第7話 朽木相馬
ほぼ同時刻、月光館。
「お、これは・・・」
麻里子はそれまでこの界隈で張り詰めていた覇力がプツンと切れるのを感じた。だらりとした脱力感にも似た雰囲気がその辺りを漂い始め、結界が展開されるより以前に流れていた覇力が元通りに広がり始めている。
「相馬、残念だけどあんたの目論見は失敗したようね」
十分に厭味をこめて麻里子は言った。
朽木相馬はほんの一瞬だけ表情を曇らせたが、直ぐに元の無表情を装った。
「八咫烏がいたようだな」と相馬は別の話しを持ち出した。
開かれた月光館の窓の外から見える隣りの家の軒先に黒い大きな鳥の姿があった。麻里子がにらむと、これ見よがしに羽ばたきその場から飛び去っていく。
「無関係を装いながら、洛中の御伽衆もちゃっかり見物なわけ」
それに関しては麻里子も苛立ちを隠さない。
「九尾姫とて口では何を言おうとも、無視出来はしまい」
「ふん、相変わらず何様のつもり。小生意気で口だけは達者、でも保身しか出来ない小心者のくせに。自分さえよければ、あとはどうでも、でしょ。あの自称お姫様は」
麻里子の罵倒ぶりは、もはや冗談のレベルを越えていた。
二条瞳子が蔵前総合高校周辺に作り出した結界が崩壊した時、月光館にいた三人にもすぐに知覚出来た。それまではどす黒い覇力が結界の中で満ちて行き、このまま結界の中に捕らわれたすべてが異界へ飲まれてしまうのではと思われた。が、それも崩壊と共にきれいさっぱりと消え去った。
「さあ、どうするつもり。東京の半分ぶち壊しても構わない私と一戦交えるつもりなら相手になるわ」
だめ押しのつもりで麻里子は言ったが、相馬は黙ったままだった。その鉄面皮の下では何を考えているのか想像もつかない。
立ち上がった相馬は上着の内ポケットから長財布を抜き取ると、千円札を二枚引き抜きカウンターの上に置く。
「何のつもり」と言う麻里子は警戒心を解かない。
「コーヒー代だ。今日のところは引くとしよう。麻里姫、お前の言う通り上手くはいかなかったらしいな」
負けを認めたということではないだろうが、あっさりと事の成り行きを認める相馬は気味が悪いと麻里子は思う。
「当たり前でしょう。そう簡単にあんたの思い通りに事は進まないのよ」
「機会はまたある。その時が来たら抜かりはない」
答える相馬には今日のことでもう未練はないようだった。
「二度目はないわ、次はこちらも下手は打たない」
「それは頼もしいな、まあ今日は見目麗しい麻里姫のご尊顔を拝見できただけでも良かったとしよう。それとそのみの美味いコーヒーもな」
相馬はそこだけニヤリと笑うと踵を返し月光館を出て行った。
扉がばたんと閉まる音がしたあとで、麻里子はつかさず朱色の短冊を上着の懐からとりだすと、ぐしゃりと丸める。
「折神、茜蝶」と叫ぶとぐしゃぐしゃに丸められた短冊が蝶の姿になって麻里子の目の前に浮かんだ。
「朽木相馬を追って、このまま東京を離れるまで見張りなさい」
ふわふわと所在なさげに浮かぶ紙の蝶は、麻里子の言いつけを聞くと向きを変え、月光館の窓をすり抜けて飛び立っていった。
「それにしても解せないわね」
朽木相馬が大人しく引き下がって行った後で、麻里子はまずそうつぶやいた。
四凶死獣が二人も出てきたにも関わらず、目的を達成したとは思えない状況で帰ったとなれば、何のために江戸いや、東京までわざわざ騒ぎを起こしに来たのか。考えてみても今は思い当たる節がない。
ここへ積極的に乗り込んでとなれば、それなりの準備はしていたはずである。ここ数カ月来、何かとモウリョウが跳梁跋扈していたのは、それと無関係ではないと今更ながら思えるわけで、なのにこうもあっさりと引き上げてはまさにただ暴れにきただけというのか。
「青龍の復活を知って、やってきたのよね」というそのみの指摘は間違ってない。
ならばやはり、その背後には青龍が絡んでいると考えるのが妥当なのだろう。だが、しかし。
「四神が三体揃ったところで、四凶には何も得るものはないだろうに」
「四凶は今、二体しかいないのですよね。朽木相馬のカオスと二条瞳子のキュウキ」
そのみは自分で確認するようにそう話す。
「そうね。風賀雷蔵のトウテツは六百年前に主ともども百蛇鬼の力で石になって封印された。まあ、あれは半分事故みたいなもんではあったけど」
麻里子の顔が曇った。何か見落としていることはないだろうかと巡らしてみるが思い出せない。
「藤原千方のトウゴツは白虎と相打ちだったのでしょ」
そのみが聞いた話ではそういうことになっているはずだった。
「まあねぇ。どちらにせよ四凶が復活しようものなら、異界にとんでもない嵐を巻き起こすことは確実だろうから隠し通せることなんて不可能だろうに」
