第12話 龍牙咆哮

 翌日も日の出前起床から始まり、石段ダッシュとフィールドアスレチックにクロカンという内容は変わらず。午後の覇力と得物の実戦講座も同じだった。そしてまた夜は座学という名のお喋り会みたいな感じで閉めた。

「ちょっと夜なら一杯飲みながらでもいいでしょ」という麻里子の申し出を燐は無下に却下し続けているのが少々、変わった一部であったが二日目もそんな風にして終了した。

「明日、帰るのですか」

 夕食後、何気に志野は麻里子に尋ねた。

「ん?あと三カ月くらいは特訓だよ」

 すまし顔で麻里子は返す。

「え?三連休って明日で終わりですよね」聞いた志野は少し焦る。

「うん、普通に言うなら妙義総社の外はそうだけど、この中はやっぱり現界の時間軸とは別の、いや時間さえ存在しない場所なのよ。この場所一日の時間の流れはあるとしてもね。妙義総社の言わば独立した時間軸というか、そういう流れの中にある」

「え?そうなんですか」

 それは初耳だと志野は思った。キズキビトの時間が普通の人間とは違ったものになったという話を聞けば、そういうこともあるかも知れないと思いはするにせよ、また唐突だなと思わざるを得ない。そんなの一昨日にきかせてくればよかったのにと。

「そういうわけでここを出る時に現界との時差調整をすれば、連休最終日に合わせる事は可能なの。便利でしょ」

 麻里子はニカっと笑って志野をみた。

「べ、便利ってそれはその通りですけど・・・」

 あっけにとられた志野の背中に冷や汗が流れたのは言うまでもない。

「大丈夫、ちゃんと連休最終日には帰れるし、当然、志野の家の人には迷惑かからないようにするよ」麻里子は志野の心配事を察したかのようにそう言った。

「あ、はい」と志野は返事を返すが、何となく嫌な予感がした。

 この二日の特訓が当初、志野が想定した内容を遥かに越えるメニューであったにせよ、この調子で進めてこなせるかどうか自信が揺らいだのは間違いない。まだ二日だろうと言われればその通りではあるが、不安が募るのは歪めない。

「まあ、志野が色々考えちゃうのは分かるけど、心配しすぎるのは体に良くないよ」

 そんな麻里子流の気遣いは、性格なのかと志野は思うが、ついていくしかない以上、いわば諦めるしかないのかと納得する以外にない。


 そんな風に続く志野の特訓も総社の時間で早やひと月半が過ぎた。

「じゃ、神楽、志野の相手を」麻里子の合図に後ろに控えていた神楽が前に出る。

 午後に行う覇力の訓練で、志野は何時ものように野々宮神楽と相対した。巫女装束の神楽は青龍系のモウリョウ蛟龍と契るだけにその覇力は相当な物を持っている。本来の格で言えば同じ龍系といえど、最上位の青龍にかなうはずはないのだが、キズキビトの力に差がありすぎるだけに志野は神楽に連敗記録を更新中だった。

 まだ、勝てるわけがないというのが当然なのだが、志野としては何とかして一矢報いたいと思っていた。

「では、参りますよ志野さん」と言うが否や、神楽は疾風怒濤の勢いで志野に迫る。

「な、」

 構えも出来ていない志野は神楽の一撃をどうにか受け止める。もはや形も何もあったものではないが、一瞬でも気を抜けばあっという間に自分の得物を打ち払いのけられる。始めた頃は三分と持たなかったが、この頃は志野にも若干、神楽の動きを見ることが出来るようになっていた。

「今日は手加減無しで行きますよ、志野さん」

 一度間合いを持った神楽が自分の薙刀を上段に構え、己の覇力を集中した。空気を震撼させる程の覇力のうねりと響きが志野にもひしひしと伝わってくる。神楽の背後に召還されたモウリョウ蛟龍が姿を現すと神楽と共に覇力を集中させていくのがわかった。

 志野も青龍を呼び覇力をと思うが今回は思い止まった。慌てて青龍の力に頼ろうとすることで失敗したのではないかと考えたのだ。

 志野は自身の得物「錫華御前」を防御の構えに直し、自分の持つ覇力だけを得物に集中させる。神楽を見れば、今まさに己と蛟龍の覇力を溜め込み志野に向けて放とうという瞬間だった。

「龍牙咆哮!」と叫ぶ神楽の声と共に振り下ろされた彼女の得物、常陸御前の刀身から目も眩む閃光と共に光の束が志野に向かって放たれる。ここ数日、神楽がとどめに使う大技だった。

