第15話 刺客
編入学校が決まるまで、志野は自宅学習という立場であったが、だからといってずっと家にいなさいという意味ではないことは承知しているつもりだった。事実、あの惨劇を免れた友人たちとは随時会っていたし、連絡も取り合っている。そんな状況であったので麻里子たちいろは組の諸事情が絡んできてもまだ、これまでの生活にあった普通の部分が影響を受けているとは感じていなかった。
ただ、もし何かあれば駆けつけるということにはなるし、万が一自分のすぐ周りでモウリョウが出現したら一人で対処しなくてはならなくなることは自覚しているつもりだが、果たして何ができるのかと問われれば、今の志野に二つ返事で答えられる自信は無いといってよかった。
「それは気にしても仕方が無いわ、志野さん」
東都のセーラー服姿の燐が振り返り微笑む。その笑顔はもはや犯罪だと志野は思っていたが、敢えて口に出すことは出来なかった。繰り返すまでもなく、燐の美少女ぶりが半端でないということの裏返しだからである。
対して志野はカーキーグリーンのショーパンに紺色のニーソ、スニーカー。上はボーダーの長袖Tシャツに黒パーカーを重ねてという格好である。もしやの時にはスカートよりも動きやすいかなと思ったことが、そんな服を選んだ理由だった。
志野は心苦しい言い訳を母親にしながら昼過ぎに家を出てきた。「友達に会う、遅くなるかも」という表現は間違ってないにせよ、モウリョウのことなど言えるはずもなく、そっちの話をして信じてもらえることも無いであろうと考えれば、当たり障りの無い理由を述べて心配されないようにしておくしかない。現役女子高生という立場ではこれが限度だろう。先日の合宿とて、よくも疑いもせず送り出したものだと、志野は自分の親を感心するしかなかった。
「あ、あのう、結局のところ昨夜のところは巨蟹はでなかったのですね」
話題を変えようと志野はそっちの話を持ち出す。
「そのようね、メールはみた?」
「ええ、今朝見ました」
「麻里子さんと譲之介さんが徹夜で待ったらしいけど、どうやら空振りだったみたい」
「恐れをなしたか、巨蟹め!って書いてありましたけど」と言って志野は笑う。あまりに子供じみた内容は思い出すたびに噴いてしまう。
「そうねぇ、麻里子さんは意気込むと何時もハズレの方が多いから・・・」
何か思い当たる節があるのか、燐がクスと笑う。
「出てこなかったことにも何か意味があるのかもしれないから、状況は慎重に判断しないといけないわ」
常に冷静で思慮深い燐は、もう頭を切り替えてその意味を考えていた。
燐と志野は昨日の打ち合わせどおり、燐の学校が午前で終わったことを受けて合流し、城南方面で有名な置塚の状況を一つひとつ回って現状を確認していた。すでに広尾で一つ、祐天寺、目黒不動尊でもそれと思える塚が見事に砕かれ、只ならぬ覇力が渦巻いているのを見てきたばかりである。
「とりあえず、封陣札張って、折神置いておいて。あとはいろは組でやるから、次よろしくね」という麻里子の指示をスマホで受け、燐と志野は築地方面へ移動していた。
「譲之介さんの報告だと、城北方面でも数箇所狙い撃ちでやられているらしいわ」
燐の話に志野も緊張するしかない。壊された塚に行ってもすぐさまモウリョウが出てくるわけではないが、そこかしこに覇力が残留し何かがいた、出たと思われる跡を見れば否が応でも体が反応する。そういうことで志野は自分がこれまでとは違う人間になってしまっているのだと、改めて気がつかされてしまうのだった。
「ええと、波晴神社だったわよね・・・」端末の地図を見ながら燐が呟いた。それが中央卸売り市場から一本道を横に入ったところにある神社の名前だった。
「あそこじゃないですか、燐さん」と志野が指差す。その先には確かに神社の鳥居が見えた。
「あ、」その瞬間に、志野は体を貫く覇力を感じる。
