第9話 爪剥がし

 テントの中にはランタンが灯され、ゆらゆらと怪しく影が揺れていた。あたり一帯の空気は濁っている。鼻を突く死臭は戦場特有のもので誰もが遠ざけたいと願うだろう。だがマレンは敢えてそこへ近付いた。それは以前の聖女だったマレンもそうだし、転生の器となってしまった今のマレンも同じである。皮肉なことにふたつの人格は全くベクトルの異なる目的のため東部戦線を目指したわけだ。


「さて、と」


 荷物の中から布を巻きつけた細長い物体を取り出し、テーブルの上に置く。マレンは丁寧に布を解いてそれをランタンの光に掲げた。ミアの剣によって魔切断されたである。切り離されてから既に三日が経つというのに皮膚にはハリとツヤがあり、まるで生きているみたいだった。

 二の腕の半ばから指先までは傷ひとつない。切断面を覗き込むと赤い肉の繊維の真ん中に白い骨が見えた。肘の関節を動かしてやると連動して筋肉が動き、小さな力こぶが出来上がる。表皮には妙な紋様が刻み込まれていたが、本来のマレンの知識でもこれが何なのかは把握していない。

 ただ、魔法を使うときにこの紋様が光っていたので何かしら関連があることに間違いはないだろう。例えば呪術めいた紋様が魔法の設計図のようなもので、こいつが掘ってあると強大な力が使えるようになる……など。


「どのみち、推測の域は出ないか」


 赤髪の魔法使いを連れ去った大きな鳥のことも気になった。フクロウに似ていたものの、人間の顔が張り付いていて何とも不気味である。ゲームに出てくるモンスターとしか思えなかった。

 例えば、赤髪の魔法使いをあの鳥が運んでいたと仮定して、敵には相当な機動力と火力が備わっていることになる。いくらミアが騎士として腕が立つとはいえ、空中に逃げられたら手も足も出ない。この辺りの情報を碧王軍側に伝えられたのは大きいが、マレンはもともとどちらの味方でもなかった。腹の底に渦巻く欲求を満たせればそれでいい。

 マレンは深呼吸して緊張をほぐす。それから借りてきたナイフを取り出した。魔法使いの腕はこっそり拾って、ミアには一切報告していない。勿論、付き人のミリィにも話してはいなかった。

 ナイフの刃先を切断面に刺し入れる。切れ味が悪いのか抵抗が強い。グリグリと肉を抉り、どうにか潜り込ませると今度は骨や筋が邪魔した。少なくとも血管くらいは切っている筈だが血は出てこない。

 生憎と、生き物を解体する知識や経験はなかった。鶏ガラを手でバラバラにして茹でてスープを作ったことはある。刃物を扱うのは昔から苦手で溜息が漏れた。


「仕方ない」


 切断された腕の向きを変える。ナイフはテーブルに置いて、同じく借りてきたペンチを取り出した。この異世界にネイルアートがあるのかは知らないが、魔法使いの爪は綺麗に整っている。


(男の背中にに爪を立てないためかもしれない、なんてね)


 爪をペンチで挟み、左右に揺さぶってみた。意外と動くもので爪の周りの皮膚も引っ張られている。どんな風に力をかければ痛がるのか、残念ながらそのテストはできない。しかし爪を剥がす練習にはもってこいだ。

 マレンは手首のあたりを左手で押さえ、右手のペンチを思い切り手前に引き寄せた。しかし爪はうまく剥がれない。この身体の非力さを嘆きつつ、今度は折るように真上にペンチを動かしてみる。すると爪は途中で折れて指から剥がれ落ちた。力を抜くと、ペンチで挟まれた跡を残してぽとりとテーブルに落ちる。

 それを摘んでマジマジと観察した。ひっくり返して表裏を眺め、ランタンの灯りにスカしてもみた。やはり血は出ない。もしかしたら魔法使いの身体には血が流れていないのか?


(いや、でも腕を切り落とされたときは血飛沫があがったよ?)


