年齢も性別も異なっており、話も微妙に異なっている。目撃時期も五年前からつい二月程前までばらつきがある。

 しかし、誇張や勘違い、記憶の変質等を加味すれば、概ね同じ内容だったと言えるだろう。

 山の中腹にある、森の中のこの村の水源でもある沼で、体長が人の背丈程の白く仄かに光る蛇のようなものが、ゆらゆらと飛ぶのを見たと言うのだ。翼があったと言う者もいれば、鎌首をもたげていたと言う者もいたが、竜が出たとの噂が流れた後の話だし、人の記憶は簡単に影響を受けるものだから、割り引いて考えるべきだろう。


 村の記録では魔物が目撃されて以後ここ五年の間で、収穫にもワインの出来不出来にも村の人口の増減にも顕著な変化はなく、原因不明の病気なども出た訳では無い。 

 魔物による被害者もおらず、極論すれば、村人の不安以外に被害らしい被害は無いのだ。


 そして、イクスは行き詰まってしまった。

 翼によってではなく飛翔の魔法のように空中を漂う、紐もしくは帯状の生物は自然には存在しない。当然、魔物や魔法的存在と考えるべきだ。

 しかし、魔物が『ウォール』を越えられるわけもなく、守護者がそれを放置するわけもない。

 守護者自身が、何かの魔法の実験でもしているのか。

 だが、守護者は『メンテナンス』の魔法を常時かけていなくてはならないから、新しい魔法の研究を頭の中ですることはできても、『メンテナンス』と同時に魔法の実験に注ぎ込むほどの魔力の余裕は、ないのが普通だ。

 ましてや、魔法的存在の召喚や魔物の創造などということになれば、それ自体がこの領域の魔力のバランスを崩すことになりかねない。守護者が、自分自身であれ他の魔法使いであれ守護者の領域内で、そんな行為を容認することなどありえない。

 イクスの推理は、文字通りの堂々巡りだった。



「イクス様が頼りにならないなどと考えている訳では、毛頭ございません。領主様からの便りが、全くなかったものですから、村の者で無い知恵を絞った結果でありまして。イクス様がお越しになられると伺う前に、依頼したものですから」

 村長は、朝から暑くも無いのに汗をかいて言い訳していた。


 その朝、村に到着したのは、一台の馬車に乗った中年一人に青年二人のいかにも世慣れした風の男たちだった。

 村がかけた賞金目当てで、魔物を退治しに来た山師たちだ。

 魔物狩人と名乗る者もいれば、冒険者を自称する者もいるが、国土(守護者の領域)の外で実際に魔物を捕らえているような本物もいれば、紛い物の魔物の骨だの剥製だのを平和な村々で木戸銭を取って見せて回るような、名ばかりの者もいる。


 中には、国土の外にまだ多く残る魔道大戦以前の遺跡に潜り、貴重な魔法の品々を発掘する剛の者も少数ながら実在し、王国や『学校』がそれらを買い取ることも、稀なことではではない。


「お初にお目にかかります、宮廷魔術師殿。小生タルカスと申す賞金目当ての山師でござる。これなるは我が郎党のツィオンとアディール。我ら、無位無官、無頼の徒なれど、ここで巡り逢いましたのも何かのご縁、以後お見知りおきくだされ」

 商人のような口調で、流暢に挨拶する中年男タルカスは、そのまま商品の売込みをするかのように自分たちの売込みを始めた。

 魔法使いを軽んじるつもりはないが、慣れぬ状況では、実戦経験豊富な配下を雇って助言を受けるのも、一つの手段である、と。

 要するに、彼らも国土の内側での魔物退治という未経験の問題に、理性的で知的な助言と魔法の援護が欲しいという訳だ。しかも、宮廷魔術師なら、仲間に加えたとしても、自分たちの分け前が減る心配はしなくて済む。


 イクスにとっても利害の一致を見るなら、その申し出に異論はなかった。タルカスと名乗るこの男が、噂に聞く冒険者「鉤爪のタルカス」と同一人物ならば、イクスから共闘を申し出てもよいくらいだ。


 タルカスはイクスの了承を大袈裟に喜んで見せると、村長にそのことを告げ、馬車から荷物を運び始めた。大型の木箱に混じって、全体が鉄でできた箱がいくつか出てくる。屈強な三人の男が運ぶその様子から見掛け以上の重さであることが推測できる。