「志野さんも感じた」と燐。彼女もまた、どこか得体の知れない覇力を全身に受けた。
「でも変です、もう消えました」
志野は首をかしげ燐を見た。一瞬ではあったが激流のごとき覇力が体の中を流れたのだ。
「そうねえ、凄く強い覇力に思えたのだけど、ほんの一瞬だったわ」
燐は答え周囲を見回した。もしや誰かが、蔵前の時のようにここで何かを起こそうというならばと思ったのだ。そんな気分のまま神社の境内に入るのは何となく気が進まないと考えながらも辺りを警戒して神社に入る。直ぐ後に志野が続いた。
事前に麻里子に聞いていた蟹塚はすぐに分かったが、高さが二メートル近くありそうなそれは見事に真ん中から真っ二つにされていた。
「これは・・・」燐は塚のあった真下の地面に意図的に掘られたと思われる窪みを見つけた。「燐さん、ここにあの巨蟹が封印されていたのかな」志野も同じ事を想像してそう言った。
「ここにある由来を記した説明板に書いてある文を読むと言い伝えによれば、東京湾から上がった巨大な蟹の化物、多分モウリョウかしら、が江戸を暴れたということみたいだけど、それ江戸幕府時代の話となると、これが麻里子さんの言っていた成敗話なのかしら」
燐はそんな風に考えてみる。
「あ、そか麻里子さんならその時代、どこかにいるはずですよね。江戸じゃないなら京都ですか」
「うーん、どうなのかしら。あと譲之介さんもいたと思う。真衛門さんと紫雲さんは分からないけど」
当人に直接聞くのが一番だと燐は思うが、それは後でも構わないだろう。答えてくれるかどうかはわからないが。
「それにしてもここを中心にしていると思われる覇力の渦は尋常じゃないわ、体にぴりぴりこない?志野さん」
「あーやっぱりそうなんですね。妙義総社の時みたいに色々感じるんですが、その、総社とは違う物凄くどす黒い感触があって、ちょっと気分が悪くなりそうです」
志野は両の腕を交差させ摩りながらそう言った。付け加えれば先ほどから、視界の隅で動き回る奇妙な連中を何となく捕らえてはいるのだが、正体は良くわからない。
「あの、燐さん、周りに何かいますよね」と志野は思い切って尋ねてみる。
「あ、うん。ちっちゃい系のモウリョウかな多分。餓鬼じゃないと思うから無差別に襲っちゃ来ないわよ」
さらっと燐は答えるが、経験不足の志野には気に障って仕方が無い。何となく後ろからの視線をずきずきと感じるのだ。モウリョウは自分より力の強い覇力を持つ相手には滅多なことでは手を出さないと知っていても何となく引っ掛かるのはどうしようもない。慣れるまでといえばこれもまたその通りだろうが、何時になるやらと考えると気分はこれまた重かった。
「わかったわ、そこは念入りに封じた方がが良さそうだけど、取りあえず札は置いてきて。巨蟹はやっぱそこから出たってことだろう。じゃ、今日はこっち戻ってよ」と麻里子はスマホから燐に話す。
「本願寺や富岡八幡宮はどうしますか」と燐。
「巨蟹の出所がとりあえず分かったならそれは明日にしよう、余り遅い時間にまで志野も引っ張れないしね」
「わかりました」返事を返した燐は電話を切った。
「これからどうするんですか」横で話を聞いていた志野が尋ねる。
「今日はもうおしまいでいいって、月光館に戻ってくるようにって言っていたわ麻里子さん」
燐は肩にかけたスクールバッグにスマホをしまいながら答えた。
「今晩は巨蟹が出てくるのかな」半ば独り言のように志野が言う。
「どうかしら、麻里子さん的に言うのであればは、そうしてくれる方が探す手間が省けるみたいだけど」
「そうですよねぇ・・・」
志野は麻里子が手ぐすね引いてまっているところを想像して噴いてしまった。
「ここからだと大江戸線の勝どき駅の方が、近くかしら」と思案顔の燐が志野を見た。
「あ、それで蔵前から歩きます」
「そうね、そうしましょうか」
