第81話 エドゥアルト

 ロロ同様、シャルも最近は日付感覚が麻痺している。ダンジョンの内と外で過ごす時間に大きな差異が生じているのだから、仕方ない事だ。

 しかしだからと言って、ヒト族と同じ方法でしか移動しないあのエルフが――シャルの愛するじぃじ、エドゥアルトがこの場を訪れるには早すぎる事だけは分かっていた。


 こんなにも到着が早い理由はなんだろうか。まさか、シャルの手紙を読むなり「次元移動」して来た訳ではあるまい。どこまでもヒト族らしく生きるのが彼の信条なのだから、孫がほんの少し妙な手紙を寄こしたからと言って、信条を曲げてまで飛んで来る事はないだろう。

 彼はいつだってヒト族ファーストのエルフだ。やはりクレアシオンを改造した件が耳に入ったのだろうか――なんなら、シャルの部下が冒険者を攫った事すら知っているかも知れない。


 ――最終的にをするつもりだった事も含めて。


「シャルルエドゥ先輩、お知り合いですか? まあ、先輩ほどのハーレム王と全く接点のないエルフを探す方が困難だとは思いますけど」


 いつもの調子で軽口を叩く少年エルフに、シャルは何も返さなかった。いや、正確に言えば何も返せなかったのだろう――彼は驚きを隠そうともしないまま、目を瞬かせているばかりだ。何度か唇が開閉したものの意味のある言葉が紡がれる事はないし、時折震えた吐息が漏れるだけ。

 その様子に尋常ではない空気を感じ取ったのか、シャルに纏わりついていたダニエラも彼から身を離した。


「……もしかして、お祖父様ぁ?」

「え!? あれが噂のじぃじさんですか!? 自分、シャルルエドゥ先輩の嫁になれば将来家族になるんで、ご挨拶しなくちゃ!」


 素早く身を翻して飛び出そうとするアズ。その細い首根っこを、すかさずロロが掴んで制止する。「ヴッ!」と苦し気な声が辺りに響いたが、周りはロロを咎めるどころかアズを責めた。


「ダメだよぉ、アズちゃん。お祖父様の心を射止めれば、シャルルンを射止めたも同然――私達の間にある暗黙のルールでぇ、シャルルンを通り越してお祖父様にアプローチするのだけはご法度なんだからぁ~」

「本当に、何バカな事を言ってるんですか? まず性別を変えてから出直し――ああ、もしかしてエド先輩が将来あなたにとってになるから? 私とエド先輩の恋路をそんなにも応援してくださっていただなんて……全く、妹想いの兄ですね」

「バカ言ってんのはどっちッスか、パイセン? その身長伸ばしてから出直してくださいよ」

「身長は愛に関係ないでしょう! まず、あなたも同じくらいですし!」

「ふーん! 性別だって愛に関係ないね!」


 ロロの「収納」倉庫、その隙間から覗くエリアに立つエルフは、こう言ってはなんだが至って普通である。いくらか年嵩としかさな感じはするものの、ただでさえ年齢不詳の種族であるため、見た目だけでは老成しているかどうかも定かではない。

 仕事の邪魔になるから頭の高い位置で髪を結ぶシャルと違って、エドゥアルトは低い位置――肩甲骨の辺りで緩く結んでいる。顔はエルフ族らしく耽美なものだが、シャルのように整っているかと問われればそうでもない。十人並みの、至って平凡な顔立ちだ。


 厚手のローブで分かりづらいが中肉中背で、麦酒エールと魚卵が手放せないと言う割に腹は出ていない。しかし左手についた杖は、恐らく――いや、間違いなく痛風によるものだろう。ただ歩くだけで、風が吹くだけでも生じる痛みを軽減するにはできるだけ患部に体重を掛けぬよう心掛けるしかない。


「……マジでリーダーんとこの爺さんなんスか? 話に聞くだけで見んのは初めてだし、よく分からねえけど――」


 シャルを慕うエルフ族の間で、「じぃじを狙うべからず」なんて暗黙のルールが打ち立てられるくらいだ。過去――その特性から誰に対しても平等で特定の相手をつくれない――シャルに痺れを切らして、「彼の愛するエドゥアルトを篭絡すれば万事解決なのでは?」と思い至る者が居た。


 しかし結果は言うまでもなく、まずエドゥアルトはヒト族ファーストという価値観を共有できないエルフに一切の興味を抱かない。可愛い孫を手に入れようと躍起になる者が多い事は誇らしかったが、度が過ぎれば単なる迷惑行為でしかなかった。

 そして、エドゥアルトの平穏な生活を乱す者が居れば他でもないシャルが黙っていないのだ。悪気があろうとなかろうと、彼が唯一愛せるを害そうとすればどうなるか――それは火を見るよりも明らかだった。


 ロロもダニエラも当時の諍いを知るエルフ族だが、普段何かと厭世的で熱量の少ないシャルが本気で激怒した姿は、千年以上経った今でも鮮明に思い出せる――とかなんとか。この二人は割と慎重派で、決して行動には移さず観測者に徹していた。もしじぃじを探し出してちょっかいを掛けていれば、シャルの手でクレアシオンから永久追放されていた事だろう。


 以来、エルフの間では「じぃじを狙うべからず」が徹底されている。シャルを手中に収めるどころか、蛇蝎だかつの如く嫌悪されては堪らない。あまりのショックで自決したエルフが居ると言う噂すらあるくらいだ。

 そしてシャル自身、エドゥアルトの平穏を守るために表立って会う事がなくなった。本来ならば自慢の祖父なのだが、彼との関係性を公言する事もなくなった。


 中身はヒト族ファーストの――エルフの価値観からすれば――ド変態だが、見た目は普通でこれと言った特徴もない。数万年の長い寿命をもつエルフ族の記憶には残りづらい。黙っていれば、そして特殊な個性をもつシャルが進んで関わらなければ、簡単に霞んでしまう存在だった。


「…………少し、話してくる。恐らくアティの件でお怒りだ」


 ぽつりと呟いたシャルの顔色はお世辞にも良いとは言えない。

 孫の管轄するダンジョン内でヒト攫いが起きたなんて――それも、下手をすれば無惨に殺されていたかも知れないなんて。果たしてエドゥアルトは、どんな気持ちでここを訪れたのだろうか。最早自身が送った手紙の内容など、シャルには思い返す暇もなかった。


 彼は心配する部下を手で制してただ一人「収納」倉庫から抜け出すと、エドゥアルトと対峙したのであった。

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