第6話 契り

 志野の耳に「バーン」と何かが空で弾ける音が聞こえた瞬間、学校の上空の一部に亀裂が入り白い靄が噴出して空に広がって行くのを彼女は見た。それはモウリョウが出現するときに見られる現象と同じで、異界が現界に侵食されていく状態を指していると麻里子のくれたノートにあった。

「わ、私はあのお守りをつけているのに、どうして」

 志野は首からかけていたお守りを取り出す。するとそれ自体が次第に熱を帯び、手で触れているのが耐えられなくなるほど熱くなっているのがわかった。

 何気に隅田川の方へ目をやった志野は、先ほど見つけた上空に浮かぶ『それ』が次第に近づいてくるのに気がついた。

「人が・・・」

 どんな常識をひっくり返せば、人が空に浮かぶというのだろうと志野がぼんやり思った時、手にしていたお守りが突如、火を噴く。

「あ、熱っつい!」思わず落としてしまったお守りは不気味な青い炎を上げて燃え尽きる。

「も、燃えちゃった。どうしよう」

 うろたえる志野だが、もはやどうなるわけでもない。次の瞬間、志野の目にはこの世のものとは思えない不気味な生き物たちの姿が次々と写る。

「な、奈美先輩」振り返って叫ぶ志野の目に、百足の姿をした身の丈二メートルはある蟲が三匹、奈美に喰らいついている光景が飛び込んできた。

「わ、わあああああ!」とてもまともな精神で見ることなど出来るわけもなく、志野は悲鳴を上げた。それに呼応するかのようにしてどこからともなく百足が次々と降ってくる。

 恐ろしい光景を前に身動きの取れない志野は立ちすくむしかない。百足は素早く動き回り、まさに飛び掛ろうとした時だった。

 突如、百足の動きをさらに上回る素早い身のこなしで現れた大きな獣が志野との間に割って入ると、一瞬にして数匹を切り刻み、さらに奈美に取り付いていた三匹も打ち倒す。ばたばたと倒れる百足どもは、次々とその肢体を崩し光となって消滅していく。

「おい志野、気をつけろ。そこいら中、全部敵だっていうの」

 その獣は首を回して険しい視線を志野に送る。口にナイフのような得物「クナイ」を咥え、全身を覆う金色の体毛が光り、立ち上がった耳と鋭い目つきは常に周囲を警戒し、太い尾もまた忙しく左右に揺れている。

「こ、コタロー?」とようやく志野はこの獣が誰なのかを思い出した。麻里子たちに味方する狐のモウリョウ、コタローである。

「コタローさまと言えよ、俺の方が大々先輩だろうが」

 機嫌の悪そうな声でコタローは志野に叫ぶ。

「どうして、私を助けてくれたのね」

「たく、もう、千年ババア、いや麻里子がさ、お前のこと常時見張ってろって、そりゃ、うっせーくらいほざきやがったからさ、たまたまだっつーの」

 首をぶるんと回し、コタローは答えた。

「あ、ありがとう、助かったわ。お守りが燃えてそれで」

「礼も話も後でだ。速攻で月光館まで逃げるぞ。ここは今、とんでもない状況になろうとしている」

 話しながら視線を左右に送り、コタローは周囲の警戒を怠らない。

「あ、うん。でも学校が・・・」

「志野、今は人の心配よりも自分のことを考えな。それにここがこうなった原因の一端はお前にもある。ここいらはなあ、現界の中で意図的に異界と同じ環境を具現化できる結界に取り込まれちまったんだよ、お陰でキズキビトじゃなくてもモウリョウが見える」

 コタローがそういった時、新手が空から振ってきた。

「たく、しつこいな。おい志野、走るぞついて来い」

 叫んだコタローは校舎の中に入る階段へ走り出す。続く志野は屋上に倒れた奈美を振り向きざまに一瞥してからコタローの後を追った。

 突如として降りかかってきた災厄に校内は騒然とした状況になっていた。耳をふさいでいても誰かの悲鳴が絶えることなくあちらこちらから聞こえる。

 どこからともなくわき出てきた百足の大群は次々と生徒を襲い、そこかしこが凄惨な殺戮の現場と化していた。百足に襲われても覇力だけを喰われたような生徒は、一度倒れた後しばらくして立ち上がり、自らが凶暴な怪物と化して他の生徒を襲い始める。