「く、」頭で考えるより先に、体が動いていた。

 志野は集中させた己の覇力でそれを受け止めるべく、錫華御前の刃先をくるりと回し円を描く。

「青龍蒼牙!力を貸して」と叫ぶ志野の声と、神楽の放った一撃が彼女に衝突するのはほぼ同時だった。

 ドーンという轟音とともに地響きが周囲を揺らし、これまでとは違う力のぶつかり合いが起きたことを教えてくれた。

「ちょ、ちょっとやりすぎじゃないの神楽ってば」

麻里子が心配するのも無理はないほど、それは激しい力の衝突だった。

「し、志野さん」と叫ぶ燐は、神楽は無事に済むかもしれないが、修行中の志野はどうなるやらと思うと気が気でない。

 次第に収まる光の渦の中には、背後に青龍を従えた無傷の志野の姿があった。志野の無事を見届けると青龍は姿を消す。

「志野さん、今のはお見事ですね」

 神楽は何ら表情を変えぬままで言った。

「え、あ、どうも、あはは、何とかなりましたね…」

 褒められているのだろうが、どうも志野には実感がわかない。神楽が無表情過ぎるということもあろうが、とっさに取った行動が図に当たっただけだと言えなくもない。

「やれやれ、神楽が思いっきり行こうとするから、心配するじゃないか」

 多少の文句もこめて麻里子は言った。

「志野さんはだんだんと力をつけています。下手に加減した手合いよりも、実力をぶつけ合うほうが早く上達すると思いました」と神楽は麻里子に言った。

「だけども今の一撃、防げなかったら大事よ」と燐も少々厭味を込める。

「大丈夫です、燐さんも今の志野さんと向き合えば、その力の付き具合に驚かれると思います」

 返す神楽は何ら悪びれる様子もなく自分の意見を述べた。

「あ、あの私大丈夫ですから・・・」

 志野は三人を見回してそう言った。確かに防げたから結果オーライなのだが、失敗すれば相応にダメージがあったと思えば少々身震いもする。しかし、まぐれであっても神楽の一撃を何とか防いだのは、志野にとっても少しは自信になると思った。

「まあ、状況を見極めながら己の覇力を高め集中させ、モウリョウのサポートを受けるタイミングを的確に判断して行動すれば、大体において対応が出来る。そんなところかしら」

 麻里子はまるで教科書を読んでいるような口ぶりだった。

「言葉じゃ簡単なんですけどね・・・」燐は苦笑して言った。

「さてとじゃあ、志野さえ頑張れるなら次は燐と・・・」と麻里子が言おうとした時、彼女は頭の上に飛んできた折神の雀に気がつく。その形から雀が譲之介のものであるとわかる。手のひらを返した麻里子の右手に収まった雀はボンと弾け元の短冊に戻る。

「おやおやどうしたのかな・・・」

 麻里子は短冊に書かれた譲之介からの伝言文を読み進めるうちに、自分でも表情が険しくなっていくのを自覚した。

「どうしたのですか、麻里子さん」察した燐が声をかける。

「ちょっと東京で気になる出来事が頻発しているらしい。譲之介一人じゃ、支えきれなくなる事態が発生するかもしれない」

「我邪がまた、何か」

 燐としては前回の事件から日も浅いことを考えれば、連中がまた動いたと思えなくもない。

「その可能性は大きいかもしれないわね。あっさり引き上げたことの裏にはこんなことが。何て考えても不思議じゃない」

 志野は二人の会話を聞いているしかなかったが、我邪と聞けば心がざわつくのを抑えられない。

「うーん、どうしようか」麻里子は燐を見て、神楽を見て、最後に志野を見た。

「譲之介さんがわざわざ知らせてくるほどですし、ちょっと心配です」

 燐としては何か事が起きる前に帰るべき、という意見だった。

「ま、そうだね。ここで特訓だっていうのはわかっている筈なのに、わざわざ知らせをよこすというならね」

 言うまでもなく、麻里子としても東京に戻るという選択が一番だと思うが、もう少し志野の特訓をしたいという気持ちもあった。始めてからまもなくひと月半だが、何となく微妙な変化が志野におき始めていることを感じていたのだ。その芽がどうなるのか多少の方向性も見えぬままここを去るのはかなりの心残りが自分にあったのである。

「私なら大丈夫ですけど・・・」

 どうしてかわからないが、志野は自然とそんな言葉が口をついて出てきた。十分に特訓をこなしたと言うつもりはないが、今の志野には特訓を始めた頃とは、どこか違う気持ちが心に満ちていた。

 麻里子は志野をじっと見て今一度考えてみる。

「わかった、大事が起きる前に東京へ戻ろう。特訓はまた日を改めてやればいい」

 麻里子はそう言い三人を見た。頷く燐、志野。

 志野には譲之介がどういう大事を麻里子に告げたのかわからないが、助けが必要ということに間違いはないのだろう。

「神楽、わるいけど榊宮司にこの事を伝えてくれる。総門で時間調節して外に出るわ」

「直ぐに立たれますか、麻里子さん」と神楽。

「そうね宿泊所に戻って、仕度を終えたら行きましょうか。戻るなら一刻でも早い方が良いし」と言った麻里子は燐と志野に振り向いて「じゃ、戻るわよ」と告げた。

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