 あれは傍目で楽しいものだったなとマレンは笑う。余裕ぶっていた赤髪がドン底に叩き落とされ、そこから激しい怒りを燃やした。鳥に連れ去られたときの顔からは射殺すような視線を向けられたものだ。思考が逸れたので再び考察に入ると、この摩訶不思議な現象も魔法ということになる。


(腕を切り落とされても死ななかった例なんてアッチの世界でもいくらでもあるからなぁ。ワニに食い千切られたり、クライミングの最中に自分でぶった斬ったり……)


 爪や指の末端部分では死なないだろうけど、腕や足を切除するとなると経験や技量が必要になる。そんなことをぼんやり考えながら腕を弄んでピースサインをさせてみたり、中指を立てたり…… 肘だけでなく指の関節もしなやかだった。

 もしかして紋様を剥ぎ取れば魔法の力が失せるのではないかと仮定して、ナイフの先端で皮膚を抉ってみたが、そのときだけ明らかに手応えが変わる。柔らかかった表面が途端に爬虫類の鱗のように硬くなり、刃先が滑らなくなるのだ。紋様を傷つけようとすると自動防御が働いて硬化するのかもしれない。ミアくらい剣の腕が立てば切れるのだろうが、非力なマレンのナイフでは到底無理だった。


(紋様のない指先なら切断できるかな?)


 ナイフと指を交互に眺め、こんな鈍い刃で骨を切断するのは大変だなと予想する。どうせなら金切りバサミがあればいいのにと肩を落とした。この異世界にはホームセンターがあるだろうか? もしあれば魔法使いとやらの腕くらいバラバラに解体できるのに。

 色々と試行錯誤はしてみるものの、やはり腕だけでは心に火が灯らなかった。寺院の聖堂で大男の眼球や金的を潰したときのような反応がないからつまらない。


(うーん、痛めつけて情報を聞き出して反応を楽しむっていうプロセスがないとイマイチ)


 結局、魔法の秘密はわからぬまま腕を布に巻いて仕舞う。するとタイミングを見計らったかのようにテントの外から声をかけられた。


「聖女マレン、いるか? 入るぞ」

「はい、どうぞ」


 現れたのはミアである。今日はちゃんと鎧を着込んで帯剣していた。しかし表情は硬く、胡乱な目を向けてくる。補給部隊で生き残った者同士ではあるし、マレンの本性を少しだけ見せてしまった手前、もっと距離が詰まっても良さそうなものだが。


「……何をしていた?」

「研究を少々」

「聞いても答えないつもりだな。まぁ、いい。あんたがイカれているのは知っている」

「人聞きが悪いですねぇ」

「話を進めるぞ。急いでいるんだ。将軍がお呼びだ」

「私にですか?」


 一体、何の用事だろうと首を捻る。補給部隊襲撃の件から3日が経っていたから、生き残りであるマレンに事情でも聞くつもりだろうか。それにしては偉そうな役職の人間が出てくるのは不自然である。


「将軍が助けを寄越してくださったから、こうして東部戦線まで来れた。あの方が気を回してくれなければ、あんたは西に送り返されていた」

「それは理解しています。慈悲があったことは嬉しく思いますわ」

「ったく、面倒臭い。あんた、本当はスリルが欲しくて前線に行きたがっているだけなんじゃないのか? 退屈な修道院生活に飽きたんだろ」

「当たらずとも遠からずですねぇ」


 にっこり微笑むとミアは心底嫌そうな顔をしてみせた。それから「さっさとついて来い」とテントから出ていく。マレンはすぐに後を追った。

 外は既に暗く、あちこちに焚き火が見える。一体、どれくらいの兵士がいるのかわからないがここは紅王軍と睨み合う最前線だ。

 どこかに、あの大男みたいな捕虜がいるに違いない。そいつが重要な情報でも握っていてくれれば尚良い。


(どんなストーリーを描けば、修道女が拷問しても不自然に思われないかな?)


 そんなことを考えつつ、足を早めた。

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転生して聖女になったけど惨たらしい拷問しまくったら魔女扱いされた件について 恵満 @boxsterrs

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