 おそらくは、魔法のかかった品物を運ぶための箱で、外側は鉄、内張りは皮、その間には鉛の薄板が貼ってあるはずだ。彼らは、遺跡から発掘した魔法の品々のうち、実用的な道具類を手元に残すことが多い。特に武器防具の類は、売らずに自分たちの身を守るために使うと聞く。危険と隣り合わせの仕事をする者として、合理的な判断だ。

 それにしても、三人分の武装として鉄の箱が五つは、多い。彼ら、あるいは、彼らの一党の実績が、相当なものであることの証だろう。


 午後からはタルカスら三人を交えて、村周辺の地図を前に今後の方策を検討した。村長とその息子から、地図上の地形の詳細を聞き終えると、後の話は長くなるからとタルカスは村長らを下がらせた。


「で、イクス殿のご判断は?」

 イクスは、無言で曖昧に首を横に振った。可能性はもう充分に検討した。

 実際を確認し、その結果次第ですることは決まっているが、今の時点では、何も決められない。

 彼らに最大限働いてもらうことになるのか、彼らを制して自分の魔法だけで解決することになるのかは、全て状況次第なのだ。

「単純ではないと言うことは、承知しておりますよ。これでも、修羅場はいくつもくぐっておりますゆえ」

 タルカスは二人の部下に合図し、部屋の隅にあった例の鉄の箱を運んで開けさせた。

 一つ目の箱には、剣と矢が入っている。実体の無い魔物にも効果がある、魔法のかかった剣と矢だ。

 二つ目には、三人分の胸当てと鋭い爪の付いた手甲が一つで、こちらも防御の魔法がかけられているようだ。この爪付きの手甲が、タルカスの二つ名の由来なのだろう。

 三つ目の箱には、布に包まれた小びんが並んでいる。止血や解毒の薬に始まり、眠りや幻覚を誘う物のほか、何種類もの魔法薬が並んでいる。種類こそ少ないが『学校』の調合室の薬棚のようだ。

 そして、四つ目の箱と五つ目の箱には、布に包まれた長剣ほどの長さの竿が三本づつ入っていた。イクスの目には、それが『消魔棍』に見える。

 それが触れた魔法を消去し、無効化することができる魔法の棒、一度使えば封じられた魔法消去の魔法ごと竿が弾けて無くなってしまう、非常に扱いの難しい魔法の道具であり、魔法使いでない人間が魔法に対抗する数少ない方法の一つだ。

 それに、数も稀少で、非常に高価でもある。それが、六本も目の前に存在するとは。

 この準備だけを見ても、タルカスらの知識と状況認識は本物であると言わざるをえない。


「イクス殿は、もう魔物かそれに近い物の実在を確信しておられる。そして、守護者殿が、なぜ、それを放置、あるいは、容認しているのか理由をお考えでもある。守護者殿が、何らかの明確な理由があってなされていることなら、宮廷魔術師といえども魔法使いの戒律に従い、王国の命令やこの村の命運よりも、守護者殿の判断に従う方を選択されるのではござらんかな」

 イクスは、薄い笑みを顔に貼り付けたまま、タルカスから目線をそらせた。それを肯定も否定もすることはできない。魔法使いは、魔法使い以外の者に魔法使いの行動原理を明かすことは決してないのだ。言質を与えなければ、それはタルカスの勝手な想像に過ぎない。

「別に、それを教えて欲しいと申し上げている訳ではござらん。イクス殿が魔物をそのままにすると判断なされたなら、それはそれで結構。話の辻褄をあわせて退治したことにするもよし、見間違いだと主張なさるもよし、負けて逃げ帰った風を装い、決して近づかぬよう村長に命じられるもよろしかろう。退治するとお決めになるなら、我らも微力を尽くす所存。ただ、隠し事は無しでお願いいたしたいのでござるよ」

 彼らの言い分は理解できる。魔法使いの秘密主義は今に始まったことではないが、優秀な冒険者たちは、魔法使いについで世界の秘密に近い存在と言われているのだから、無知な一般人と同様に扱われるのは、心外なのだろう。