燐と志野は中央卸売り市場をぐるりと回ると晴海通りに出て勝鬨橋に向かった。夕方の帰宅時ということもあってか、橋を行き交う車と人の量は少なくない。
「この橋って、真ん中から跳ね上がるんですよね」と志野。
「うん、昔は船を通すためにね。結構凄い眺めだったわよ」
答える燐は昔を思い出して話す。
そうだろうな、と志野は思いつつ、昔と言ってもそれほどでもなければ、燐が見ているのも当然かとも思う。
そんな話をしながら二人が橋の中ほどまでやって来たときだった。
「え!」
突然、志野と燐は見えない壁にぶつかったように立ち止まった。いや、立ち止まったのは二人だけで、他の通行人は何ら変わるところなく歩いている。二人の前だけに見えない壁が出来たといえばいいのだろうか。
「り、燐さん、何で」ぶつけた鼻を押さえながら志野が叫ぶ。
「志野さん、あれ」
燐が指差した先には、腰まで届きそうな長い髪に黒いセーラー服姿の少女がこちらを睨みつけて立っていた。薄気味悪いほど整った顔立ちに白い肌色、得物を見定める切れ長の目。その華奢に見える体からにじみ出るどす黒い覇力で彼女がどこの何者なのか教えてくれていた。
「あんたらが麒麟と青龍か。待っとったえ」
耳障りな甲高い声で話す少女の口元に少しだけ笑みが出来る。
「我邪ね、あなた・・・」もはや間違いないであろうと燐は思う。どうやったのかはわからないが、何の予兆を感じさせることも無く二人の足を止め、堂々と目の前に立つ輩と言えば他に誰がいようか。
「そんなところや。だったら用件は言わずともわかるわな」
およそ表情という物を面に出すことなく少女は話す。
「二条瞳子配下の者か。この間のお礼回りにあんたたちを差し向けるなんて、私たちも甘く見られたものだわ」と燐は負けずに少女を威嚇する。
「そないなことどうでもええやろ。吼えたければ勝ってからしいや」
首を左右に揺らし少女は言った。その動きは人いうよりも人形のようにも思えなくない。
「こっちは二人、そっちはあなた一人でしょ。分が悪いと思わないの」
負けずに志野も啖呵を切るが、どうも格好がつかない。
「誰が一人と言うたんや、青龍の嬢ちゃん。後ろ見てみい」
先ほどと同じわずかな笑みを浮かべ少女は言う。
振り返る志野と燐は、目の前に立つ少女と同じくらいの距離を空けて、見た目全く同じ背格好と容姿の少女がそこに立っているのを見た。
「い、何時の間に」と驚く志野。燐はチラと見て前に視線を戻す。
「これで二対二。五分の勝負と言いたいところだが、駆け出しでも青龍は青龍。四神瑞獣さまとあれば用心せんとあかんなあ」
後ろに立つ少女が、ククと笑いながら言った。
「二人で前後から挟み撃ち、そういうこと」と燐。
橋の真ん中で前後を押さえ、逃れる術は空か川かどちらかしかない。かたち上は二対二でも、志野は我邪が言うように初心者ではどこまで戦えるかは未知数だった。それにしても結界も張らず現界でこうも堂々とけしかけてくるとは。もう何も構わないということなのかと燐は思う。
「うちは桜魔子」と前方の少女が名乗り、
「うちが桜理子」と後ろに立つ少女が名乗った。
「うちら我邪十傑集の蟷螂姉妹があんたら潰す。それでうちらの名も日本中に知れ渡るいうもんやな」同じ声色の声を合わせ二人の少女が叫んだ。
「に、日本中って・・・」意味するところを解せない志野は少し呆れた。
前の魔子が右手を、後ろの理子が左手を横に突き出すと、その手に覇力が光る。同時に手にした得物は全長が二メートルはありそうな大鎌だった。
燐と志野の前後から猛烈なダッシュで迫る蟷螂姉妹は、それぞれが手にした得物である大鎌を左右に振った。
「志野さん!」
「はいっ!」
大声で叫ぶ燐のタイミングに合わせて、志野は覇力を集中させ錫華御前を手にする。
バチンという金属同士が激しく打ち当たる音が橋の上で響いた。志野は後ろから、燐は前から襲ってきた少女の大鎌を各々の得物で受け止めた。
