第13話 屑
木戸譲之介が異変に気がついたのは、麻里子たちを妙義総社に送り届け、月光館へ戻った夜のことだった。そのみに状況報告して、自分の部屋がある月光館から少し離れたアパートに戻るべく丑三つ時に近い時分の通りを歩いていた時だった。
突然、ジャキンジャキンと金属同士が擦れあう音が周囲に響き、同時に一帯の街灯が一斉に消える。それでも真っ暗と言うわけにはならない昨今の下町だが、町が闇に包まれたという感じは十分にあった。その中で動き回る何かの気配を察したかと思うと、その感覚はあっという間に譲之介の周囲に拡散した。
「な、」
驚く譲之介の眼前には、無数の甲殻類、いや正確にいえば蟹が両手の鋏を動かしながら通りを埋め尽くしている光景が写った。一匹の大きさは一メートル少しとそれほでもないが、ここまで数が集めればもはや脅威になるといえるだろう。そのほぼ全てが譲之介を一様に睨み、様子を伺っている。それにしても何時の間にどこから、という疑問が沸き起こるが、即座に答えを浮かべることは出来なかった。
「こやつら、もしや先日蔵前に現れた巨蟹の仲間か」
譲之介は半月ほど前の青龍出現時に現れたモウリョウは、確か巨蟹であると麻里子が行っていたのを思い出す。その時は何ら手を打てずに取り逃がしてしまったとのことだったから、いま又ここにということなのかと考える。
何ら怖れる様子もなく、深夜にこれだけの数のモウリョウが出現したと言えばただ事ではない。しかも結界や異界が現れることなく現界のままであることがさらに事態をややこしくしている。普通の人がこの光景を見たらどうなることかと思うと気が気でないが、今ここでこの数のモウリョウと戦って撃退できるかと冷静に考えれば、ひとまず退くのが賢明と思えなくもない。
そんな譲之介の心境を察しているわけではないだろうが、巨蟹どもはこちらを今すぐ襲ってくるというよりも、我らここにありという感じで存在感を鼓舞するという雰囲気が多分にあった。
「だが、放置も出来ん」譲之介は何とかこの場から蟹どもを退ける手段はないかと考えるが、直ぐには浮かばない。麻里子なら猛進して滅多切りにしそうだが、生憎と譲之介の得物はそういう戦法とは無縁のものだった。
「ったく、てめえーら、人のシマでデカイ面してんじゃねーよ」
どこか聞き覚えのある叫び声が譲之介の耳に届き、同時に巨蟹の群れの中に割って入り当たり構わず蹴散らしていく大きな獣の姿が目に入った。
「アレは・・・」
譲之介はその獣が狐のモウリョウ、コタローであることに直ぐ気がついた。考えてみれば基本、月光館を根城にするコタローがこんなに多くのモウリョウが出現したことに気がつかないわけもなく、その上縄張り争いが至上みたいな当人の性格でもあるだけに、別のモウリョウが出てくればことごとく噛み付いていることも思い出す。
襲い掛かかるコタローは容赦なく身の丈1メートルは超えている蟹を蹴散らしていくが、何せ相手はかなりの数である。相当数の相手を倒しているのであろうが、そんなに減ったようには見えない。
「こ、こいつら・・・」
焦れだすコタローを尻目に蟹は鋏をバチンバチンと鳴らして迫ってきた。その数はもしかしたら最初より増えているのかもしれない。
「むう、これは一体どうなっているわけだ」
譲之介もこのどこか奇妙な状況に首を捻った。コタローがクナイで蟹どもを蹴散らしている以上、そこに奴らはいるのだろうが、後から後から沸いて出てくるというのはどういうことなのだ。いや、それともコタローが蟹の術中には嵌り、踊らされているということなのか。
「三八!」叫ぶ譲之介の左手に槍のように長い銃身を持つ小銃が現れる。ボルトを引いて初弾を薬室に送り込むと銃底を肩につけて構え、目ぼしい相手に狙いをつけ引き金を引く。