それほどまでに異界の覇力に対して大きな力を持つ四神瑞獣と四凶死獣は四匹ずつそろってこその存在で、正義と悪、光と影、動と静に調和をもたらす関係でありうるのだが、それだけに両者がぶつかるということは計り知れない混乱や災い、破壊を招くものとして現界の解釈では忌み嫌われている。しかし人と契りを得たことで邪心が頭を持ち上げ、本気で世界を潰しかねない事態に陥りかけたこともその昔にあったことではあるのだが。
「しかしそれでは本当に現界は滅んでしまいそうだ。いや、まって、まさか本当に滅びればいいと思って・・・」
「そ、そんな。そうしたら何もかも意味をなくしてしまいます」
麻里子のつぶやきにそのみは反射的に答える。そんなことをして何になる、と。
「おそのさんの言うとおりだけど、我邪の考えることは常識をを逸脱しているもの。連中がこの世に終わりをつけたいと望んだなら、あるいわね」
麻里子は自分でも何を言いたいのかわからなくなった。
突然の四凶死獣の動きに目的があるのは当然だ。単に青龍の覇力を狙っているというレベルでは済まされない話がこの裏にはある。漠然とした思いはあっても確証がない以上、その向こうにあるはずの事実を伺い知ることは出来ない。苛立ちだけが募るが、他に何も知り得ていなければわかるはずもなかった。
「ちょっと歯痒いわね」
麻里子の口調は穏やかでも、言葉の端々には怒りが満ちていた。
同日夕刻、東京駅新幹線ホーム。
グリーン車の中ほどに位置する窓際のシートに座り、肘をついた手に顔を乗せたツインテールの美少女が、不機嫌な顔を崩すことなく隣のホームを眺めていた。発車時刻が迫り、乗り込む乗客たちの動きでグリーン車といえど忙しい。
その横に長身の優男、それにしては妙な凄みがあり、周りの雰囲気を瞬時に変えてしまうほどの威圧感を持つ男が、いくつかの手荷物をもったまま腰を下ろした。同時に発車ベルがホームと車内に響き、扉の閉まる音と少々の振動の後、新幹線は静かに東京駅を滑り出していく。
「機嫌が悪そうだな、瞳子」
と言った男は前の席に組み込まれたテーブルを下げ、持っていた荷物を乗せる。
「うさぎやのどらやきは美味いぞ」
相馬は折り箱をひとつ、瞳子のテーブルに置いた。それからつかず離れず付きまとってきた折紙の蝶を一瞥し、瞬時に燃やす。
「よくも人を噛ませ犬に使うたな、相馬。お陰でうちはこれ以上ない屈辱や。どないしてくれる」
瞳子は言葉を荒げ、横目で相馬をにらんだ。怒り心頭という雰囲気はよくわかる。
「ふむ、まあそう怒るな。別にお前が月光館へ行ってもよかったのだぞ。ただしその場合、間違いなくあの近辺は消滅する結果になっていただろうがな」
若干の苦笑を浮かべつつ相馬は答えた。
「ふん、どうせ、いずれは全部消してしまうのやろ。だったら同じや」
瞳子の怒りは大きくなるばかりである。
「その通りかも知れんが、まだ早かろう。それよりも青龍はどうだった」
そここそ本題であると言わんばかり相馬は切り込む。
「たしかにアレは間違いようもなく青龍や。あの覇力には疑いようもない」
答えた瞳子もそこは確証が持てる、という感じである。
「ただ、どうして綾川志野という小娘の覇力を青龍が選び、契ろうとしたのか」
「知らんわ、青龍がロリコンとちゃうのか。ま、うちの結界ん中でああも使える覇力を見せつけられたら、そういうことなんか。とも考えてしまうかも知れんわ」
表面上の怒りとは裏腹に、意外にも瞳子は冷静に分析をしていた。
「一千年に一度のあるかないかの逸材、か」
「何やそれ、」
意味深な言葉に瞳子は顔を相馬に向けた。
「巡りし者。出会うべくして運命づけられていた真のキズキビト、とでも。朱雀と麻里姫はその最たる例だがな」
「はあ?だったらうちらはどうなんや。四凶としての巡りし者というんか、相馬」
「どうかな。それを知っているのは死獣どもの方だろうな」
回りくどい言い方で相馬は半ばはぐらかす。
「それにしても麒麟の小娘といい、子狐といい、めっちゃ腹立つことばっかりや。相馬、この落とし前、ウチがつけるで」
嫌とは言わせない、そんな感じで瞳子は迫る。
「それは構わんさ。そのための仕掛けは色々としてきたのだろう」
そういうことに関しては、特に相馬は興味がないようである。
「置き土産なら、ぎょうさん用意してやったで。楽しみやわ」
笑う瞳子は心底嬉しそうだった。
二人を乗せた新幹線は多摩川を渡った。
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