「まず、お会いになられるのでござろう。疑問の答えをお求めに」

 今度は、はっきりと首を縦に振り、言外にタルカスの要求を許容していることを示しながら、調査と思索の段階から行動に移る時期であることを決断していた。


「誰か村の者を、案内につけさせましょうか?」

「いざと言う時には、我らとて庇ってやれるとは限らぬ。平たく言えば、足手まといになりかねぬと言うことだ。なに、少々道に迷ったところで、登れば山頂、下れば村に着く。心配は無用」


 タルカスの豪快な笑い声で村長らは納得したのか、翌朝の出発にそれ以上ついて来る者はいなかった。守護者との面会が実現するなら、同行させられるのはタルカスたちだけだし、彼らとてその内容を知らされる立場にはない。約束だから、かなり要約した形での事実を告げる程度にとどまるだろう。むしろ、彼らに告げられる程度の理由であればよいがと、イクスは思っていた。


 森が深くなる前に、タルカスたちは装備の点検をした。

 アディールが弓と魔法のかかった矢を携え、タルカスとツィオンは同じく剣を佩いている。意外なことに爪の付いた手甲は、ツィオンが着けている。

 消魔棍は丁寧に布を巻かれた状態で、タルカスの背中に二本結わえられている。残りの四本は、村長の屋敷に置いたままだ。もし今回しくじった時には、生還した者がそれを使って再度挑むのだと言う。負けたままでは終わらせない、と言う意志の表れなのだろう。失敗できないのはイクスも同じだが、命がかかっていると考える分、彼らの方が真剣だ。


 森に入り込むにつれてイクスの不信は強くなり、不安が頭をもたげて来る。

 守護者でない普通の魔法使いは『学校』で教わらない魔法だが、政治的な理由から、宮廷魔術師は、守護者の『座』の結界を感知する魔法を学んでいる。

 イクスには結界の中心、つまり『座』の位置がほぼ分かっている。そして、その位置は、件の沼の中にあるようなのだ。守護者より先に、魔物と遭遇するようなことにでもなれば、戦わざるをえない。


「この感覚、結界が近うござるな。これから先はツィオン一人がお供を。我らは少し後方から続き、魔物と遇えば援護を、守護者殿ならその場で控えておりましょう」

 さすがに場数を踏んだ冒険者だ。近づいたとは言え、人や獣の無意識に働きかけ、それと認識させない『座』の結界を、タルカスらはちゃんと感じている。

 ツィオンが着けているタルカスの手甲は、爪が触れた魔物の動きを極短時間止める魔法がかけられているらしい。身体の動きはもう若い者に敵わないから、と苦笑してみせながら、部下に経験を積ませるため、敢えて得物を渡し、前衛につけていると言うことなのだろう。


「魔術師殿!」

 ツィオンが声をかけるのと同時に、イクスも前方から強い魔力を感知していた。

 『座』は、目の前の沼のほぼ中心にあるようだ。しかし、その前に立ち塞がって(正確には飛んで)いるのは、小さな竜だった。人の背丈ほどの体長で、拳一つ半程の大きさの頭が鎌首をもたげ、そのすぐ下あたりから小さな皮膜状の翼を広げてはいるがそれだけでは飛べそうもない。見えない手に首を掴まれて吊り下げられた蛇のようにそれは空中に浮遊している。


 半ば身を隠しながら、ツィオンは沼の岸辺を左手へ回り込むように、静かに前進した。イクスは、戦いの手順と使える魔法を思い浮かべながら、それに続く。


 生命力と言うより、魔力そのものの感触が、強い。

 何かの生物が変化したと言うより、水辺の魔力が集まって形をなしてしまった精霊の類のようだ。この地の『座』に被害を与えなければ、戦闘は可能だろう。だが、どうにも近過ぎて不安を覚える。

 風の『刃気』系魔法では、実体が希薄な魔物には効果が薄いことがある。水の精霊ならば、火の『燃』か『閃』系の魔法で一気に消し飛ばすか、逆に『氷弾』系の魔法で畳み込んで、氷に封じ込めるか。


「もっと回り込んで、守護者殿をお探しになりますか?」

 ツィオンが尋ねる意味は、理解できた。これ以上進むならば、このまま近づいて魔物と戦うか、大きく迂回して戦いを避け守護者を探すか、どちらかだ。戦闘が避けられるなら、それに越したことはない。