「いったい、どうして・・・」

「モウリョウに覇力を喰われた人間はな、死んで餓鬼に成り果てるんだよ。するとな餓鬼はモウリョウじゃないから覇力を喰らうためじゃなくて他の人間を襲うのさ。たった一つ残った飢餓感という本能を満たすためだけにな」

 コタローの解説を聞き流しながら、志野は無言のままコタローに続く。こんな状況が校内の他でも起きているのだろうか。百合子は、先生たちはどうしているのだろう。逃げ出すことが出来たのだろうか。泣き崩れたい心境に堪えながら志野は階段を降り続け、一階の生徒昇降口までやってくる。

「待って」志野は律儀に自分の下駄箱でローファーに履き替え、玄関で立ち止まっているコタローに続いて外に出る。外廊下を進み校庭に出たところでコタローの足が止まった。

 首を少し持ち上げて空をにらむコタローに倣い、志野もそちらに目を向ける。そこには前髪を切りそろえ、ツインテールに結んだ長い髪を風に揺らしている制服少女の姿があった。

 隅田川の上空に浮かんでいたあの人らしきものの正体はこの少女だったのか、と志野は思う。その凍りつくような視線は人のものとは思えぬ凄みがあふれていた。

「あん、ここにおったんか。とうの昔に百足どもに喰われてしもうたと思うたのにな」

 人を見下した冷たい表情で二条瞳子はつぶやいた。

「そっちの嬢ちゃんが青龍が惚れた娘か。ふん、まあ確かに色気たっぷりな覇力の持ち主やねぇ。あの龍が惚れるんも分からなくないか」

 志野を見下ろし、フフンと笑う少女は相当に余裕があるとみえる。

「貴様、我邪四凶死獣か。この結界はお前が作ったんだな」

 敵意をむき出しにしてコタローは叫んだ。

「はあん?たかが狐のモウリョウごときが、随分と大きな口を利きよるわ。お前、何様のつもりや」

 いかにも相手を小馬鹿にした瞳子の態度は変わらない。

「やまかしいわ人間。おめーらこそモウリョウの力を好き勝手に操りやがって虫唾が走るぜ。てめえらの道具じゃねーんだよ、モウリョウはな」

 威嚇するコタローの声は怒りに満ちていた。そんなことを考えるモウリョウもいるのか、と志野は思う。

「ほんに賢しいのう。まあ、ええわ。お前共々喰いつくしてやるだけのことだわ」

 すっと右手を差し上げた瞳子に呼応するかのように、空から百足が降って来る。ドーンという激しい音と共に着地して姿を現した三匹は、先ほどの奴よりもはるかに大きい肢体をもち、上半身を持ち上げコタローと志野を威嚇した。

「ここまで追い込まれても青龍が姿を見せんちゅうことは、嬢ちゃんも案外、もう見放されているんかも知れへんなあ。もっともうちが作った結界の中には、青龍といえどもそう簡単に入り込むことなど出来るわけあらへんがな」

 嬉しそうな表情で話す瞳子だが、目は笑ってはいない。あくまでも本気でコタローと志野を潰すという意志は、これ以上ないほど十分に感じることが二人にも出来た。

「志野、もう観念するんだな。青龍が現れても現れなくても、お前は今日ここで運命が決まるってこった」

「わ、私の運命…」

 コタローの言うことが何を意味するのかは、志野にも分かるようで分からない。

「往生しいや、子狐に嬢ちゃん」

 ニカっと笑った瞳子に反応して、化物百足が二人を襲う。ほぼ同時に地面を蹴ったコタローは、口に咥えた得物を振るい、そのうちの一匹に襲いかかる。瞬時に切り刻むコタローだが、もう一匹が背後からコタローを襲う。その一撃はかわすが、体勢を崩してしまいどうにか着地するのが精いっぱいだった。

「やべえ、志野」

 振り返ったコタローが叫ぶのと、百足が志野におそいかかるのはほぼ同時だった。しかし、まさに志野に喰いつこうとした百足は、突然その場で全身が硬直してしまったように動きを止めていた。

