第69話 返信

 たっぷりと時間かけて、敬愛するじぃじから届いた手紙に郷愁を募らせる。それから、ここ最近周りの者から頻繁に心配される己の願いについて再考する。やがてシャルは、紙と万年筆を手に取った。


 シャルの願いはただ一つ、普通のエルフになる事だ。しかし、普通とは何か? 神造エルフとして授かった特性、その全てを失った先のはどんなものか? 深掘りすればするほど、何が正解か分からなくなる。

 そもそもこの願い、実は他でもないじぃじの厚意と想いを否定するものだ。彼が神に欲したのは完璧な孫であって、普通のエルフなどお呼びではない。俗に普通と呼ばれるエルフが、ハーフやヒト族を差別、侮蔑するものだとすれば――じぃじは、シャルの事をこれでもかと軽蔑するかも知れない。その日を境に、もう二度と愛する孫として認識してもらえなくなるかも知れない。


 現状、じぃじ以外にどんな特別も作れないシャルにとって彼の関心を失うのは何よりも恐ろしい事だった。だからシャルが『普通』になるとすれば、それはこの世からエドゥアルトが居なくなってしまった後の話で。


「おかしいな……じぃじにだけは、相談しないと決めていたはずのに――」


 ぽつりと零れた呟きは、天井に吸い込まれて消える。シャルが一心不乱に書き上げた手紙には、恐らくエドゥアルトを傷付けるであろう言葉が並んでいた。

 彼にだけは「普通のエルフになりたい」なんて願いを言ってはならない。それはシャルの成り立ち、生そのもの、エドゥアルトとの関係性まで否定する言葉だからだ。


 しかし、特に深い理由もなくただ共に過ごしているだけで誰からも好かれるなんておかしい。じぃじ以外に誰の事も選べないのもおかしい。それでは、彼が没した先の世界に生きる意味を見出せない。

 ただ平等であろうとするためだけに、誰の顔も正しく記憶できないのは寂しく辛い事だ。この特性のせいで周囲のエルフがキャラ付けに必死で、それが申し訳なくて、なんだか謎の罪悪感で生き辛い。


 じぃじはより多くの者に囲まれる孫を望んだのだろうが、シャルはハーレムよりも唯一のつがいを見付けたい。例え誰を選んだとしても、決して血生臭い事件が起きる事のない世界が望ましい。なんなら意中の相手にこっぴどく振られたって構わないのだ。そんな事を思ってしまうぐらい、今の世の中はシャルにとっておかしい。

 チョコレートが好物――について現状困った事はないが、シャルとていつかは糖尿病を患う時が来るだろう。あれは、合併症が酷く恐ろしいのだ。できればこの特性もなくなるか、いくらか弱まって欲しい。


 そして、これは身も蓋もない話だがそもそもの出生からして異端。周りと違い過ぎる。孤独だ。

 神から与えられた特性によって公明正大であろうとするのに、シャルルエドゥの存在そのものが何よりも不公平で、堪らなく不安になる時がある。この歯がゆさだけは、誰に相談したって無意味だ。シャルが何を言っても周りは迎合してしまう。答えはいつだってシャルの中にある。


 シャルの言う事はいつも正しいなんて。シャルの言葉で白が黒に、黒が白にも変わるなんて。同意を強いている訳ではない。シャルはただ、正解が欲しいのだ。そうして、孤独から救い出して欲しいだけなのに――無条件で受け入れられては、傷が深まるばかりだった。


 絶対に相談しないと覚悟していたはずの事を手紙に記してしまったのは、じぃじが「会いたい」なんて言うからだ。そう言いながらも、決して他のエルフ族のようには「次元移動」を使ってくれないから。シャルを寂しくさせるから。

 どうしたって、まだ長期休暇は取得できない。取ろうと思えば有給でもなんでも使えるが、今はダンジョンの工事とアズの暴走が気がかりで、席を外す勇気なんてない。


 シャルは書き上げたばかりの手紙を最初の一文から読み返すと、静かに眉をひそめた。すぐさまそれを封筒へ入れる事無く真っ二つに破りかけて、ぴたりと躊躇する。

 これは送るべきではない。じぃじが悲しむ。じぃじとの関係性も終わってしまうかも知れない。それは分かっている。だが同時に、分かって欲しいという想いが抑えられないのだ。


 今、シャルが辛い想いをしている事を。この悩みを。孤独と、全ての葛藤を。

 きっとシャルに答えを渡せるのは、この世にじぃじだけだ。いつだって正しいのはシャルではなく、じぃじ。シャルはそうやって生まれたのだから――だから、じぃじがハッキリと「普通になるなんてダメだ」と言ってくれれば、それこそがシャルの欲する答えになる。

 否定してくれればもう周りの者を不安にさせる事はなくなるだろう。自身の生についてひとつも悩む事なく、噴き出す疑問にも一生開かない蓋ができるだろう。


 公平でなければならないのに、またしてもシャルの特性が道理を捻じ曲げた。


「こうしてじぃじに依存しきっている事だって、きっと間違っている……」


 もう一度手紙を睨みつければ、心臓が酷い音を立てる。やがてシャルはごくりと喉を鳴らすと、濃い皺の刻まれた便箋を封筒に滑り込ませた。この皺も、僅かな破れも含めてシャルの手紙――想いだ。


 果たして、じぃじはどんな答えを出してくれるだろうか。シャルは今なんと答えて欲しいのだろうか。否定も賛同も、何も返ってこないまま見限られる恐れだってある。

 望むなら普通になれば良いと、あっさり認めて欲しいのか。神に与えられた特性を失った先がどんな地獄か必死に説いて、皆と同様シャルの『不変』を願って欲しいのか。


 寂しさに惑い不安に駆られる今のシャルには、自分の気持ちさえ分からなくなっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る