「フフン、流石は麒麟と青龍。一撃でおしまいとはいかへんなあ」
見るからに嫌らしい笑みを浮かべ、蟷螂姉妹は二人に滲み寄る
さらに大鎌を押してくる桜子と理子は、じりじりと力任せで押してきた。
「な、何なのこの二人…」
女子とは到底思えぬ腕力に志野は悲鳴を上げる。こうして組み合っている限り、どちらかが押し負けないかぎりこのままであろうが、並外れているこの二人のパワーにはこれ以上耐えられなくなりそうな雰囲気だった。
「あはは、青龍の嬢ちゃんのほうがも脆そうやで。何が四神瑞獣や、聞いて呆れるで」
勝ったも同然と言いたげな理子が、踏ん張って耐える志野を見下して笑う。
車も人通りも多い橋の上でいきなり始まった乱闘に、通りすがりの人々や車の運転手が度肝を抜かれたのは言うまでもない。誰もが立ち止まり何事かという表情で、大きな得物を持ち組み合っている四人の少女たちを眺めていた。
「現界の、しかもこんなことろで戦いを仕掛けてくるなんて、あんたたち正気なの」
燐は自身の得物である隼風鉾で受け止めた魔子の大鎌を押し返しながら叫んだ。
「別に不都合はないやろ。うちらはおまいらさえ、始末すればそれでええんや。ほかの何を気にする」
ぬっと顔を突き出して燐に相対する魔子は、鬼女のような形相で吼え返す。
「そんなの絶対、認められるわけないでしょ」と叫んだ燐は一気に力を振り絞って魔子を押し返す。
「な、何だと」
そんなこと自体が想定外だったのか、魔子は後ろに飛んで燐と間合いを取る。
その様子を見ていた理子は「魔子、どうした」と叫ぶ。一瞬、目の前から彼女の視線が外れたところを志野は見逃さなかった。ふっと錫華御前の力を抜き、左へ飛ぶ。
「お、お前」
支えあっていた力の一方が外れた理子はそのまま前に二歩、三歩と踏み出すことで危うく転倒することだけは食い止めた。
「なめとんのか、嬢ちゃん」
叫ぶ理子はマジ切れ状態になって、大鎌を志野に振るう。それを僅差で避け、受け流しながら志野は力押しする理子から逃げ回る。
「こんな場所で戦ったらどれだけ人の迷惑になるか考えなさいよ」
負けにずに叫ぶ志野は合間を見て錫華御前を打ち込む。それが理子の癇に障るのか、むきになって振り回す大鎌は空を切り、または車にぶち当たって屋根を破壊する。通行人が悲鳴を上げ、その場にいた一般人が騒然となるが理子はかまわず志野を追う。
「ええい、理子のあほうが、何しているんや」
燐から視線をはずした魔子の隙を彼女は逃さない。隼風鉾を繰り出して魔子を突き刺そうと突進する。
「な」寸差で一撃を交わし、またも下がる魔子は燐をにらんだ。
「よそ見している暇はないわよ、桜魔子」
燐は隼風鉾を構え直し正面に対した。
「フフン、なるほどやっぱり麒麟と青龍や。はなから舐めてかかったうちらがあかん」
ふっと呼吸を整えて大鎌を持ち直した魔子が燐をにらむ。後ろでは同じように一旦引いた理子が相応の距離をとり志野と対していた。
燐と志野は背中合わせで魔子と理子に相対している。つまりは最初と状況は変わらないということであり、前にも後ろにも逃げることは出来ず、どちらかを倒すなりして突破しなければ逃げられないという状態だった。
「燐さんどうしよう」
叫ぶ志野には彼女だけが頼りである。自身はこんな遭遇戦など未経験であったし、妙義総社での訓練とはもちろん勝手が違う。わかっていてもスキルの低い志野にはこれからどうすればいいのかの答えがなかった。
そうしている間にも何かの騒ぎと見た野次馬が集まってくる。橋の上で車が止まりパトカーと思しきサイレンの音が聞こえてきた。
「まずいわね、関係のない人が集まり過ぎている」と燐が呟く。確かにこんな状態でモウリョウまで繰り出して戦う羽目になろうものなら、ここいる人々と橋全部も吹き飛ばしかねないことになるかもしれない。そう考えれば、とにかく逃げるのが一番なのだが。