 イクスの指示に従って、ツィオンは沼から距離を取り、より奥へと進む道を探りつつ慎重に進んだ。後方で戦闘が起きなかったところを見ると、タルカスらも無事魔物の前を通過できたようだ。


 沼をほぼ半周し上流に回りこんだ頃、イクスは残念な結論に達せざるをえなかった。魔物に気づかれずに『座』に接近することは不可能だと。イクスの感知した結界の中心は、あの小さな水竜の浮遊している領域の中心にある。イクスはツィオンに、タルカスらと合流して魔物と戦わざるをえないことを告げた。

 ツィオンは、イクスを置いて今来た道を戻り、タルカスらとともに戻って来る。


「イクス殿の魔法を受けて岸辺へ寄って来るならば、後は我らにお任せあれ。逃げるならば、そのまま進んで守護者殿にお会いになればよいだけのことでござる」

 タルカスは一本だけ消魔棍の包みを解き、不用意に触れないよう自分の剣の柄に、それを包んでいた布を掛ける。魔法の剣に消魔棍が触れれば、剣にかかった魔法が消え、高価な消魔棍は無駄に消費されることになるからだ。

 魔力を消す消魔棍は、魔力の結晶のようなあの水竜にかなりの消耗を強いることになるだろう。アディールも十本の魔法の掛かった矢を再度点検している。イクスやタルカスの位置よりもやや斜め後方に下がり、接近する間に可能な限り多くの矢を射込む構えだ。ツィオンは逆に引き付けた魔物にとびつくために足場のいい場所を選び、イクスとタルカスに魔物の注意が行くよう姿を隠している。左腕に着けた手甲の爪はツィオンが構えると同時に倍の長さに伸び、先端が鋭く尖って鉤状に曲がった。着用者の意志に反応する仕組みらしい。


 タルカスらの観察では、水竜は沼を巡回するように円を描いて移動しているらしい。それを証明するように、ほどなくイクスらの視界に水竜は現れた。

 タルカスに小さく頷いて合図すると、イクスは自らのウィザードスタッフの先端を狙いをつけるように突き出し、『燃身』の魔法を水竜へ投げる。一撃で倒せると考える程甘く見てはいないが、まずは小手調べだ。


 水竜はその全身にまとわりつく魔法の炎をものともせず、変わらない様子でゆっくりとイクスへと近づいて来た。火と水、異なる属性の魔力をぶつけて力を削ぐつもりが、ほとんど効果を上げなかったようだ。イクスは違和感と焦燥を覚える。何か、読みに誤りがあったのか。


 タルカスとツィオンが届く位置には、まだ遠い。立て続けにアディールの放った矢が、水竜に突き刺さる。

 四本目の矢と同時にイクスも『氷打印』の魔法を叩きつけ、再度反応を見る。水の精霊なら、凍りつくまではいかなくとも、多少動きは鈍るはずだ。しかし、二つ目の魔法も目に見える効果はあげられなかったようだ。

 もし『魔法防御』の魔法を身に帯びているのなら、この水竜は見かけによらず知性的なのか、魔法を使える知性を備えた者に仕えていると考えるべきだろう。

 ゆっくりと飛ぶ様は変わらないが、水竜は威嚇するように鋭く高い声を発すると、口をかっと開いた。竜はその属性に応じて炎や毒の息を吐くことができるし、存在が魔力そのものに依存している精霊にとっては、魔法を使うことは身体を使うことのように自然なことだ。水竜の口の中に小さな炎の揺らめきが見えた瞬間、イクスは投げようとした三番目の攻撃魔法を中断し、別の魔法へ切り替える。

 イクスらを狙って弾ける炎を『魔法障壁』で防ぐと、再び『氷打印』を唱える体制に移る。水竜の攻撃は炎の息ではなく『閃』の魔法だった。水の精霊が火の魔法とは、解せないことばかりだ。

 再び口を開く水竜へ、タイミングを合わせて魔法を放つ。空中で、二つの魔法が激突し相殺される。

 掻き消えた魔法の間隙を縫うように、ツィオンは宙を舞う。手甲の鉤爪が、水竜を捕らえると、ツィオンはそのまま沼の浅瀬に押さえ付けた。タルカスが、消魔棍を構えて駆け寄る。

