第38話





「っ!?な、なに?喧嘩なの?」


「お嬢様、シッ!……っ!あれは……」


 まさかの光景だった。すぐそこで尻もちをついていたのは、あのマードゥン様だったからだ。


 一体何が起きているんだ?



 俺達が呆気にとられていると、何やら厳つい男性が腕を組んで厨房から出てきた。


「ぃ……っ……何するんですか。シェフ」


 マードゥン様は痛そうにお尻をさすりながら、立ち上がりその男性を睨み付けた。


「ハッ、何度言っても聞かねぇからさ。ここはおめぇさんが入っていい場所なんかじゃねぇよ。食ったらなら、とっとと帰りな」


 腕を組んだ厳つい男性はそう言い放って、マードゥン様に冷たい視線を向けた。すると、マードゥン様はグッと何かを堪えるように口をつぐみ、俯いた。


「…………っだ……」


 マードゥン様は俯きながら、何かを呟いているようだ。


「あ?何だ、言いたい事があるなら言ってみな」


 厳つい男性がそう言うと、俯いていたマードゥン様はバッと顔を上げて、再び男性を睨み付けた。


「……っ、何なんだよ!アンタは!!昔はそんな事言わなかったでしょ!?むしろ、にあんなに……くそ、なんだよ。なんで……」


 マードゥン様は目の前の男性に噛み付くように訴えかけた。いつものマードゥン様とは、まるで別人のようだ。そんなマードゥン様に対して厳つい男性は、ハァと溜め息を漏らしマードゥン様に背を向けた。


「……なんでも糞もあるか。サッサと帰んな。ボンが」


 男性はそう言い残し、そのまま厨房の扉を閉めた。マードゥン様は「くそっ」と呟いて、苛ついたように右手で自身の綺麗な金髪をクシャクシャとさせた。


「マードゥン様……」


「……お嬢様、先に戻っていましょう。ここはそっとしておいてさしあげた方がよろしいかと」


「そうね。じゃあ、先に戻りましょう」


 レイラ様はそう言って、しゃがんだ状態から立ち上がろうとした。しかし、しゃがんだ状態でいたせいか足が痺れたのだろう。身体のバランスを崩して、そのまま床に倒れそうになった。


「きゃ」


「っ、お嬢様!」


 俺は咄嗟に腕を伸ばして、レイラ様の身体を支える事に成功した。自分の反射神経を褒めてやりたい。しかし、それと同時に大きな声も出してしまった為、マードゥン様と目が合ってしまった。


「「あ」」


 俺とレイラ様は、仲良く声を揃えてから数秒の間沈黙した。そしてその沈黙を破るように、レイラ様は「ハハハハハハ」とわざとらしく顔を引きつりながら笑った。


「え、えーと……その、ちょっとお花を摘みに行ってまして……ね、ね!?ノア!?」


「え、あ、はい。そうですね。ハイ」


 俺も動揺していたせいか、咄嗟に気の利いた言い訳は出てこなかった。マードゥン様からの反応は無い。レイラ様の引きつった笑い声だけが響き渡っている。


「……は……かっこわる……」


 マードゥン様は乾いた声で、ボソッとそう呟いた。

 そんな様子にレイラ様はマードゥン様に対して声を掛けようとしたが、突然後ろからバタバタバタバタと足音が聴こえてきて口をつぐんだ。


「どうかなさいやしたか!?さっきの声って……っと、坊っちゃん?」


 後ろを振り返ると、慌てた様子でこちらへ駆け寄ってきたリースがマードゥン様に声を掛けた。すると、マードゥン様はパッと表情を変えていつも通りの笑顔に戻り口を開いた。


「なんでもないよ、リース。もちょっとお花を摘みに行ってきますね。おふたりは先に戻っていて下さい」


 マードゥン様はそう言って、その場を後にした。


「えー……えっと、何かあったん、スかね?」


 リースは何かを感じ取ったのか、少し気不味そうにしながら俺達に訊ねてきた。


 俺とレイラ様は顔を見合わせてから、コクリと頷き合い、先程起こった事についてリースに話し始めた。




 *******



 俺達が話終えると、リースは両手で自分の頭をガシガシと掻きむしった。



「っくぁ~~〜!!!!それ、かんっぜんに俺のせいっスよねぇ!?俺が顔見せてやってくだせぇなんて言わなければ〜〜〜〜!あー後で、坊っちゃんに謝らないと……なんだか、お騒がせして申し訳ありやせん」