「とにかくどちらかを突破しないと、ここから逃げるのは無理のようね」
燐は魔子を見て、理子を見た。組するならどちらが容易いか。姿形が同じなら力も同じなのか、そうではないのか。今のところわかっているのは利き腕が違うということくらいだろうか。鎌を得物に使うなら、仕留める動きは概ね縦と横のどちらかになる。ならば相手の動きと反対の対応で何とかならないものか。
「どっちを相手にするんですか」と話す志野は自分の心臓がバクバクと音を立ているのをはっきりと感じ取っていた。
「この二人は大鎌を得物に使う。鎌は基本、懐に敵を捕らえられないと一撃を与えられない。だから前後で挟み撃ちにして、間合いを取ろうとする相手に対して死角をつぶしているわけね」
そんな風に考えてみる燐だが、絶対という保証はないだろう。この程度で相手が手の内全部見せているとは思えない。
「じゃあ、こうやっている状態では逃げれないんですか」
「そうなるけど、手にしている得物が大きすぎる分、動きに変化をつけるのは簡単じゃないかもね。だから相手の得物の動きとは反対の動作が突破できる糸口になるかもしれないわ」と燐は志野を見て言った。
「わ、わかりました」頷いた志野にその自信があるわけないのだが、逃げなければこの桜姉妹、いや蟷螂姉妹の餌食となることは間違いない。
「何をごちゃごちゃ言っているんや、今度こそ往生しいや」と魔子が吼える。
「構へんわ、行くで魔子」
大鎌を後ろに引いて構えた桜子がその場を蹴った。同時に魔子もそれに倣う。
瞬時に間合いが詰められ、蟷螂姉妹の大鎌が左右から燐と志野をまとめて両断すべく襲い掛かる。
「飛んでっ!」叫ぶ燐に従って志野もその場を蹴った。モウリョウと契ったキズキビトは人の力など遥かに越えた身体能力を発揮できる。すっと飛び上がったつもりでも二人は軽く数メートルの跳躍を見せて魔子と野次馬を飛び越し着地する。燐のスカートがふわりと舞った。
蟷螂姉妹の大鎌は、それまで二人がいた場所でむなしく交差してガチンと激しくぶつかった。
「お、おまいら」と理子と魔子が同時に首を回して声を上げた。
「逃げるわよ志野さん、ついてきて」
「わっ、はい」
志野は叫ぶと燐に続く。大勢の一般人の注目を浴びつつ、二人は月島方面へ向けて猛然と駆け出した。ともかくまずこの場を離れなければ、これ以上どんな被害が起きるのか想像も出来ない。
「もう、ええかげんにしいや、おまいらマジで切れるわ」
叫んだ魔子は左手を空へ突き出し、横目で理子を見て合図を送る。
「フフ、構まへんで、ここでもう一騒ぎもええな」頷いた理子は魔子に習って右手を空に突き出す。
「カマス」
「キラス」
蟷螂姉妹が突き上げた手の先から強烈な閃光と共に覇力がほとばしる。駆け上がった空の一点で炸裂したそれは天を割り大穴を穿った。と、同時にその奥から螳螂に酷似したモウリョウが二匹ほど姿を現した。はたから見てもその体長は牛や象どころの騒ぎではない。ならばまさに怪獣といえた。
突然に出現した怪物の姿に橋の上にいた人々が驚かないわけがない。誰もが悲鳴を上げ、我先にと逃げ出す。しかし、それよりも俊敏に動き回る蟷螂モウリョウは素早く人々の上空から舞い降りて覇力のみならずその血肉も貪った。
「何てことを…」
思わず足を止めそんな光景を見た燐は心の底から怒りが湧き上がるのを抑えきれない。
志野に至っては、今ここで繰り広げられている光景自体がとても信じられず驚愕していた。蔵前高校の惨劇も酷いものだったが、これも尋常ではない。
「彩麒、力を貸しなさい!」
振り返り叫ぶ燐は己のモウリョウを呼ぶ。突き上げた右手に持つ隼風鉾の槍先からほとばしる燐の覇力は、一直線に空へと駆け上がり彼女の真上にて炸裂する。空が割れて噴き出す青い靄が橋の上空を染めたかと思うと、そのさらに奥から燐のモウリョウである麒麟が姿を現す。