バスン、という軽めの音と共に打ち出された弾丸は狙った相手に命中し、モウリョウが四散する時の常であるように、光の束が花火のように広がって消えていく・・・のだが、譲之介はその手応えが何時もと違うと思えた。当たって砕けたというよりも、何となく拡散した、と言えば良いのだろうか。実体あるものを撃った気がしないのだ。なぜかと問われれば説明は難しいが、経験による勘といえばそういうことなのだろう。
「コタロー、こやつらは屑だぞ」
不意に答えが浮かび叫ぶ譲之介だが、頭に血が上っているコタローは気がつくこともなく暴れ回っている。
「仕方のない奴だな・・・」
譲之介は次弾を装填し蟹どもが群れるその先の闇に銃口を向ける。目を閉じ、己の覇力を集中させ群れの奥に、闇に潜む見えない相手を感じるべく意識を尖らせる。
「そこか」譲之介は自身の意識に触れる悪意ある意識と覇力を捕らえた瞬間、迷うことなく引き金を絞った。つかさず三発目を装填し同じ的を狙い銃弾を打ち込む。
ガキンガキンと硬い何かに命中した手ごたえを得た譲之介はさらに四発目も放った。
確実にに命中した手ごたえを得たと譲之介が思った時、「ウオオオオオー」とこの世の元は思えぬ叫び声が闇の奥から漏れ聞こえてきた。蟹が叫ぶのかどうかは知れないが、怒りと受けた銃弾の傷のためにその場でのたまわっている感じといえば正しいのであろうか。恐らくはそんな雰囲気に違いないのではと考える。
譲之介が目を凝らして見る闇の奥に光る目玉が二つ見え、うっすらと見える巨蟹の姿はゆうに十数メートルはあろうかというまさに怪物だった。
「まさに怪獣だな」
巨蟹はバチンバチンと鋏を鳴らすと譲之介をにらみつけてから向きを変え、その巨体からでは想像もつかない速度で行く手のあらゆる物を蹴散らしながら隅田川へ向かいザブンと川へ飛び込んだ。
同時に目の前を埋め尽くしていた蟹の群れが瞬時に消滅し、その場ではコタローがまだ消えた相手を追いかけながら飛び跳ねていた。
「このやろーこのやろー」叫びながらクナイを振り回すコタローは騙されているという感じは微塵もない。
「コタロー、敵はもう逃げたぞ、しっかりしろ」
「え、えええ?」譲之介の声に気がついたコタローは、今まさに自分がどうしていたのか気がついた。
「な、何だと、譲之介、お前何時からそこにいやがった。おい、あれだけうじゃうじゃいやがった蟹どもはどこへ行きやがったんだ!」
唸り声をあげて叫ぶコタローは頭に血が昇っているらしく落ち着きがない。
「しっかりしろ、お前が戦っていた相手はモウリョウが生んだ屑だ。あまりの多さに翻弄されていたんだぞ、お前」
「な、わけねーだろ、手ごたえあったぞ」
何を言っているという顔つきでコタローは譲之介をにらむ。
「実体を伴って出てくるのが屑だろ。姿形があってもみんな脆い。折神のようにな」
「うー」コタローは納得できないのか低い唸り声を上げる。ついでに言えば、自分より低位のモウリョウに騙されて跳ね回っていたことが悔しいのだろう。
電気が回復した一帯は、騒ぎに気がつき起き出してきた街の人々が徐々に集まってきた。遠くからはパトカー、救急車と思しきサイレンの音が譲之介の耳にも聞こえる。
「また先日のような大騒ぎになってしまいそうだな」
壊れた信号機や雑居ビルなどを見つめ、譲之介は否が応でも大事になってしまうことに不安を覚えたが、実際に被害が出てしまう以上は全て隠し通せるものでもない。だからといってモウリョウの存在を公にすることなどありえないし、信じてもらえる話でないことは、もう何百年の間を通して分かりきっていることでもあった。
「これは、まだまだ騒々しい事が起きそうだな」
そう言った譲之介は来た道を引き返し月光館へ戻ることにした。事態の仔細を直ぐにでも麻里子に伝える必要がありそうだと思ったからである。
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