第68話 手紙

 シャルは自宅へ戻ったのち、すぐさまシャワーを浴びてベッドに潜り込んだ。

 彼が仕事帰りにすることと言えば、甘いものを求めてカフェに立ち寄るか、神について記された文献を調べるために本屋へ足を運ぶかの二択。

 それらの用が済めば帰宅して、身を清めたらすぐさまとこく。


 体調管理は何よりも重要だ。例え何時に帰宅しようとも、一日あたり八時間は眠らなければ落ち着かないのである。極端に短いと睡眠不足で仕事のパフォーマンスが下がるし、逆に長すぎても体内時計が狂うため体か精神のどちらかを壊しやすい。


 そんな生活を数千年続けていると、まるで機械のように規則正しく動く体になってくる。

 目覚まし時計のアラームなんてセットしなくても、きっかり八時間で目覚めるように――昼夜問わずいつだって休息できるし、ぱっちりと覚醒する体に変化するのだ。

 もちろんエルフにだって個人差はあるし、例えばロロのように眠りが浅く、目の下のクマがとれにくい者も居るのだが。


 そうして八時間経過したのち、シャルはぱちりと目を開きベッドの中で身じろいだ。仕事帰りにダニエラとカフェに立ち寄り、彼女と別れたのが昼過ぎだった。窓の外はもう真っ暗で、時計が示す時刻は二十一時過ぎだ。


 シャルはベッドに潜り込んだまま、しばらくの間ぼんやりと天井を見つめていた。しかしややあってから体を起こすと、ふと思い出したように家の外へ出ていった。向かうは玄関入口に設置されたポストだ。


 普段なら帰宅時に迷わず中を探るのだが、今日は一目散にシャワーを浴びて寝てしまったのである。アズの暴走工事を監督することによって、妙な疲労が蓄積していたせいかも知れない。


 ポストの中には大量の封筒がミチリと詰まっていた。

 それら全てを家の中まで持って入った後、一旦机の上に広げて仕分けしていく。開封するのは見知った名前、または公共の機関から届いたものだけだ。見覚えのない名や、そもそも記載がないものは未開封のままそっと捨ててしまう。


 なぜなら、それらの中身は大抵とんでもないものだからだ。念の籠った髪の毛とか、惚れ薬の材料として有名なガルーダの爪を煎じたものとか、血文字で綴られた恐怖のラブレターとか、とにかく色々である。


 そうして仕分けを済ませたのち、机の上に残ったのは全体の三割ほどだろうか。

 残った手紙の差出人は、テルセイロのダンジョンで管理者をしているマザコンエルフや友人のミザリー。クレアシオンに配属されて以来、毎日のように自らの手で仕事の報告書をポストに投函しているらしいトリス。

 数日おきに届くロロからの郵便物には、手紙ではなくスイーツバイキングの無料券や高級チョコレートの引換券が入っていることが多い。


 シャルはひと通り封筒を眺めると目元を緩めて、その中のひとつを手に取った。この一通だけは、わざわざ差出人の名前を確認しなくてもで分かるのだ。

 なんの変哲もない白地の封筒と便箋だが、コーヒー豆とカカオ豆だらけの住居に保管されているものだから、いつもカフェモカのような香りがする。

 シャルはペーパーナイフを片手に、万が一にも中身が破れてしまわぬよう慎重な手つきで封を切った。


 分かっていながら確認した差出人の名は、やはり『エドゥアルト』――シャルの敬愛するじぃじである。

 綺麗に折りたたまれた手紙を開くと、埋まっている行数はそう多くない。まるでお手本のように正確なバランスで書かれた文字は、活版印刷かと疑うほどだ。


 ――しばらく顔を見ていない。長期休暇を取りづらいことはよく知っている。くれぐれも体を壊さないように。ただ、やはりできれば会いたい。

 追伸。尿酸値は減少傾向にあるから麦酒エールと魚卵だけは死ぬまで喫食きっしょくし続ける――


 余白の目立つ便箋には、要約するとそんな内容が書かれていた。

 正直、会いに行こうと思えばすぐなのだ。エルフ族には「次元移動」の魔法があるので、シャルがじぃじの元へ行くのもその逆も一瞬である。

 それでも魔法を使わないのは、やはり彼のじぃじがエルフらしくないからだろう。


 じぃじ曰く、ヒト族というものは独り立ちしたら最後子や孫と年に一度顔を合わせられるかどうか、なんて状況に陥ることが多いらしい。

 ヒト族にとって子孫とは、親や祖父母がしつこく「たまには顔を見せろ」と連絡し続けてやっと面倒くさそうに会いに来る生き物。

 中には過干渉を嫌い近親者との交流を煙たがるとか、高齢の親が大病を患って初めて優しく接するようになるとか――随分とドライで勝手で、天邪鬼あまのじゃくなタイプも存在するのだと言う。


 エルフ族なら、そうはいかないだろう。会いたくなれば魔法で一発。わざわざ会いたいと思うまでもなく、気分でもなんでも魔法を一発かませば誰とでも会える。

 そのお陰で近親者が「顔を見せてくれない」と不満をつのらせることもないし、子孫もホームシックにかかりづらい。ありがたみがないほどいつでも好きな時に会えるのだから、当然だ。


 しかし、じぃじはそのエルフ族特有のありがたみのなさが気に入らないらしい。元々ヒト族ファーストが過ぎる男だから尚更だろう。

 例え可愛い孫に会いたいと思っても魔法なんて使わない。自分の足で会いに行くし、その逆もまた然りだ。

 本当に愛し合っていれば、それくらい手間隙てまひまをかけて当然――それがじぃじの考えである。


 気軽に会えなければ日に日に想いを募らせる。近所に住むよりも、やや離れて暮らしていた方が些細な事で衝突することも減って、互いをより大切にできる。

 だから「次元移動」は禁止。まるでヒト族のように、仕事で長期休暇がとれた時にだけ会いに来ること。これはじぃじとシャルで取り決めた約束だ。


 ――とは言え、エドゥアルトの願いによって生まれたのがシャルである。

 彼が唯一心の底から慕うことのできるじぃじと衝突することなんて、万が一にも起こり得ないのだから無意味にも程があった。


 ただ、じぃじが「自分たちはまるでヒト族のように関係性だ」と悦に浸って、シャルが寂しさを募らせながらじぃじの痛風を心配するだけ。


 シャルは細いため息を吐き出すと、手紙を持ったまま机の上に突っ伏した。小さく漏らされた「僕も会いたいよ、本当に――」という呟きは、他の誰の耳にも入らなかった。

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