「あん?あの嬢ちゃん、麒麟のモウリョウ呼びおったで」
その事態にさして驚く様子も見せず、魔子は嬉しそうに笑う。
「ええやないか、面白くなってきおったわ」と理子もニヤリと笑う。
二人は各々が持つ大鎌を振り回して前方へ突き出し交差させた。ガチンという鈍い金属がぶつかり合う音が響くと同時に閃光が走り、それに呼応するかのようにカマスとキラスが燐と志野に狙いを定める。
猛然とダッシュするカマスとキラスは両手の鎌手をもたげて二人を襲う。
「うわっ」と叫ぶ志野は隣に燐もいる以上、うろたえて逃げ出すことも出来ず踏ん張るしかないが、実際のところ実戦の凄さに飲まれて動けないといったほうが正しい。
ガチンと巨大なもの同士が激しく打ち当たる音があたりに響き、燐のモウリョウ、麒麟の彩麒が燐と志野の間に割って入る。振り下ろされたカマス、キラスの鎌手をかわして彩麒が両の前足で頭を打ちはねたのだとわかった。
「クイン」と叫ぶ彩麒が怒りを露わにして蟷螂モウリョウを威嚇した。
「き、麒麟って鳴くんですね」こんな場面には相応しくない話だと思いながら、志野は思わず言ってしまった。
「割と可愛いでしょ。青龍みたいにドスは効いてないけど」
燐はクスと笑って答えた。
跳ね飛ばされたカマスとキラスはすぐに立ち上がり、こちらも鎌手を再び持ち上げて彩麒を燐、志野を激しくにらみ威嚇した。
「今日は顔見世程度だったはずやけど、もうあかんな。こいつら呼んだらしまいまで止まらんで」と言う魔子はカマスの隣でククと笑った。
「そうや、うちらのモウリョウ、主に似て執念深いからねえ」フフンと理子も笑う。
そうだろうなと志野は思ったが感心している場合ではない。共にモウリョウを繰り出して対峙している以上、周囲にこれ以上の甚大な被害をもたらすのはほぼ確定だった。とはいえ蟷螂姉妹とそのモウリョウたちを退散させないことには決着がつかないことも明白だった。
「じゃ、燐さん私も青龍を呼ぶわ」と志野。こんな調子でモウリョウを召還していいものかと思いつつも二対一より二対二のほうがいいに決まっていると考えるのは当然のことである。
「あ、うん」と二つ返事で燐は答えたが、なんとなく直感的に不安を感じた。
「主たる我が求める、青龍よ我に力を貸せ」
叫ぶ志野は右手を空に突き出す。その手からは燐と同じように覇力が一筋の光となって伸びるが空に届いても何も兆しが現れない。
「あれ…?」と小声で呟いた志野はかなりばつが悪い。もう一度空に向けて手をかざすが結果は変わらない。さらに一度、二度と繰り返しても何も起こりはしなかった。
「ぶははは、青龍の嬢ちゃん無様や、おかしゅうてかなわん」
その状況を見た魔子はマジ声で笑い出す。
「ほんまや、主の言うこと聞かへんモウリョウなんて初めてや。あんたそれでもほんまに主人か」
理子も頭から馬鹿にした声で笑いながら言った。
「え、えええ何でよお!」
一番驚いたのは志野であることは間違いない。いつ何時でも主人が呼べばはせ参じて力を貸すのがモウリョウではなかったのか。契りの時にそう聞いたはずだと思い出す。
「今の状況じゃあ、志野さんにとってピンチじゃないって青龍が思ったのかしら」
「そ、そんなあ、今めっちゃくちゃピンチじゃないですか燐さん」
「そうなんだけどねぇ…」相対する蟷螂姉妹とそのモウリョウを横目で見ながら燐もその理由がよくわからない。彼女が彩麒を呼んで来なかったことは、これまで一度もなかったのである。気まぐれという言葉でかたのつく話ではないだろうにと思うのだが。
しかし、あれほど殺気立っていた橋の上の雰囲気がこれで一気に砕けてしまう。
冷静に橋の周囲を見渡した志野は、壊された車の山に死者負傷者と、この状況を遠くから様子を伺う取り巻く野次馬の多さに絶句した。ケータイで写メっている人々も怪獣三匹プラスではさぞかし興味深々だろうと思える。