「や、槍が体に突き刺さっている」

 恐怖を押し殺してつぶやいた志野の前で、百足の体が崩壊し光になって消えていく。残ったのは地面に突き刺さった槍の得物だった。

「何や、何が起きたんか」

 舌打ちする瞳子が振り返り校庭の端をにらむ。志野も彼女が見ている方向に視線を投げた。

「あ、あれ、燐さん・・・」と言う志野の声にコタローもそちらに首を向ける。

「おっと、燐の奴、間に合っていたってことかよ。だったらもっと早く来やがれよ」

 文句もたっぷりの感情を込めてコタローがつぶやいた。

「ごめん、どうにか間に合ったようね」

 阪上燐が蔵前総合高校までやってきた時、すでに瞳子の作った結界は完成寸前だったが、彼女のモウリョウ麒麟彩麒(キリンサイキ)が機転を利かし、その韋駄天ぶりのお陰で素早く潜り込むことが出来たのである。

「相変わらず人をいじって、いびり倒す性格は変わってないようね、我邪の二条瞳子」

 東都女学院のセーラー服姿の燐は、蔵前高校の校庭の空に浮かんだままの瞳子を見上げて叫んだ。その視線は普段の彼女とはまるで違う、人を刺し殺せるのではと思えるほど鋭く冷たい。

「ああ、誰かと思えば、麒麟の嬢ちゃんか。あんた、昔っからうちの邪魔ばかりしおる。ほんまに腹立たしいたらあらへんわ」

 校庭に下りてきた瞳子は、燐に相対しこれ以上ないと思えるほどの罵声を浴びせる。

「あんたのそういう性格が心底気に入らないだけよ。瞳子」

 と燐も負けてはいない。

「フフン、小賢しいわ麒麟ふぜいが。わがキュウキの相手になると思うんか」

「たとえ四凶死獣といえど、そのキズキビトが不甲斐ないなら恐れるに足りないわ。昔を忘れたの?」

 燐は左手に自らの得物、隼風鋒という金色の槍を戻し、瞳子に対する。

「ああん?何やて。そんな減らず口、二度ときけんようにしたるわ」と叫んだ瞳子は残った化物百足を燐にけしかける。

 突進してくる百足を寸前でかわした燐は、隼風鋒を百足の頭部に突き刺す。あっさりと急所に一撃を喰らいのた打ち回る百足は体勢を崩して倒れ込み、光の粒となって果てていく。自信たっぷりに振り返って微笑する燐に瞳子はキレる。

「お前!」

 怒りを露にした瞳子は、右手に何かを掴むような仕草をすると同時に校庭を蹴る。瞬時にその手には大振りの刀が現れ、燐に向けて振り下ろされる。槍でそれを受け流した燐は後退して瞳子と距離をとった。

 同時に瞳子の背後に四凶死獣、キュウキが姿を現し燐を威嚇した。赤い虎に似た巨躯に翼を持ち、開いた口から見える牙は長く鋭い。轟く雄叫びはそれだけですべてのモウリョウたちを萎縮させるに十分な迫力があった。

「ちっ、四凶さまのおいでとなると、燐もやばいぜ。志野、お前ここを動くなよ」

 叫んだコタローは駆け出すと、燐の直ぐ近くに陣取る。

「燐、奴が本気出してくるなら、こっちも相応の覚悟で行かないとな」

 キュウキを睨むコタローが叫ぶ。

「そうねコタロー。悪いけど力を貸してくれる」と言って燐は微笑んだ。

「まあ、仕方がねえ。ババアが来るまで持たせないとな」

 ニヤリとコタローも笑う。

 怒る瞳子を前に燐とコタローは少しだけ体が震えているのを必死に隠していた。

「まったくもって、どないしたろうかお前ら。前座はしまいや、もう容赦せん」

 得物を構えた瞳子が、その刀身を振るう。刀全体から打ち出された光の束が燐とコタローを襲いかかる。必死になって二人は堪えるがその威力は凄まじく、後退しながら受け流すだけで精いっぱいだった。

