第4章 働き方改革
第44話 隠しボーナス
今から約四万年前、この世に変わり者のエルフが生を受けた。名をエドゥアルトといい、性は男。優生思想が強いエルフ族としては
そう、彼こそがシャルルエドゥの祖父――愛すべきじぃじだ。
生まれつき争いごとが大嫌いで、種族による優劣や差別思想などとも無縁。彼にとっては、この世に生きとし生ける者みな平等に愛しい存在だった。
彼レベルになると、人々が差別に至るまでの醜い感情の推移や特殊な危険思想、偏った宗教など全てを『個性』として愛せてしまう。しかしそれと同時に、わざわざ他人を嫌ったり見下したりする必要性があるのかと疑問を抱き「みな仲良くすればそれで解決なのに、そもそも争い自体が不毛なのに、なぜ?」と説く傲慢さも持ち合わせていた。
誰が相手でも愛せる代わりに、その実誰のことも正しく理解できないという障害を抱えていたのかも知れない。
だからこそ彼の目に映る世界はいつだって清らかで美しかったが、それらを汚す者も多く存在した。 幼少期に両親から聞かされたエルフ族と魔族の争いの時代も、かつてヒト族を家畜と見なし一方的に搾取していたという制度も、耳にするだけで
神魔戦争に敗戦したのち、神罰を受けてダンジョン経営を始めたエルフ族と魔族。神に弓引いて機嫌を損ねたのだから、当然罰を受けるべきだろう。
――だと言うのに、まるで憂さ晴らしのようにヒト族を
神がどれだけ手助けしようとも、弱すぎるヒト族の立場が向上することはなかった。冒険者になって必死に経験値を稼ごうとも、体のつくりや寿命からしてエルフや魔族とは違いすぎた。
ヒト族の中で『英雄』と呼ばれるほどの覇者だろうが、本気の魔族が相手だとビンタ一発で塵も残さず弾け飛んでしまうのだから。
エドゥアルトはその様を見る度に「可哀相だ」と思ったし、種族の違いがどうとか優劣がどうとか、アレが気に入らない、嫌いだとか混ざりものだとか、そんなことは考えもしなかった。
――なぜ仲良くできないのか? なぜ手を取り合えないのか? そればかりだ。
しかし同胞の中に共感を示してくれる者は一人も居なかった。何せ、エルフ族から見たヒト族はいつまで経っても家畜のまま。いちいち同情していてはキリがないような相手なのだ。
周りのエルフとは価値観がことごとく違ったため、彼は物心ついた頃からずっと生き辛い思いを抱えたまま成長した。
千歳を迎えて養成学校に入っても話の合うエルフは居ないし、口を開けば開くほど友人が離れていくから段々と無口になる。
たまにダンジョンを見学しに行けば、魔族は相変わらずヒト族をどつき殺しているし――もちろん、神の逆鱗に触れた者から順に『モンスター』に変えられていったが――エルフ族は同胞以外を同じ生き物とすら思っていない節があった。
神の言う通り皆で仲良くすればいいだけなのに、なぜ見下すのか。なぜ殺すのか。エドゥアルトには全くもって理解できなかった。
それぞれの思想を尊重して歩み寄れば、それで済む話なのに――そう思いながらも自身の『博愛主義』を一方的に押し付けていたあたり、彼もまたエルフ族特有の自己矛盾を抱えていたに違いない。
孤独な彼の心と世界を美しいまま汚さずに維持してくれていたのは、いつだって魔族とエルフ族
森の木々は心を和ませて、花は目を楽しませて、川のせせらぎは心を落ち着かせて。空の青さも世界を照らす太陽も、曇天の灰色も闇夜に浮かぶ月も
大自然の中に佇む動物たちは見ているだけで胸が温まるし、食事の際には「生命が混ざり合い血肉に変わる。己は愛すべき者たち全てに生かされているのだ」という意識に
――それに何より、街で出会うヒト族のなんと愛らしいことか。
寿命の短い彼らは正史を語り継げず、瞬く間に忘れ去ってしまう。かつて憎むべき敵だったはずのエルフを仲間だと言い張って、いとも簡単に
