第61話 不変なもの

 トリスの告白を聞き終えたシャルは、ゆっくりと瞬きした。そして首を傾げると、高い位置でまとめられた金髪が彼の動きに追従して揺れる。


「それで、肝心のと言うのは?」

「――えっ」

「暴露と言うからには、よほど後ろめたいことがあるんだろう」

「え……えっ? いや、あれ? ですから、私は――」

「あらかじめ答案用紙を入手して不正を働いたとか、試験官を買収してアズの苦手とする実技試験を宛がったとか……トリスは優秀で勤勉だが、もしそういった悪事に手を染めたならそれなりの処罰を覚悟しておいた方が良い」


 トリスは、酷く戸惑っている様子だった。小さく動いた唇からは「もしかしてエド先輩、私の話をほとんど聞いていなかった……?」という疑問が漏れ出している。

 そうしてひとしきり悩んだ後、彼女は意を決した様子で顔を上げた。


「えっと、改めて言いますけれど、私はアザレオルルと事前に契約――と言いますか、盟約を結んでいました」

「それは聞いた。二人でクレアシオンを指名するために成績を合わせるという約束だろう」

「でも私は……土壇場でその約束を破りました。兄の信頼を裏切ったんです。普通に試験を受ければ満点は確実、採点基準二点の問題をたった一つ空欄にするだけで守れた約束なのに」

「まあ確かに、事前に交わした約束を反故ほごにするのは褒められたことではない。ただ、トリスの裏切りも含めて『運も実力の内』だからな」


 トリスはますます困惑しているようだった。顔を合わせて話し合っているはずなのに、何故こうもシャルと噛み合わないのか。

 彼女はこの話がシャルの耳に入った時、幻滅されると思っていたに違いない。だからせめて、兄の口から暴露されるよりも先に己の口から話す決意をしたのだ。その方が少しでもシャルの心証が良いだろうと。


 トリスにとってはそれくらい後ろめたい一件で、できることなら墓場まで持って行きたい話だったはず。しかし問題のアズがやや強引な方法でクレアシオンまでやって来てしまったものだから、過去の行いが露呈することを恐れた。

 ――だと言うのに、シャルにはトリスを蔑む様子がひとつもない。むしろ「だから、なんなんだ?」と言わんばかりの不思議そうな顔をしている。


「トリス」

「は、はい!」


 シャルは元々そう簡単に激昂する男ではない。彼の個性と特性が邪魔して、そもそも熱量が生み出されにくいという問題があるせいだ。

 それでもトリスは反射的に「怒られる」と思ったのか、ピシリと姿勢を正した。


「アズは運に恵まれなかっただけだ。実技試験で苦手な『色調』が当たったことも、トリスがミスひとつなく実技と筆記で満点を取ってしまったことも――土壇場で裏切ったことさえも。逆を言えば、トリスは幸運を引き寄せたんだろな」

「それは……でも」

「仮定の話だから論じても仕方ないが、例えば実技で満点を取れなかったのがトリスの方だったとしたら? アズは君のために学力テストで空欄をつくったと言い切れるのか?」

「アザレオルルは……兄は、あれで意外と真面目なところがあって」


 トリスは眉尻を下げながら、困ったように考え込んだ。――しかし。


「……マイナス七百五十万ポイント」

「うっ」


 シャルの囁きが鼓膜を揺らすと、彼女は短く呻いて大いに悩み始める。

 ポイント借金を返すアテなんてあってないようなものなのに、アズの破滅的なギャンブル精神は常軌を逸している。神の作品であるダンジョンに穴をぶち開けよう! なんていう思考回路もどうかしているし、神罰が下るかどうかも定かではないのにクレアシオンのエルフを巻き添えにする精神も異常だ。


 そんなアズが、果たして『真面目』と言えるのか? もしも逆の立場だったとして、本当にトリスとの約束を守ったのだろうか?


「兄妹で並ぶ姿を見るようになったのはつい最近のことだが、君らのは――深いところはよく似ている。どうして「もし逆の立場ならアズは約束を守ったに違いない」と信じ切っているのか謎だが、恐らくそれはトリスの思い込みだ」

「思い込み……実技試験の結果が逆なら、アザレオルルの方が裏切り者だったかも知れないということですか?」

「その『裏切り者』という表現もいちいち大袈裟だな。運も含めて、より実力を持っている者が首席になるのは至極当然のことだ。そもそも僕からすれば、卒業試験で堂々と八百長を目論んだ君らの思考回路の方が好ましくない」

「えっ!? あ! ごっ、ごめんなさい!」


 本人からすれば思いも寄らぬ部分を指摘されて、トリスは涙目になりながら深々と頭を下げた。アズとの約束を反故にしたことよりも、シャル的には卒業試験の成績を操作しようとしたことの方が問題らしい。

 トリスの裏切りについて『運』という言葉ひとつで片付けてしまうし、「好ましくない」とは言われたものの、やはり幻滅した様子は見られない。

 決してトリスの側に寄り添っている訳ではない。だからと言ってアズの側に寄り添っている訳でもない。遠く離れた場所から双子を見て、ただ淡々と評価を下すだけだ。


 最早シャルが何事にも熱くなれないことは周知の事実だが、それにしたって物事に対する興味が希薄すぎやしないか。


「――でも、希薄だからこそ嫌われずに済んでいるんですよね……」


 トリスは、思わずと言った様子で呟いた。

 シャルが神造エルフだからこそ保てている関係性というのは、思いのほか多い。トリスの犯した不正に何も思わないところも、ハーフエルフやダークエルフに対する偏見がないところも。


 誰が相手でも分け隔てなく接するため、裏を返せば特別な関係になることもない。この世の誰も、シャルの特別にはなれないだろう――彼にとって唯一無二の存在と言えば、じぃじただ一人なのだから。


「エド先輩がになることを望んでいるのは知っていますけれど……もしかすると私、十億ポイント貯まったら先輩のを願うかも知れません」

「……不変?」

「私、アザレオルルと違って堅実なんです。ギャンブルはひとつもできなくて……だから、今が心地いい関係なら無理に崩したくないなって。今のエド先輩を私のモノにすることはできませんけれど、他の誰かに奪われる恐れもありません。下手に普通になられると、以降ハーフを嫌悪する可能性だってありますよね」

「……が普通のエルフなのか?」

「統計学的には十分なデータを得ていますよ。でも改めて考えると、『普通』ってなんなんでしょうね……」


 寂しげに微笑むトリスに、シャルはやや間を空けてから「そうか」とだけ呟いた。

 ちょうどその時ダニエラが「次元移動」の魔法で飛んで来て、ゴブリンの巣の清掃開始を告げたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る