「何て力なの…」と燐。コタローに至っては声も出ない。

「ははん、よお耐えたのう。流石は麒麟、将位のモウリョウや。それに比べて子狐ふぜいはせいぜい佐位か?吹き飛ばされへんかっただけでも褒めたるわ」

 瞳子はクククと笑い、二人を見下す。

「どんなん頑張っても所詮は位が違うわ。帥位のモウリョウの力を思い知るがええ」

 今一度、瞳子は刀を構え、燐とコタローに狙いを定める。次で全て終わりにする。そんな瞳子の覇力が十分に満ち、凄まじいまでの殺気が背後のキュウキの覇力と重なり膨れ上がっていった。

 そんな光景を側から見ていた志野は、正直圧倒されっぱなしだった。モウリョウと契って戦うとはこういうことなのか。自分にもこれをやれと言う事なのか。そんな自信は毛頭なく、簡単に出来るなどと答えられるはずもない。

 形はどうあれこれは命を賭けたやり取りであることに違いはない。生半可な気持ちで手を出していいものではないだろう。志野にもそのくらいは理解できる。

 しかし成り行き上とはいえ、知り合ったばかりの阪上燐という少女とモウリョウのコタローが、事情をさして知るわけでもない自分を守り、傍若無人な振る舞いを平然と行う輩とは、毅然とした態度で戦うという信念を迷うことなく示すのであるならば、いくら運命として背負ったが故と理屈づけても、自己犠牲に等しい行為だと思うしかない。

 志野はそんな彼女と彼の行いを見せつけられて何も思わないのなら、自分は心底利己的で身勝手な人間でしかないと思った。では、どうすればいいのか。

  目を閉じ頭を垂れて考えを巡らす。だが、もう答えは分かりきっていることだった。

 麻里子の言うキズキビトとして、こういう輩を相手に命を賭ける。無謀と分かっていても、今の自分に出来る事がそれしかないのならば、やらねばならないと志野は改めて考える。怖いと逃げ出すのは簡単だろうが、それでは何も解決しない。

 たとえ後悔する結果に終わることになっても、見過ごす事での罪の意識をずっと持つよりは遥かに救われると志野は思った。心が震え、全身が震えた。それでいいのかと何度も思いが逡巡するが、覚悟を決めるのは今ここだと踏ん張ることが必要なのだ。

 両手の拳に力を込め、志野は空を見上げる。天を包む白い靄がこの世界を異界の中に取り込んでいる。決意を固め一つ大きく深呼吸をした。

「青龍、そこで見ているのでしょう。お前が私の覇力を望むというのなら、私のために私が望む力を貸して」

 あらん限りの大声で志野は叫ぶ。そうすることでしか志野には燐やコタローの力にはなれないと思う。浅はかであると言うなら笑えばいい。

「し、志野さん、あなた…」

 予想外の展開に燐も驚く。よもやここで志野が青龍を呼び出そうとすることなど思いもよらなかった。「それで本当にいいの」という言葉が彼女の胸に繰り返し響く。

 コタローも目を丸めて驚いた様子を隠せない。

 時を措かず地鳴りのような音がどこからともなく聞こえ、瞳子が作り出した結界を揺らしていた。外からここへ入り込むべく、結界を破壊しようと何か強い力が作用している。そんな雰囲気を思わせた。

「な、何や何が起ころうとしてるんや」

 流石に瞳子も事の異変に気が焦る。絶対的固有結界を外から何かの形で破壊して侵入しようなど、例外はあるにせよ普通では不可能に近いからだ。しかし現実がそうであることを示そうとしている。

 雷鳴に似た轟音が空に響いた。稲光こそ無いものそれに近い閃光が空の上から降ってくる。

「こ、この覇力は、まさか・・・」

 瞳子が叫んで結界の真上を見上げた時。空の一部に亀裂が入り、まるでガラスが砕けるような音が響いたかと思うと、結界の一部が砕けて飛散し、正に龍と呼ぶに相応しい巨大な生物が姿を現した。その頭部には二対の角、鋭い牙と手足の爪。蒼く光る肢体はその名に恥じぬ輝きを見せている。その目がギロリと瞳子をにらみつけ。それから志野に視線を移す。

「あは青龍、だと?いうんか??」

 瞳子にとってもここで青龍の出現は少しばかり想定外だった。いかに志野が見初められているとはいえ、モウリョウが契ってもいない人間のために率先して力を貸すなどありえない事だからと思っていたからである。それにここは四凶死獣が造り出した絶対的固有結界である。にもかかわらずあの娘の叫び声だけで青龍が姿を現すとは、よほどその覇力に魅入ったのか。それとも他に理由があるのか。青龍が放つ後光のような光が瞳子の視界を遮る。