もちろん生命全てが愛しいからこそ、
しかも、神がダンジョンを創り出したことだって元はと言えばヒト族のためだ。ヒト族が神から与えられた遊び場をどう利用しようが、誰にも文句など言えるはずがなかった。
同族にも魔族にも心を許せる相手がおらず会話らしい会話をすることさえ辞めていたエドゥアルトは、やがてヒト族との交流に心を砕くようになった。
そして千七百歳で養成学校を首席卒業すると、特に冒険者の死傷率が高いクレアシオンへ配属希望を出したのだ。
ご法度だろうがなんだろうが、例えタイムカードの実働が休憩時間として減算されようが構わず、ダンジョンを利用する冒険者に目を配った。無謀な動きをしている者を見れば真摯に話しかけて、どれだけ時間が掛かろうとも「そのやり方では死んでしまうよ」と説き伏せた。
モンスターとの戦い方、効率的な採取の仕方、ダンジョンの歩き方、罠の見極め方。自分が知る全ての情報を渡していたといっても過言ではない。
当時クレアシオンの街には、「ダンジョンには優しいエルフが住んでいるから安心して探索しろ」という話が常識として
――だからこそ彼が勤め始めてから定年を迎えるまでの約三万八千年の間、クレアシオンで冒険者が死ぬことは一度もなかった。
周りの同僚たちは恐らく、彼の異様なまでのヒトファーストに引いていたに違いない。しかし彼がエリア内でヒトと熱心に話せば話すほど、他の待機エルフたちは楽に実働を稼ぐことができる。
そのため、誰もが彼のことを「変人……いや、変態エルフだ」と思いはしても決して厭わなかったし、色んな意味で畏怖していた。
エドゥアルトからすれば魔族も同胞のエルフ族も平等に愛らしいことは違いない。ただ争いも、誰かの悪口も聞くのも堪えられない彼にとって、ヒト族だけを一方的に虐げる存在は同時に『敵』でもあった。
魔族の存在そのものを忘れてモンスターと呼び、エルフを友と呼んで難なく受け入れるヒト族の方がよっぽどエドゥアルトの価値観に合っていたのだ。
やがて彼の『博愛主義』は、持ち前の傲慢さをもってしてやや歪な形へと変容していったのである。
「先輩のじぃじさん、マジモンの変態だったんですね」
シャルが突然祖父の昔話を始めたのでひとまず聞いてみたものの、アズは「十億ポイントの話はどこへ?」と言いたげな顔で頷いた。
「貴様にだけは言われたくないけどな――ところで、ダンジョンのポイントに『隠しボーナス』がある話は知っているか?」
「確か……一年間にどれだけ『徳』を積んだかで判断されて、神から支給されているポイントでしたっけ? 神による内申点みたいなもので、詳細な採点基準は謎。その
「明るい笑顔で言うな」
軽快なやりとりをする二人をニコニコと見守りながら、ダニエラは「アズちゃんがどれだけマイナス食らうのか、『年末調整』が楽しみだねえ~」と合いの手を入れた。
シャルは複雑な表情のまま続ける。
「じぃじはダンジョン内で冒険者に声を掛けまくっていたから、一年間真面目に働いてもポイント収支がプラスマイナスゼロに等しかったらしい。しかも減算ばかりでなかなか実働八時間を稼げないから、休日返上で働き続けるハメになった」
「それはそうでしょうね。全く、ヒトのためによくやりますよ――あ!? もしかしてシャルルエドゥ先輩、じぃじさんから莫大なポイント借金を継承していますか!?」
シャルはゆっくりと首を横に振った。それを見たアズはホッと安堵の息を吐き出したが、しかし次に続けられた言葉を聞いてポカンと口を開ける。
「じぃじは、隠しボーナスだけで十億ポイント貯めた伝説のエルフだ。ダンジョンの経営理念――ヒト族や神から見れば、あの人は『徳』の塊だからな」
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