「まずいですよ燐さん」と志野。パトカーと思われる緊急車両のサイレンとヘリコプターの爆音が耳に届けば、蔵前高校の時と同じ状況となりつつあるのは明らかだった。
「そうねっ」と叫んだ燐は隼風鉾をくるりと回して空に向ける。この時を逃さずにして形勢逆転は出来ない。
「麟角雷撃!」叫ぶ燐の声に呼応して彩麒ががっと地面を蹴って飛び上がる。
「クオウ」と雄たけびを上げた麒麟の角から激しい光がほとばしり、雷撃となって蟷螂姉妹の上に打ち込まれた。
「あかん」と魔子が叫んだが手遅れだった。地面に向けて無数の雷がほとばしり生き物のようにのた打ち回ってカマスとキラスに襲い掛かる。
バシっという鈍い音が二匹の悲鳴なのかわからなかったが、蟷螂モウリョウが目も眩む閃光に包まれ光の粒となって散華していくのは確かなようだった。
「志野さんっ!」
その光景に驚いている志野の腕を引っ張って、燐は一緒に跳ね上がり麒麟の背に飛び乗った。無理やり志野を引き上げて何とか後ろに乗せるとそのまま彩麒を飛翔させる。
志野には何がおきているのか見当もつかなかい。
「麟脚跳躍」と叫ぶ燐の言葉と共に麒麟はまさに韋駄天のごとく空を駆け上った。
「ぬおう、麒麟の小娘め」と理子が悔しがっても遅かった。見上げれば麒麟はもう空高く光の点となって消えていく。
不意を衝かれたといえばその通りであろうが、こうも簡単に逃げられては、蟷螂姉妹としては面子丸つぶれである。しかも自らのモウリョウまで簡単に散華させられてはなおのことであった。
「仕方ないわ、次の手を打って、今度は手加減抜きで倒したらええ」
「そうやな魔子。なら、早速けつねでもいたぶろうか?」
「ええねぇ理子。そないしたらあいつら、絶対喰いついてきをるわ」と摩子が笑う。
「瞳子さまから預かった巨蟹の黃短冊もあるさかい、ごっつう楽しいことになるで」
そんな会話を続けている二人の傍に何台ものパトカーや救急車が到着し、飛び出した警官たちがあまりに酷い現場の状況を見て絶句していた。
「き、君たちここで何があったのかね。誰がこんなことをしたのか見たのかね」
警官の一人が後ろから魔子と理子に声をかけた。身の丈の倍はありそうな、一見して物騒な大鎌を手に持っていても、セーラー服の女子学生が何故こんなところにと思えば不思議はない。
「あん?」と同時に振り返る魔子と理子。
「う、」
声をかけた警官はおよそ人間のものとは思えない雰囲気を放ち、まったく同じ姿形をした相当の美少女であるにもかかわらず、それとまるで相反する形相を浮かべて威嚇する二人に恐れおののいた。
「何や、ただの人間が、うちらに何の用や」
二人は声を合わせて警官をにらむ。
「き、君らがこんなことをしたわけじゃないだろうが、どうしてここにいるのかねと聞いたのだよ」
気負い負けしながらも警官は質問する。集まってきた同僚たちもどこか二人に恐れを抱きながら見守っていた。
「はあ?何をあほな事いうてるんや。モウリョウが軽く暴れれば死人一山くらい当然やろ」
「な、何を言ってるんだね、君たちは」
いきなりセーラー服の少女二人にそんなことを言われても、一般の警官たちが理解できるはずもない。
「ああ、もうめっさイラつくわ」と魔子
「ほんま、そうやな。江戸に来る時は何時もこうや」と理子。
右腕を上げた二人の手のひらから光が放たれると、それは瞬時にして目も眩む閃光となり、二人と警官と、橋の上にいたすべての人々をあっという間に包み込んでいく。
同時に耳を劈く轟音が響き、大爆発となって勝鬨橋を吹き飛ばした。崩れ落ちる橋の構造物、残された車や吹き飛ぶ人々、すべてが一度四散し隅田川の中に消えていった。
黄昏時に起きたこの信じがたい事件は、さまざまな思惑を含みながら夜のトップニュースになったのは言うまでもない。
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