「な、なんや、この目が眩んでしまうそうな輝きは・・・」

 青龍によって無理やりに突き崩された瞳子の絶対的固有結界は、その穴から徐々に亀裂が入り崩壊を始めていた。

 多少の期待は持っていたにせよ、まさか本当に青龍が姿を現すとは、当の志野であっても意外だった。今その青龍が自分の頭上で円を描きこちらの様子を伺っている。

 この先にすべきことは・・・と考えて、志野は麻里子からもらったあのノートに書かれていたことを思い出そうとしていた。

 モウリョウと契り、その力を己のモノとする。モウリョウはその証に得物を渡すことで形上の契約が完了する。そんなことだったろうか。志野は何とか思い出してみようと思うのだが、現実となって青龍が自分の上にいるとなればまず、仰天してしまい手順のことなど綺麗さっぱり頭から吹き飛んでいた。

「大体、読んだといっても走り読みみたいなものだしなあ」と志野は今更後悔しても遅いのだが、状況を考えれば愚痴にもなろうと言うものだ。

「志野さん青龍を呼んで、契りを立てて」

 叫ぶ燐の声に志野は我に帰る。そう、呼び出したはいいがこのまま放置すれば、青龍が逆ギレして襲いかかってくるかも知れないのだ。用もないのに呼ぶなとでも言うところだろうか。

 もう一度空を仰ぎ、志野は青龍の姿を見る。ぐずぐずしていたら、燐が二条瞳子と呼んだ少女が何をしでかすか分からない。

 志野は大きく深呼吸をした。

「我は望む。我を主とし我に従え。然る後、その力、我がために振るいて大いなる覇力をこの世に示し、共に天下覇道を歩まん」

 と志野は叫び、確かそんな口上だったはず、と記憶を探る。

 ほんの数秒が過ぎた後、上空の青龍は雄叫びで周囲の空気を震わせると志野を目がけて降下してきた。そのまま志野の周りを囲むようにしてぐるりと回ると、正面から相対する。

「我、汝に問う、汝は青龍也や」

 ここまで来れば、もはや志野は引き下がれなかった。全身に力を込め青龍を凝視する。

 一直線に志野をにらむ青龍の視線は何を考えているのか分かりかねた。

「然リ、我ガ字ハ青龍、名ハ蒼牙也。汝ノ大イナル覇力ヲ得テ、天下ニ覇道ヲ示サント欲ス。故ニ我、汝ノ覇力ヲ望ム」

青龍は人語で志野にそう言った。どんな風に答えてくるのか想像出来なかっただけに少し意外ではあるが。

「ならば我を主とし我に従え。その力、唯一我のために示して天下に覇道を問うべく、我と共に進むことをここに誓え」

 志野は声の限り叫ぶ。こうなることで自分がこの先どうなるのか、今は想像もつかなかったが、自分に出来ることをするしかないという、その気持ちだけが駆り立てたことは間違いない。何時でも後悔など後からするものだ。

「承知シタ。コノ契りノ証ニ我の得物を手ニセヨ。汝ガ我ガ力ヲ望ム時、必ズヤソノ手ニアルト心得ヨ」と青龍が叫ぶのと、志野が無意識に利き手の左手を開いて伸ばしたのはほぼ同時だった。手のひらに少し重さを感じた瞬間。光の束が志野の左の手のひらから噴出すようにして何かの形を形成していく。

