第2話 裏側

 ダンジョンとは本当に不思議で、そして便利な場所である。

 しかし、ひとつだけ難点があった。ダンジョンのの世界では時間の流れ方が全く違うのだ。潜ってから十時間後に脱出したはずが、外の世界では二、三日――酷い時には一週間が経過している事もある。

 この難点のお陰と言ってはなんだが、頻繁にダンジョン探索をする冒険者は一般市民と比べると歳を取りづらく、若々しい。英雄を夢見る男性だけでなく、女性までもが冒険者を志す一因になっているとかなんとか言う話もある。


 なぜ中と外で時の流れが違うのか――それについても永遠の謎だ。偉い人が何度調べても解明できなかった。だから冒険者は仕組みなど気にする事なく、今日も今日とてダンジョンに潜る。


「さて、どうする? そろそろ休憩しようか」

「うーん……次レベルが上がったら、もう帰らない? 疲れちゃったなあ」

「それなら――俺の家、猫飼ってるんだけどさ。アイラちゃんさえ良ければ、このあと見に来ない?」

「え? あっちょっと、どこ触ってるの……もう、猫見に行くだけ――だからね?」


 そのエリアは、ウェアウルフと呼ばれる二足歩行の狼人間が棲み処にしていた。しかし冒険者が一帯のモンスターを狩り尽くせば、あとは死骸と血だまりが広がるだけの惨たらしい空間の出来上がりだ。

 本日ウェアウルフの巣を荒らす冒険者は男女二人組のパーティだった。軽鎧にロングソードを携えた茶髪の優男風な剣士の男。そして、豊満なバストが胸当てからこぼれ落ちそうな、長弓をもつアーチャーの女。


 既に相当数のウェアウルフを狩っていて、採取は十分らしい。立派な毛皮も鋭利な爪も大きな牙も、何一つとして剥ぎ取らない。狩りっ放しである。

 何も剥ぎ取らないのに、なぜ殺すのか。それはもちろん経験値稼ぎをするためだ。


 ――さて、このエリアのモンスターを復活させるためには別のエリアへ移動するしかない。

 明らかに自然形成されたであろう歪な形の岩肌が目立つ洞窟。そんな洞窟にはどこか不釣り合いな木製の扉を開ける。この扉をくぐって閉めればエリア移動のだ。

 そうして再び扉を開いて巣エリアに戻れば、あら不思議。死骸も血だまりも消えて、二足歩行の狼男が闊歩する危険なエリアへ逆戻りになる。


 冒険者の男女は血だまりに背を向けると、楽しそうに談笑しながら隣のエリアへ移動して行った。

 やがて扉がぱたんと閉じられる。その瞬間、世界の時が止まった。今まさにエリア移動した冒険者はもちろん、ダンジョン周辺に集まる冒険者まで何もかもが動きを止めた。

 はダンジョンを基点として半径五キロほど。いや、正確に言えば、止まったのは『一部』を除いたダンジョンの全てである。


「――さあ、仕事だ! さっさと取り掛かれェ!!」


 ウェアウルフの死骸が転がる凄惨な現場にどこからともなく集団が現れた。彼らの耳はどれも横長で尖っている――全員だ。

 ありとあらゆるモノの時間が止まっていても動けるのはエルフ族と魔族のみ。なぜならこの「時間停止」の魔法を使えるのは、二種族だけなのだから。


「さっさと死骸集めろ、肉片ひとつ残すんじゃないぞ! 血液パックは誰が持ってる!?」


 エルフの男が叫んだ。彼の横には全長百五十センチほどの巨大な大釜がある。モンスターの死骸を集めて入れるだけで復活させられる、魔法のアイテムだ。

 ただし大釜に入れる肉片が減ると、復活するモンスターの体積まで縮んでしまう。冒険者に素材を採取されてしまった後のモンスターを復活させる場合には、他の動物の肉片や血液や毛皮、リン、ケイ素を混ぜた化合物などを継ぎ足す必要がある。


 ゆえに最近このエリアのウェアウルフの肉が牛肉や豚肉に似た味わいで人気になっていたとしても、なんらおかしくはない。


「チクショウ! あの野郎さっきから殺し方が荒いんだよ! 女の前だからって強さアピールしたいのかなんなのか知らんが、もっとスマートに首を落として終わりにできないのか!?」

「あのいかにも股の緩そうなアーチャーが「さすが! 知らなかった! すごーい! センスいい! そうなんだ~!」なんて合いの手を入れるから、馬鹿のバカが加速するんでしょ!!」


 大釜の番とはまた別の男が吠え、その隣では口の悪い女エルフが激昂していた。彼らは床に広がる血だまりをモップで吸っては、バケツの中に絞っている。これは後ほど専門のエルフが特殊なザルで血液をこして、砂利や不純物を取り除く。そうして集められた血液は、最終的に大釜の中へ放り込むのだ。


 例え全ての時間が止まっていても、エルフが直接または間接的に触れたものの時間は動き出す。掃除道具はなんの問題もなく動かせるし、地面の血液だって壁の汚れだってキレイに取り除ける。


「――オイ、バカヤロー! お前、さっきも教えただろうが!? 拭き過ぎなんだよ、横の壁と見比べてみろ!」

「す、すみません! 研修ではキレイにするやり方しか習わなくて、つい……!」

「これだからのクソは! 時間がないってのに何してくれてんだよ!!」


 現場を指揮するリーダー格のエルフが、見た目十代の若い少年エルフを叱責した。少年エルフの手には雑巾が握られている。

 壁に飛び散った体液を拭いていたのだろうが、どうも岩壁にツヤが出るほど磨いたらしい。隣の苔むした岩壁と見比べると違和感満載だ。くすみも苔も取り除かれて、明らかにが出てしまっている。


「くうぅ、雑な仕事しやがって――オイ、誰か『汚し屋』を呼んでこい! 岩に汚れを吹き付けて苔も生やさねえと!」

「ええー!? 汚し屋は芸術肌の凝り性が多いし、呼んだら時間かかりますよ! 今日の所は私達で汚して誤魔化せませんか!? どうせ今日ここを狩場にしてるの、脳みそが下半身にあるような二人組じゃないですか! いちいち壁なんて見ませんって!」


 口の悪い女エルフがモップを振り回しながら声を張り上げた。


「な~にが猫見に来ない? だ! 野郎、さっきエリア移動する時に女のケツ撫でてましたよ! わざわざ女が乳放り出してくれてんのに、頑なにケツにしか興味を示さない異端者ですよ!? 先祖の遺伝子濃すぎでしょうが!!」


 しかしリーダー格のエルフは、頑なに首を横に振る。


「ダメだ、もし見破られたらされる! ――いや、そうだ……誰かシャルルエドゥを呼びに行け!」

「シャル!? ……シャルは忙しいでしょうに」

「忙しいのはどこも同じだ! よし新人、責任を持ってお前が呼んでこい! 場所は分かるな? 始まりの街クレアシオンだ!」


 先ほど叱り飛ばされたばかりの少年エルフが、「ふぁい!」と泡を食ってエリアを飛び出した。しかしその表情はどこか嬉しそうで――まるで、内から溢れ出る高揚感を抑えきれないようだった。

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