 リースはそう言って、申し訳なさそうに深く頭を下げた。


「いえ!そんな、大丈夫ですわ。頭を上げて下さい」


 レイラ様は慌てて、リースにそう声を掛けた。


「……その、リースさん」


「ハイ、なんでしょう。ノア様」


「先程、厨房から出てきたと思われる男性は……その、どなたか分かりますか?」


「えっと……そうですね。恐らく、先程聴こえてきた怒鳴り声とお話を聞くに……シェフ……このお店の料理長ですわ」


 リースは俺の質問に対し、少し気不味そうな表情を浮かべながら答えた。そういえば、マードゥン様もシェフと言っていたような。俺はそんな事をぼんやりと思い出した。


「おふたりは、その……仲がよろしくないのでしょうか」


「あー……ハイ……や!その、昔はそんな事なかったんですわ!むしろ仲が良くて!!……実は、坊っちゃんが幼い頃はよくこのお店に遊びに来ては、お店を手伝ってくれてたんです。接客も手伝ってくれやしたが、坊っちゃんは手先が器用で厨房の仕事もよく手伝っておりやした。坊っちゃん自身も貴族の坊っちゃんなのに、料理がお好きみたいで……将来はこのお店の料理人になる!なんて、仰っておりやした。そんな坊っちゃんを、シェフも自分の息子のように接しておりやしたし。けど……」


「けど?」


 途中で口ごもるリースに対して、レイラ様が訊ねた。


「その……ある日を境にシェフは坊っちゃんに対して、冷たい態度を取るようになったんですわ。理由は……詳しくは分かりやせん。ただ『あのボンと俺達じゃあ、所詮、住む世界が違い過ぎるんだ』と、仰っておりやした。それから、おふたりは距離を取るようになったんです。坊っちゃんも忙しくなってあまり店には顔を出さなくなりやした。けど!今日久しぶりにおみえになったんで、折角ですし久しぶりに会えば和解出来るんじゃないかって……また、昔のおふたりに戻るんじゃないかって思っていたんですが……失敗しやした」


 リースはそう言って「ハハ」と苦笑いをした。


 マードゥン様にそんな過去があったとは……

 『おとめげーむ』での『マードゥン様』も、そんな設定があったんだろうか。


「……ありがとうございます、リースさん。込み入った話を不躾に聞いてしまい、申し訳ありません」


「リースさん、ごめんなさい」


 俺とレイラ様はそう言って、リースに対して頭を下げた。すると、リースは先程のレイラ様のように、慌てた様子で口を開いた。


「いやいやいや!頭を上げて下さいよぉ!!元はと言えば俺が悪いんですから!!ただ……その、坊っちゃんですが、あぁ見えてきっと繊細なんですわ。いつも周りばかり見てニコニコしておりますが……シェフにとても懐いてみえたんで、多分傷ついているかと思うんです」


 リースはそう言うと、俺達に深々と頭を下げた。


「俺が言うのもなんだと思うんですが、どうか坊っちゃんの事、よろしくお願い致します」


 リースはそう告げると、「では、仕事がありますんでこの辺で失礼致しやす」と言ってその場を後にした。


 俺とレイラ様はリースの後ろ姿を見送ると再び、顔を見合わせて、コクリと頷き合った。


「とりあえず、一旦戻りましょう」


「そうね。アリスともちょっと、話さないといけないわね」


 そうして俺達は元の部屋へと戻って行った。



 一方、その頃。


 厨房の扉の向こう側では、シェフがひそかにと外の様子を伺っていた。


「……チッ……リースの奴、ペチャクチャと喋りやがって……声がでけぇんだよ、ったく……」


 シェフはブツブツと文句を言いながら、ふと、先程のリオ・マードゥンの顔を思い出した。


「……チッ、やってらんねぇな」


 シェフは独り言のようにそう呟くと、そのまま厨房の外へと出て行った。



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