「これって・・・」と驚く志野は自分の左手を凝視していた。光の束はやがて上下に伸び、棒状の形を生み出していく。

「我ガ得物、錫華御前ヲ託ス」

 青龍が叫んだ時、志野は左手に鋼色の薙刀をつかんでいた。

「錫華御前、これが。青龍蒼牙の覇力の結晶なわけ・・・」

 その重厚な見た目に反して御前は羽のように軽い。志野はそんなことを思っていた。

 目も眩む光の渦から視力を回復させた瞳子は、眼前に信じがたいものを見た。

「むう、何や、もう契ってしもうたのか。四神瑞獣、青龍の蒼牙、お前、出てくるタイミングが少し早すぎだわ」

 唇を咬む瞳子は目の前で青龍を背後に従え、その手に得物を手にした志野をにらみつけ唸った。

「何だろう、力が、何かが私の中に満ちてくる。体の奥底から際限なく力が沸いてくるような・・・」

 しっかりと握り締めた錫華御前の矛先には、志野自身の闘志がみなぎり、限りない覇力を感じることが出来た。それが自分にとって揺るぎない自信となる。

「お前、これ以上私の学校で暴れるなら、私だって戦ってみせる」

 無理というよりも無謀だと分かっていても、志野はそう叫ばずにはいられない。

「あはん?たった今、ここで契ったばかりのお前に何が出来る?そもそもキズキビトとモウリョウとの関係を理解しとるのかお前」

 志野の暴言に瞳子は呆れるしかない。いかに四神瑞獣といえ、たった今現界での主を定めたに過ぎない。予定とは違ってもここでやはり潰そうかと思案するもの、もはや瞳子が展開した絶対的固有結界も青龍のために完全崩壊寸前である。その後に待ち受ける面倒な出来事を考えると強行すべきか否か迷いどころだった。

「瞳子、ここは三対一であなたには圧倒的不利となるわよ。それでもあえて戦うというならば」

 燐は無事に志野が青龍と契り、その力を手にしたことを見て取ると、瞳子を押すのは今しかないと悟った。コタローもその横でクナイを咥えて姿勢を低く身構えている。

「ふん、お前らやる気は十分ということやな・・・」

 はったりでは瞳子こそ負けてはいない。売られた喧嘩は買うのが彼女の主義である。手にした得物を振り上げようと思いかけた時だった。

 突然にガラスが砕け散るような大きな音が周囲に響き、空が四散して飛び散るかのように崩れた。

「な!」と驚き空を見上げた瞳子は、自らが作り出した絶対的固有結界が散華していくのを見た。同時に異界と現界の狭間に作られた空間から全てが元に帰っていく。不気味な白い靄が晴れ、見慣れた街の色彩に戻る。

「が、学校が」と叫ぶ志野は変わり果てた母校の姿に驚く。

 壊れた校舎や穴だらけの校庭、モウリョウに倒れた生徒たち。生き残った化物百足たちがどこからともなく姿を現し集まってきた。そんな光景を目にすると、志野にはここで起きたことがすべて冗談のようにしか思えないが、すべては現実だった。

 やがて、騒ぎに気がついた周囲の人々が野次馬のように集まり出し、遠くからはパトカーや救急車と思しきサイレンが聞こえてきた。こんな状況をひと目見れば、誰かが通報したことは当然であろう。

「ちっ、たくもう。ええかんげんにしいや、ほんまに」

 舌打ちして周囲を睨む瞳子の表情は険しい。結界が破れたとあれば、このまま不特定多数の野次馬の前で戦い続けるのはあまり好ましくない。我邪は目的のために犠牲は問わないとしても、本来モウリョウの存在は知られて困るものに違いはないからである。残念ながら潮時だった。

「この勝負、預けといたるわ。言うとくが勘違いしたらあかんで、おまいら、運がええだけや」

 心底悔しそうな顔を見せた瞳子は、握った左手を前に突き出す。開いた手のひらから閃光が放たれ、燐、志野たちの視界を塞いだ。

「わ・・・」眩い光に二人は目を閉じたもの、それは数秒で収まり視界はすぐに元に戻る。

 そこに瞳子の姿もキュウキもなく、化物百足も全て消えていた。

「逃げたのかな」と志野はつぶやく。

「なら、いいけど、状況不利で退却した、というところかしらね。三対一で結界も壊れたから」と答えた燐は大きくため息をついた。

「コタローも青龍も姿を隠したようね」そう付け加え、周囲を見回す。まさにとんでもないことが起きてしまったというに相応しい。

 校舎から生徒や教師たちが次々とあふれ出し、校門前には駆けつけた救急車やパトカーが到着。学校の周囲の住人たちも右往左往しながら何をどうすべきなのか手をつけあぐねている、という感じだった。

「確かにこれから起きるごたごたのほうが、片付けるのに大変そうだわ」

 志野は複雑な表情を浮かべて晴れた空を見上げた。

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