「タルカス、待て!」

 ツィオンが強い口調でタルカスに命令すると、タルカスは振り下ろしかけた消魔棍を寸前で止める。イクスにはツィオンがイクスの知らない魔法を唱えているのがわかった。

「イクス殿、竜の正体はこれです」

 ツィオンは、沼の中からウィザードスタッフを持ち上げた。わずかにうねって、竜の姿に戻ろうとするが、ツィオンが再度同じ魔法を使い、杖の形状に戻す。イクスの用いる宮廷魔術師用の装飾過多なウィザードスタッフに比べ、その杖は先端が三つに分かれ竜の首と両翼に見えるのを除けばほとんど飾りもない古い木の杖だった。

「お赦しください、イクス殿。私も確信がないままの任務でしたので、タルカスの一行に紛れ、あえてイクス殿にはお知らせいたしませんでした。私は『学校』からの使者ツィオンとお見知りおきください」

 ツィオンは剣と胸当てと手甲を外して、タルカスとアディールに預ける。手甲の下には、小さくされたツィオンのウィザードスタッフが隠されていた。

「では、参りましょう」

 ツィオンは装飾の一つも無い自らのウィザードスタッフを伸ばすと左手に、捕獲した杖を右手に持つと、イクスを促した。

 二人は『浮遊』の魔法を使い、水面より少し上の高さを滑るように『座』を包む結界の方へと進んで行く。


 イクスとツィオンが『座』に近づく。沼のほぼ中心部に小さな州があり、牛ほどの大きさの岩がその中心にあった。そして、その上にボロボロになった魔法使いのローブと白骨死体がある。


「守護者殿は、亡くなられる寸前まで自分の守るべき土地を思っていたのでしょうね」

 ツィオンがそう語りかけるまでイクスは言葉を失っていた。


 魔法使いの死。

 『タイムレスリング』の魔法で、実質的に不老不死である魔法使いも死ぬことはありうる。魔法使いが忘れがちな事実だ。

 守護者が死んで『メンテナンス』の魔法が途切れても、国土の内側であれば、地域の崩壊はすぐに感知されるし、次の守護者も早く到着できるだろう。二ヶ月か三ヶ月かの空白であれば、人々の生活に致命的な影響が起きる前に、安定を取り戻すことは困難ではない。

 しかし、辺境では『ウォール』を失っただけで、魔物の流入や安定した魔力の漏出が始まり、地域の崩壊は比較にならぬほど早い。


 死期が迫った時、次の守護者が赴いて来るまでにこの地の魔力が崩壊し、荒廃してしまうことのないよう、彼は自らのウィザードスタッフに魔法を操る擬似生命を与え、自分に代わって魔力を集め、『メンテナンス』の魔法を維持し、『座』を防衛させたと言うことか。


 発掘される魔法の品々の中には、命あるもののように持ち主に仕える道具もあると聞くが、『学校』の魔道具作りの匠たちでもそう簡単に作れるものではない。守護者としてこの地を守りながら、片手間でできるものでないのは確かだろう。しかし、それを彼はやり遂げ、名も知らぬ守護者の杖は、彼の遺志を継ぎ、少なくとも最初に目撃された五年以上前からこの地を守って来たのだ。


 イクスとツィオンは、州に穴を穿つと守護者の遺骨を埋めた。ツィオンは守護者のウィザードスタッフをその上に立てる。

「せめて、主とともに自らが守った地で、朽ちていきなさい」

 ツィオンは守護者の杖に語りかけ、自分のウィザードスタッフでそれに触れると杖に充填された魔力を移し取った。守護者の杖は魔力を失い、ただの木の墓標となった。

「私は竜との戦いで死んだことに。後はタルカスがうまくやります」

 ツィオンは『座』に降り立つ。このままでは『メンテナンス』の魔法が途切れ、この地の魔力は漏出し、崩壊する。次の守護者が派遣されるまで、この地を守る者が必要なのだ。


 イクスはタルカスらと村へ向かって、来た道を下っていた。村に着くまでに、村人を安心させ、納得させる物語を紡がなければならない。

 そして、王宮へ戻るまでに、王とこの地の領主である男爵を喜ばす物語、さらに主席の宮廷魔術師である魔術師長にする事実の報告を、仕上げなければならない。


 魔法ではなく、言葉で人の心を動かす。これこそが宮廷魔術師の真の仕事なのだから。

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【ウィザードスタッフ】 追憶の墓標 大黒天半太 @count_otacken

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